
「徳さん」の愛称で親しまれ、テレビ番組の司会やスポーツ実況で長年活躍してきたフリーアナウンサーの徳光和夫さん。『ズームイン!!朝!』や『24時間テレビ』で見せた涙もろい姿が印象的ですが、熱烈な巨人ファンや競馬好きとしても知られています。
そんな徳光和夫さんについて、「2026年現在は何歳?」「奥さんは誰?」「息子や娘は何をしているの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。さらに、甥のミッツ・マングローブさんとの家族関係、出身高校・大学、過去の病気や現在の健康状態も注目されています。
この記事では、徳光和夫さんのwiki風プロフィールをはじめ、妻や子供などの家族構成、実家や生い立ち、海城高校・立教大学での学生生活、日本テレビ時代から現在までの経歴を詳しく紹介します。あわせて、年収や資産、競馬、現在の出演番組についても確認していきます。
徳光和夫のwikiプロフィール!2026年現在の年齢や身長は?
徳光和夫さんは、1941年3月10日生まれのフリーアナウンサー・司会者です。
1963年に日本テレビへ入社し、『ズームイン!!朝!』などの人気番組で活躍しました。1989年にフリーへ転身してからも活動を続け、2026年現在もテレビやラジオに出演しています。
まずは、徳光さんがどのような人物なのか、年齢や基本プロフィールから見ていきましょう。
徳光和夫は何者?元日本テレビの人気アナウンサー
徳光和夫さんは、日本テレビの看板アナウンサーとして活躍し、独立後も幅広い番組を担当してきたベテラン司会者です。
若い頃はプロレスやプロ野球の実況、歌番組などを担当し、1979年に始まった『ズームイン!!朝!』の初代総合司会として全国的な知名度を獲得しました。
その後は『24時間テレビ』『世界ウルルン滞在記』など、多くの番組で存在感を発揮しています。
徳光さんが長年活躍してきた理由は、ニュースやスポーツを伝えるアナウンサーとしての技術に加え、出演者の感情に寄り添う司会スタイルを持っていることです。
感動的な場面で涙を流す姿から「涙もろい司会者」という印象を持つ方も多いでしょう。しかし、プロレス実況で培った瞬発力や、昭和歌謡に関する豊富な知識など、放送人としての魅力はそれだけではありません。
徳光和夫は現在何歳?生年月日は1941年3月10日
徳光和夫さんは、2026年10月13日現在で85歳です。
生年月日は1941年3月10日で、2026年3月に85歳の誕生日を迎えました。
日本テレビへ入社した1963年から数えると、アナウンサーとしての活動歴は60年以上に及びます。
85歳になった現在も、BSテレ東の音楽番組やテレビ朝日の旅番組、ニッポン放送のラジオ番組などに出演しています。
長いキャリアを持つだけでなく、今も現役で活動していることが徳光さんの大きな特徴です。
徳光和夫の基本プロフィール一覧
徳光和夫さんの年齢・身長・血液型・出身地など、基本情報は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 徳光和夫 |
| 読み方 | とくみつ かずお |
| 本名 | 徳光和夫(旧字体表記:德光和夫) |
| 愛称 | 徳さん |
| 生年月日 | 1941年3月10日 |
| 年齢 | 85歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長 | 163cm |
| 血液型 | B型 |
| 職業 | フリーアナウンサー・司会者 |
| 所属 | ソニー・ミュージックアーティスツ |
| 出身高校 | 海城高校 |
| 出身大学 | 立教大学社会学部 |
| 日本テレビ入社 | 1963年 |
| フリー転身 | 1989年 |
| 趣味・関心 | 野球・競馬・ゴルフ・歌謡曲 |
| 子供 | 息子2人・娘1人 |
| 主な出演番組 | 路線バスで寄り道の旅、徳光和夫の名曲にっぽん など |
生年月日、出身地、血液型、主な経歴は所属事務所の公式プロフィールでも確認できます。
徳光和夫の本名は?芸名ではない?
徳光和夫さんは、本名で活動しているアナウンサーとして知られています。
資料によって「徳光和夫」と「德光和夫」という表記がありますが、「徳」と「德」は新字体と旧字体の違いです。
テレビではフルネームよりも「徳さん」と呼ばれることが多く、長年の視聴者には愛称のほうが親しみ深いかもしれません。
ちなみに、甥のミッツ・マングローブさんも徳光家の一員です。こちらの家族関係については、後ほど詳しく紹介します。
徳光和夫の出身地・国籍は?茅ヶ崎との関係も
徳光和夫さんの出身地は東京都です。
海城高校のインタビューでは、若い頃に東京都目黒で暮らしていたことを語っています。
一方、近年のテレビ番組では、神奈川県茅ヶ崎市が徳光さんの地元として紹介されることもあります。
2026年10月18日放送予定の『路線バスで寄り道の旅』でも、茅ヶ崎にゆかりのある場所を巡る企画が案内されています。
つまり、東京都で生まれ育ったことと、現在の生活で茅ヶ崎に縁があることは別の話です。
国籍については、日本出身の日本人アナウンサーとして知られています。外国籍やハーフであると裏付ける本人発言・公式情報は確認できません。
徳光和夫の妻・息子・娘は?家族構成と家系図を紹介
徳光和夫さんは結婚しており、妻との間に息子2人と娘1人がいます。
次男はタレントの徳光正行さんで、甥にはミッツ・マングローブさんがいます。2024年にはひ孫が誕生したことも報じられました。
徳光さんの家族関係を簡単に示すと、次のようになります。
徳光和夫さんの父・母
徳光和夫妻・子供3人
長男・次男(徳光正行)・長女
長男の家系に孫・ひ孫
徳光和夫さんの弟ミッツさんの父親
息子:ミッツ・マングローブ
公表されている主な親族関係を簡略化したものです。
徳光和夫の妻は誰?名前や結婚生活について
徳光和夫さんには、長年連れ添ってきた妻がいます。
妻は一般の方で、芸能活動を中心に生活している人物ではありません。
徳光さんは日本テレビ時代、早朝から放送する『ズームイン!!朝!』などを担当し、フリー転身後も数多くの仕事を続けてきました。
そのため、長年にわたる夫婦生活や、奥さんがどのように家庭を支えてきたのか気になるところですよね。
2026年10月18日放送予定の『路線バスで寄り道の旅』では、徳光さんが妻と訪れたことのある湘南の寿司店が紹介される予定です。
仕事以外の時間にも、夫婦で食事に出かける機会があったことが分かります。
ただし、これだけで現在の夫婦関係の詳しい様子まで判断できるわけではありません。
徳光和夫の奥さんの名前や顔画像は公開されている?
徳光和夫さんの妻は、資料によって「德光早苗(徳光早苗)」さんという名前で紹介されています。
ただし、所属事務所の公式プロフィールには妻の氏名や詳しい経歴は掲載されていません。
インターネット上には奥さんの写真として紹介される画像もありますが、写真の撮影時期や人物の確認状況には差があります。
徳光さん本人が出演した番組や、信頼できる報道で紹介された写真と、出典不明の画像は区別して扱う必要があります。
また、奥さん自身が病気になったという情報についても、現在の健康状態を確認できる新しい公式発表は見つかっていません。
徳光さんの病歴と、妻の健康状態についての話は別に考える必要があります。
徳光和夫の息子は2人!次男は徳光正行
徳光和夫さんには2人の息子がおり、次男がタレントの徳光正行さんです。
徳光正行さんは父親と同じくメディアの世界で活動し、テレビやラジオで司会やトークの仕事を経験してきました。
父親が長年にわたり国民的な知名度を持つ司会者だったこともあり、正行さん自身が語る家族のエピソードは番組で取り上げられることがあります。
特に『しくじり先生 俺みたいになるな!!』への出演などを通じて、父親との関係や自身の生活を振り返った話題が知られています。
ただし、テレビで語られた過去のエピソードは、当時の親子関係や生活についての話です。それだけで現在も同じ関係が続いていると判断することはできません。
徳光和夫の長男は何をしている?現在の職業は?
徳光和夫さんの長男は、次男の正行さんと比べるとテレビ出演の機会が少なく、詳しいプロフィールもあまり知られていません。
2024年には、長男の娘が出産したことが報じられました。
このニュースによって、徳光さんは曾祖父、長男は祖父になったことが分かります。
一方、長男の現在の職業や勤務先については、確認できる公開情報が限られています。
徳光さんの家族には芸能活動をしている人と、メディアにあまり登場しない人がいるため、情報量にも違いがあるようです。
徳光和夫の娘・長女はどんな人?
徳光和夫さんには娘が1人います。
子供は2男1女の3人ですが、娘については芸能活動やテレビ出演に関する情報が少なく、現在の職業もはっきりとは分かっていません。
徳光正行さんのように父親との共演やインタビューが多い人物ではないため、人物像を詳しく紹介できるだけの公表情報は限られています。
娘の結婚歴や子供の有無についても、今回確認できた資料からは明確に判断できません。
徳光和夫の甥っ子はミッツ・マングローブ!
徳光和夫さんの甥にあたるのが、タレント・歌手のミッツ・マングローブさんです。
ミッツさんは徳光さんの弟の息子で、2人は伯父と甥の関係にあります。
2025年9月放送のABCテレビ『これ余談なんですけど…』では、ミッツさんが徳光家の野球にまつわるエピソードを披露しました。
ミッツさんによると、親族の間には読売ジャイアンツを応援することが当たり前という雰囲気があったそうです。
子供の頃、広島カープを応援してみたいと話したところ、正月に集まった親族から厳しく言われたという経験を紹介しています。
徳光和夫さんからも、徳光家の一員としての立場を意識するような言葉をかけられたと語りました。
長年の巨人ファンとして知られる徳光さんですが、その情熱が親族の集まりにも表れていたことは意外ですよね。
徳光和夫には孫やひ孫もいる?
徳光和夫さんには孫がおり、2024年10月にはひ孫も誕生しています。
長男の娘が出産したことで、徳光さんは83歳のときにひいおじいちゃんになりました。
この出来事は2024年末の『年忘れにっぽんの歌』に関連して報じられています。
徳光さんは子供3人の父親であると同時に、孫やひ孫がいる家族の長老でもあります。
テレビで長く見てきた徳さんが、すでにひ孫のいる世代になっていると知ると、放送人生の長さを改めて感じますね。
徳光和夫の学歴は?出身小学校・中学校・海城高校・立教大学
徳光和夫さんの学歴は、海城高校卒業、立教大学社会学部卒業です。
特に海城高校での学生生活は、徳光さんの人生に大きな影響を与えました。
海城中学高等学校の公式サイトには本人のインタビューが掲載されており、野球部での活動や長嶋茂雄さんとの出会い、大学受験の経緯が詳しく紹介されています。
徳光和夫の出身小学校・中学校はどこ?
徳光和夫さんの出身小学校と中学校については、プロフィール系の記事で次の学校が紹介されています。
| 学校 | 学校名 |
|---|---|
| 小学校 | 目黒区立菅刈小学校 |
| 中学校 | 目黒区立第一中学校 |
ただし、これらの学校名については、今回確認した本人の公式プロフィールや海城高校のインタビューで明示されていません。
そのため、学校名は一部の紹介記事に掲載されている情報として扱います。
一方、小学生の頃から落語と野球が好きだったことは、徳光さん自身が語っています。
徳光さんは子供の頃、先生から教科書を読むように指名されると、落語家のような受け答えをしていたそうです。
中学生の頃には、先生が不在のホームルームで教壇に座布団を敷き、得意な落語を披露したこともあったといいます。
今ではテレビで軽妙なトークを披露する徳光さんですが、その原点は少年時代にあったのですね。
徳光和夫の出身高校は海城高校!野球部に所属
徳光和夫さんは、東京都新宿区にある海城高校の出身です。
海城高校の公式サイトでは、1959年(昭和34年)の卒業生として紹介されています。
本人によると、当初は都立高校への進学を希望していましたが、受験で不合格となり、海城高校に進学したそうです。
当時の海城高校は、ロカビリーファッションが流行するなど、今とはまた違った雰囲気があったと振り返っています。
徳光さんは高校入学後、野球部に所属しました。
小学生の頃から野球が大好きだったものの、体が小さかったこともあり、自分でプレーすることには消極的だったそうです。
しかし、中学校時代からの友人たちが野球部に入部したため、自身も野球を始めることになりました。
ところが、夏の合宿を終えた頃に体調を崩し、検査で肺結核の一歩手前だと指摘されます。
その結果、野球部での活動を断念することになりました。
ただ、野球への情熱がなくなったわけではありません。徳光さんはその後も野球部の試合を応援し、大学野球にも関心を持つようになります。
この出来事が、後の進路選択につながっていきました。
高校時代に長嶋茂雄と出会い人生が変わった
徳光和夫さんにとって大きな転機となったのが、1957年11月3日です。
当時高校2年生だった徳光さんは、立教大学と慶應義塾大学の野球の試合を観戦しました。
そこで目にしたのが、長嶋茂雄さんが放った東京六大学野球の通算本塁打新記録となるホームランです。
徳光さんは、ホームランを打った長嶋さんの躍動感や喜びに強く感動したと語っています。
そして、長嶋さんの後輩になるために立教大学への進学を目指すようになりました。
好きな野球選手への憧れが、大学選びにまで影響したというのは印象的なエピソードですよね。
その後、徳光さんは長嶋さんを追いかけるように日本テレビへの入社も目指しました。
2025年6月には、長嶋さんとの思い出を日刊スポーツの取材で詳しく語っています。
野球は徳光さんにとって単なる趣味ではなく、人生の進路に関わるほど大切な存在だったことが分かります。
徳光和夫の出身大学は立教大学社会学部
徳光和夫さんは、立教大学社会学部の出身です。
高校時代に長嶋茂雄さんのプレーに感動したことが、立教大学を受験する最大の理由になりました。
しかし、当時の先生からは学力的に合格が難しいのではないかと指摘されたそうです。
それでも徳光さんは進学を諦めませんでした。
本人のインタビューによると、親から4校分の大学受験料を渡されたものの、立教大学の複数学部の受験に使ったといいます。
経済学部、文学部、法学部などを受験し、最後に受けた社会学部では、試験の直前に勉強した問題集とよく似た問題が出題されました。
ところが、合格発表では自分の受験番号が見つかりません。
落胆しながら掲示板を確認していると、別の場所に補欠合格者の番号が掲載されていることに気づきます。
そこに自分の番号があったそうです。
徳光さんは、この出来事を非常にうれしかった思い出として語っています。
大学に進学した理由が明確だったからこそ、最後まで立教大学にこだわったのでしょう。
また、最初からすべてが順調だったわけではなく、受験の失敗や補欠合格を経験していた点も興味深いところです。
徳光和夫は落語家を目指していた?学生時代の意外な夢
徳光和夫さんは、アナウンサーになる前に落語家を目指した時期がありました。
小学生の頃から落語が好きで、高校時代には落語に詳しい先輩と一緒に文化祭の講堂で落語を披露したこともあったそうです。
さらに、本格的に落語家を目指そうと、柳家小さんさんの家まで足を運びました。
しかし、いざ入門を申し込もうとすると勇気が出ず、家の前を行ったり来たりしていたといいます。
その様子を見た弟子の方から声をかけられ、落語家になりたいという思いを伝えました。
ところが、両親の了承を得ていないことを話すと、まずは家に帰って親に相談するよう促されたそうです。
結局、両親に夢を打ち明けることはできませんでした。
徳光さんはこの経験も海城高校時代の思い出として語っています。
今の司会者としての姿を見ると、落語への関心はまったく無関係ではなかったように感じます。
人前で話すこと、相手を楽しませること、話の間を大切にすることなど、落語に親しんだ少年時代の経験は、現在の仕事にも通じる部分があります。
徳光和夫の実家や生い立ちは?父親・母親・兄弟との関係
徳光和夫さんは1941年に東京都で生まれ、目黒周辺で少年時代を過ごしました。
父親は映画やテレビに関わる仕事をしていた人物として知られています。
野球や落語、映画などに親しんだ家庭環境も、徳光さんの生い立ちを知るうえで興味深い部分です。
徳光和夫の父親は映画監督の徳光寿雄
徳光和夫さんの父親は、映画監督や日本テレビの社員として活動した徳光寿雄さんです。
映画制作に携わった後、日本テレビの開局期に入社し、外国映画の日本語吹き替え放送にも関わった人物として紹介されています。
日本でテレビ放送が広がり始めた時代に、映像の世界で仕事をしていたことになります。
徳光和夫さんも後に日本テレビへ入社していますが、本人が語る進路選択では、長嶋茂雄さんへの憧れが大きな理由として挙げられています。
父親がテレビ業界に関わっていたことだけで、徳光さんの進路が決まったわけではありません。
とはいえ、父親と息子が異なる立場から日本の映像・放送業界に携わってきたことは、徳光家の歴史を語るうえで興味深い点です。
徳光和夫の母親はどんな人?
徳光和夫さんの母親については、映画好きだったというエピソードが紹介されています。
父親が映画関係の仕事をしていたこともあり、徳光さんは子供の頃から映画に触れる機会があったと伝えられています。
一方、母親の詳しい職業や人物像については、公表されている情報が限られています。
徳光さんが高校時代に落語家を目指しながらも、両親にその夢を伝えられなかったことは、本人のインタビューから確認できます。
現在の徳光さんは大勢の人の前で堂々と話す司会者ですが、若い頃には両親へ自分の進路を相談することをためらった経験もあったのですね。
徳光和夫の兄弟は?弟の息子がミッツ・マングローブ
徳光和夫さんには弟がいます。
その弟の息子がミッツ・マングローブさんであり、2人は伯父と甥の関係です。
ミッツさんがテレビで語る親族のエピソードからは、徳光家の集まりや家族の雰囲気が伝わってきます。
特に野球へのこだわりは、徳光和夫さん個人だけでなく、親族間にも影響するほど大きなものだったようです。
ただし、家族の人数や現在の交流状況について、すべてが公表されているわけではありません。
徳光和夫の実家は金持ちだった?家庭環境や自宅について
徳光和夫さんの実家は、父親が映画やテレビに関わる仕事をしていた家庭です。
また、徳光さん自身は大学受験の際に親から受験料を渡されたことを語っています。
こうしたエピソードから、文化や教育に関心のある家庭で育った様子がうかがえます。
ただし、当時の年収や資産が公表されているわけではないため、実家が裕福だったと断定することはできません。
現在の自宅については、神奈川県茅ヶ崎市との関わりが知られています。
『路線バスで寄り道の旅』でも茅ヶ崎がゆかりのある地域として取り上げられていますが、詳しい住所や資産価値などは公式情報に掲載されていません。
生まれ育った東京の目黒と、現在ゆかりのある茅ヶ崎は、徳光さんの人生の異なる時期に関わる土地といえます。
徳光和夫の若い頃から現在までの経歴!人気になった理由は?
徳光和夫さんは1963年に日本テレビへ入社し、スポーツ実況や歌番組、朝の情報番組などで経験を積んできました。
1989年にフリーへ転身してからも、多くのテレビ番組で司会を務めています。
その歩みを振り返ると、一つの分野だけでなく、幅広いジャンルで活動を続けてきたことが分かります。
1963年に日本テレビへ入社!アナウンサーになったきっかけ
徳光和夫さんは立教大学を卒業後、1963年に日本テレビへ入社しました。
もともと野球好きだった徳光さんは、プロ野球の実況に携わりたいという思いを持っていたそうです。
2025年7月に文藝春秋で公開された本人の文章でも、長嶋茂雄さんへの憧れが立教大学への進学と、日本テレビ入社につながったことが紹介されています。
入社後はプロレスやプロ野球の中継を担当し、アナウンサーとして経験を積みました。
実況の仕事では、目の前で起きている出来事を正確かつ瞬時に言葉にする能力が求められます。
この経験は、後の生放送やバラエティー番組でも役立ったことでしょう。
若い頃はプロレス実況や歌番組でも活躍
日本テレビ時代の徳光和夫さんは、スポーツ実況だけでなく、バラエティー番組や歌番組でも活躍しました。
代表的な出演番組として、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』『NTV紅白歌のベストテン』などがあります。
スポーツ実況では熱い展開を瞬間的に伝え、歌番組では出演者の魅力や楽曲の背景を引き出すことが求められます。
このように、性格の異なる番組で経験を積んだことが、幅広い世代に親しまれる司会者になる基盤となりました。
若い頃の徳光さんは、現在のような穏やかな旅番組の印象だけでは語れない、活気ある放送現場で仕事をしていたのです。
『ズームイン!!朝!』で全国的な人気を獲得
徳光和夫さんの代表的な番組の一つが、日本テレビの『ズームイン!!朝!』です。
1979年に放送が始まり、徳光さんは初代総合司会を務めました。
朝の情報番組では、ニュースや天気予報を正確に伝えるだけでなく、視聴者に親しみやすい雰囲気を届けることも大切です。
徳光さんはスポーツの話題や軽妙なトークを交えながら、番組の顔として人気を集めました。
長年にわたって視聴者から「徳さん」と呼ばれるようになった背景には、この時代の活躍も大きく影響しています。
1989年に日本テレビを退社してフリーへ転身
徳光和夫さんは、1989年に日本テレビを退社してフリーアナウンサーになりました。
独立後は日本テレビだけでなく、ほかの放送局にも活動の幅を広げています。
これまでの代表的な出演番組には、『ザ・サンデー』『世界ウルルン滞在記』『24時間テレビ』『徳光和夫の名曲にっぽん』などがあります。
また、テレビ番組だけでなく、ラジオ出演、イベント司会、著書の出版などにも携わってきました。
2021年には著書『徳光流 生き当たりばったり』も刊行しています。
1963年の入社から現在まで、長いキャリアを築いてきた徳光さんですが、仕事の内容は時代によって変化しています。
スポーツ実況から朝の情報番組、バラエティー、歌番組、旅番組へと活動を広げたことが、長年にわたる人気につながっているのでしょう。
『24時間テレビ』での活躍と70歳のマラソン挑戦
徳光和夫さんを語るうえで、『24時間テレビ』も欠かせません。
徳光さんは長年にわたり番組の司会や出演を務め、感動的な場面で涙を流す姿が印象に残っている方も多いと思います。
また、2011年には70歳でチャリティーマラソンに挑戦しました。
過去に心筋梗塞を経験していたこともあり、この挑戦は大きな話題になりました。
徳光さんの涙もろいイメージは『24時間テレビ』と結びついて語られることが多いものの、長年の司会経験を支えているのは、スポーツ実況や情報番組で培った技術でもあります。
長嶋茂雄との関係は?巨人ファンになった原点
徳光和夫さんは、熱烈な読売ジャイアンツファンとして知られています。
特に長嶋茂雄さんへの思い入れは強く、学生時代から人生の進路にまで影響する存在でした。
高校時代に長嶋さんのホームランを見たことをきっかけに立教大学を志望し、その後、長嶋さんが所属する巨人の中継に関わりたいという思いで日本テレビへの入社を目指したと語っています。
2025年6月に長嶋茂雄さんが亡くなった際には、徳光さんが長年の思い出を語った記事も掲載されました。
日刊スポーツのインタビューでは、長嶋さんが自分の人生にとってどれほど大切な存在だったのかが伝えられています。
徳光さんにとって、長嶋さんは単なる憧れの野球選手ではありません。
進学や就職を考える際の大きな原動力であり、長年にわたって人生の節目に関わってきた人物だったのです。
徳光和夫は現在何をしている?2026年の出演番組や競馬予想
徳光和夫さんは、2026年10月現在もテレビやラジオで活動しています。
所属事務所の公式プロフィールでは、BSテレ東『徳光和夫の名曲にっぽん』、テレビ朝日『路線バスで寄り道の旅』、ニッポン放送『とくモリ!歌謡サタデー』などがレギュラー番組として紹介されています。
また、日テレG+公式YouTubeの『人生ジャイアンツ』も出演歴に掲載されています。
『路線バスで寄り道の旅』に現在も出演
『路線バスで寄り道の旅』は、徳光和夫さんと田中律子さんがゲストを迎え、路線バスで街を巡るテレビ朝日の旅番組です。
徳光さんが自由に寄り道を楽しむ姿や、ゲストとの飾らない会話が見どころとなっています。
2026年10月4日には勝俣州和さんを迎えた御殿場の旅が放送されました。
さらに、10月18日には佐々木久美さんをゲストに迎え、茅ヶ崎から湘南方面を巡る旅が放送予定です。
番組では徳光さんが地元の人と交流したり、おいしい食事を楽しんだりする様子が紹介されています。
かつて朝の生放送で秒単位の進行を担当していた徳光さんが、現在は自由な寄り道を楽しんでいるという対比も面白いですよね。
番組の放送日や再放送、見逃し配信の有無については、テレビ朝日の公式番組案内などで確認できます。
『徳光和夫の名曲にっぽん』で昭和歌謡の魅力を紹介
徳光和夫さんは、BSテレ東の『徳光和夫の名曲にっぽん』でも司会を担当しています。
この番組では、演歌や昭和歌謡を中心に、ベテランから若手まで多くの歌手を紹介しています。
2026年10月9日には、天童よしみさん、伍代夏子さん、長山洋子さんなどが出演する特集が放送されました。
この回では、水前寺清子さんや島倉千代子さん、弘田三枝子さんなどの貴重な映像も紹介され、懐かしい楽曲を歌い継ぐ内容となっています。
番組のMCは徳光さんと歌手のおかゆさんが務めています。
徳光さんは若い頃から数多くの歌番組に携わってきました。
長年の放送経験や歌手との交流があるからこそ、単に曲を紹介するだけでなく、歌謡界の歴史や出演者のエピソードを交えた司会ができるのでしょう。
なお、『徳光和夫の名曲にっぽん』の昭和歌謡人特集やムード歌謡特集、過去の放送回の動画・見逃し配信については、BSテレ東の番組公式サイトで最新の案内を確認できます。
ラジオ『とくモリ!歌謡サタデー』も放送中
徳光和夫さんは、ニッポン放送の『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』でもパーソナリティーを務めています。
番組は音楽・スポーツ・ニュース・人情話を柱に、徳光さんならではのトークやゲストとの会話を届ける内容です。
2026年10月10日の放送には歌手の成世昌平さんが出演し、三味線の生演奏や民謡に関するトークが紹介されました。
番組では石川みゆきさんがアシスタントを務めています。
さらに、リスナーからの楽曲リクエストやメッセージ、競馬予想なども取り上げられています。
メールの送り先は toku@1242.com で、公式に案内されている番組の連絡先です。
詳しい出演者やゲスト情報は、ニッポン放送の公式ページで確認できます。
徳光和夫の競馬予想はどこで見られる?
徳光和夫さんは、競馬好きとしても有名です。
『とくモリ!歌謡サタデー』では、競馬予想コーナー「勝負一発!徳さんの夢プレゼント」を放送しています。
番組公式ブログには予想が掲載されることがあり、2026年10月10日にはアイルランドトロフィーの予想が公開されました。
前週の毎日王冠では軸馬が最下位だったことにも触れ、気持ちを新たに予想したことが紹介されています。
このコーナーでは、予想が的中した場合にリスナーへ現金がプレゼントされる企画も案内されています。
応募方法や対象の放送回は変更されることがあるため、参加する場合は当日の放送や番組公式ページに掲載された条件を確認する必要があります。
徳光さんの場合、競馬の予想結果だけでなく、好きな馬やレースについて熱く語る姿も番組の魅力になっています。
2026年もコンサートや昭和歌謡イベントで活動
徳光和夫さんは、テレビやラジオのほか、昭和歌謡をテーマにしたコンサートやイベントにも関わってきました。
代表的な企画として、『人生の名曲に喝采を』があります。
これまでに数多くの歌手と交流し、音楽番組を担当してきた徳光さんにとって、歌謡イベントは長年の経験を生かせる仕事の一つです。
2026年のコンサートについても公演情報に関心が集まっていますが、出演者や会場、チケット料金、テレビ放送の有無は公演によって異なります。
そのため、個別の公演予定については主催者の公式案内で確認する必要があります。
徳光和夫は引退した?最近見ない理由は?
徳光和夫さんは、2026年10月現在、芸能界を引退していません。
かつては朝の情報番組や大型特別番組などで頻繁に姿を見せていましたが、現在は旅番組、歌番組、ラジオなどが活動の中心となっています。
そのため、以前と比べて地上波の全国ネット番組で見る機会が減ったと感じる方もいるかもしれません。
しかし、BS放送やラジオでは継続的に活動しています。
2026年10月9日には『徳光和夫の名曲にっぽん』が放送され、翌10日にはラジオ番組の公式ブログも更新されました。
現在の出演状況を見る限り、活動休止や引退ではなく、仕事の内容や出演する媒体が変わっていることが分かります。
徳光和夫の病気は?心筋梗塞・糖尿病や現在の健康状態
徳光和夫さんは、過去に心筋梗塞を経験しています。
また、糖尿病や手術、入院についても関心が集まっていますが、過去の病歴と現在の健康状態は分けて確認する必要があります。
2026年10月現在は番組出演を続けており、長期休養や引退を発表したという公式情報は確認できません。
徳光和夫は2001年に心筋梗塞を発症
徳光和夫さんは、2001年に心筋梗塞を発症しました。
心筋梗塞とは、心臓の筋肉に血液を送る冠動脈が詰まり、心筋に十分な血液が届かなくなる病気です。
徳光さんにとって重大な健康上の出来事でしたが、その後は仕事に復帰しています。
2011年には70歳で『24時間テレビ』のチャリティーマラソンにも挑戦しました。
心筋梗塞を経験しながら長年にわたり放送の仕事を続けていることは、徳光さんの経歴を語るうえで重要な出来事です。
ただし、過去にマラソンを完走したことだけで、現在の健康状態が良好だと判断できるわけではありません。
徳光和夫は糖尿病なの?過去の病歴を確認
徳光和夫さんについては、糖尿病を患っているのかという疑問もあります。
糖尿病に関する情報は過去から取り上げられてきましたが、現在の血糖値や治療内容など、詳しい医療情報までは公開されていません。
そのため、過去に報じられた病歴から、2026年現在の症状や重症度を断定することはできません。
また、心筋梗塞と糖尿病は異なる病気です。両者には医学的な関連がありますが、徳光さん個人の発症原因について、公開情報だけで判断することはできません。
徳光和夫は手術や入院をしていた?
徳光和夫さんについては、心筋梗塞の治療に加え、手術や入院に関する話題も取り上げられています。
ただし、インターネット上では過去の病歴と最近の出来事が混在していることがあります。
特に「最近入院した」「現在手術を受けている」という情報については、発表時期を確認することが重要です。
2026年10月13日現在、今回確認した所属事務所やレギュラー番組の公式情報には、徳光さんが長期入院しているという新たな発表はありません。
徳光和夫は現在も元気?活動休止していない?
徳光和夫さんは、2026年10月現在もテレビやラジオで活動しています。
ニッポン放送では10月10日に番組ブログが更新されており、BSテレ東でも10月9日に出演番組が放送されています。
こうした活動状況から、少なくとも長期の芸能活動休止状態にはないことが分かります。
ただし、番組出演を続けていることと、健康上の問題がまったくないことは同じではありません。
徳光さんの最新の健康状態については、本人が公表している情報の範囲で把握することになります。
徳光和夫の年収や資産はいくら?現在の収入源やギャラを紹介
徳光和夫さんは、日本テレビのアナウンサー時代から60年以上にわたり放送業界で活動してきました。
そのため、現在の年収や総資産、テレビ番組の出演料についても関心が集まっています。
ただし、収入や資産の正確な金額は公表されていません。
徳光和夫の年収はどれくらい?
2026年現在の徳光和夫さんの正確な年収は不明です。
現在の主な仕事には、テレビ・ラジオ出演、イベント司会、講演、著書、CMなどがあります。
所属事務所の公式プロフィールでは、サントリー「セサミン」のCMや、日テレG+公式YouTube『人生ジャイアンツ』も活動歴に掲載されています。
こうした複数の仕事が収入源となっている可能性はありますが、出演料や契約金額が公表されているわけではありません。
ネット上には推定年収を紹介する記事もありますが、本人や所属先が認めた金額とは限りません。
『路線バスで寄り道の旅』のギャラはいくら?
徳光和夫さんが出演する『路線バスで寄り道の旅』についても、具体的な出演料は明らかになっていません。
徳光さんは長年のキャリアを持つベテラン司会者であり、番組の中心人物です。
ただし、テレビ出演のギャラは、番組の制作費や出演契約、収録回数などによって異なります。
番組内で出演料が公表されていないため、1回あたりのギャラを特定することはできません。
徳光和夫の総資産や自宅の価値は?
徳光和夫さんの総資産についても、正確な金額は確認できません。
日本テレビの局アナ時代から長年にわたり活動し、フリー転身後も多くの番組へ出演してきたことは事実です。
しかし、収入が多い時期があったとしても、現在の預貯金や不動産を含む資産額まで分かるわけではありません。
自宅については茅ヶ崎との関わりが知られていますが、詳しい評価額や所有不動産などは公表されていません。
徳光和夫に結婚式の司会を依頼できる?値段は?
徳光和夫さんは、テレビ番組だけでなく、式典やイベントで司会を務めてきた実績があります。
そのため、結婚式の司会を依頼した場合の料金にも関心が集まっています。
ただし、一般向けに一律の司会料金が公表されているわけではありません。
出演を依頼できるかどうかや料金は、日程、会場、拘束時間、企画内容などによって変わります。
所属事務所はソニー・ミュージックアーティスツであり、仕事に関する正式な問い合わせ先は所属事務所の案内を確認することになります。
徳光和夫の性格・人柄は?涙もろい司会者の素顔
徳光和夫さんは「涙もろい司会者」という印象が強い一方、学生時代から人前で話すことが好きで、野球や落語に熱中してきた人物です。
本人のインタビューを読むと、テレビで見る姿だけでは分からない、人付き合いに対する考え方も見えてきます。
徳光和夫が涙もろいと言われる理由
徳光和夫さんは、『24時間テレビ』をはじめ、感動的な場面で涙を流す姿が広く知られています。
出演者の挑戦や家族の物語などを紹介する場面で、感情が表に出ることがありました。
そのため、徳光さんといえば涙という印象を持っている視聴者も少なくないでしょう。
ただし、すべての場面で同じ感情を抱いているかどうかは、本人にしか分かりません。
長年にわたり歌手やスポーツ選手、一般の出演者と接してきた徳光さんには、相手の話を聞く司会者としての一面もあります。
徳光和夫が語る人付き合いの考え方
徳光和夫さんは、海城高校の公式インタビューで、人付き合いに対する考え方を語っています。
人と会うときには、その相手のどの部分を好きになれるのかを考えることがあるそうです。
相手の好ましい部分を見つけることで、会話が深まり、互いに打ち解けやすくなるという趣旨の話をしています。
こうした姿勢は、海城高校で過ごした3年間の経験から生まれたと振り返っています。
私はこのエピソードから、徳光さんが単に話し上手なだけではなく、相手への関心を大切にしてきた人物なのだという印象を受けました。
テレビでは涙もろさや軽妙なトークが目立ちますが、その背景には人間関係についての独自の考え方があることが分かります。
テレビの優しい印象と巨人への熱い一面
徳光和夫さんは、普段の司会では穏やかな雰囲気を見せることが多い一方、読売ジャイアンツへの情熱が非常に強いことで知られています。
甥のミッツ・マングローブさんが語った親族のエピソードからも、徳光家で野球が特別な存在だったことがうかがえます。
巨人以外のチームを応援したいという話が親族の集まりで話題になるほど、野球へのこだわりが強かったようです。
ただし、こうしたエピソードだけで徳光さんの性格を断定することはできません。
少年時代に落語へ熱中したことや、長嶋茂雄さんへの憧れを長年持ち続けたことなど、一つのことを深く好きになる一面もあります。
徳光和夫の周囲からの評判は?
徳光和夫さんは、長年にわたり多くの歌手や俳優、スポーツ選手と共演してきました。
音楽番組では昭和歌謡の歴史に詳しく、スポーツの話題では選手への強い思い入れを語ることがあります。
一方、テレビやラジオでの発言が話題になり、賛否の声が出ることもあります。
ただし、番組内の一場面やSNSの反応だけで、普段の性格や周囲からの評価を決めつけることはできません。
徳光さん本人が語る人付き合いの考え方や、実際の出演番組で見せている行動を合わせて見ることで、人物像をより深く理解できます。
徳光和夫のwiki風プロフィールまとめ
徳光和夫さんは、日本テレビの人気アナウンサーとして活躍し、独立後も長年にわたってテレビ・ラジオで活動してきたベテラン司会者です。
最後に、プロフィールや家族、学歴、経歴、現在の活動について重要なポイントを振り返ります。
- 徳光和夫さんは1941年3月10日生まれで、2026年10月現在85歳です。
- 東京都出身で、身長163cm、血液型はB型です。
- 1963年に日本テレビへ入社し、1989年にフリーへ転身しました。
- 妻との間に息子2人と娘1人がおり、次男はタレントの徳光正行さんです。
- 甥はミッツ・マングローブさんで、2024年にはひ孫も誕生しました。
- 出身高校は海城高校、大学は立教大学社会学部です。
- 高校時代に長嶋茂雄さんのホームランを見たことが、進路を決める大きなきっかけになりました。
- 若い頃は落語家を目指した時期もあり、学生時代から人前で話すことが好きでした。
- 『ズームイン!!朝!』『24時間テレビ』など、多くの人気番組で活躍しました。
- 2001年に心筋梗塞を経験しましたが、現在も放送の仕事を続けています。
- 2026年現在は『路線バスで寄り道の旅』『徳光和夫の名曲にっぽん』『とくモリ!歌謡サタデー』などに出演しています。
- 現在の正確な年収や総資産は公表されていません。
徳光和夫さんは、涙もろい司会者として知られるだけでなく、野球や落語、歌謡曲への深い愛情を持ち、人との縁を大切にしてきた人物です。
学生時代に長嶋茂雄さんと出会ったことで人生の進路が変わり、その後60年以上にわたって放送業界で活動を続けてきました。
85歳となった現在も、テレビやラジオで自分らしいトークを届けている徳光さん。これからも、長年の経験を生かした活躍に注目したいですね。

