
元厚生労働大臣で、公明党副代表などを務めた坂口力(さかぐち・ちから)さんが2026年8月7日に亡くなりました。
92歳でした。
公明党が8月12日に発表し、時事通信やFNNプライムオンラインなどが訃報を報じています。死因は老衰で、香川県高松市内の病院で亡くなったことも明らかになっています。
坂口力さんといえば、医師から政治家に転身し、中央省庁再編によって厚生省と労働省が統合された際の初代厚生労働大臣を務めた人物です。
特にハンセン病国家賠償訴訟で国が敗訴した際、政府内で控訴断念を強く訴えたことは、大きな功績として語り継がれています。
妻や子供など家族についても、2026年に掲載された回顧記事で、結婚後に2人の子供に恵まれたことが紹介されています。
坂口力さんが92歳で死去|死因は老衰
坂口力さんの死去について、公明党が2026年8月12日に発表しました。
死因は「老衰」と公表されており、特定の病気や事故が死因として伝えられているわけではありません。
坂口力さんはいつ亡くなった?
坂口力さんが亡くなったのは、2026年8月7日午後11時54分です。
時事通信によると、香川県高松市内の病院で亡くなり、92歳でした。
公明党が訃報を公表したのは8月12日です。
坂口力さんは1934年4月1日生まれだったため、2026年4月に92歳を迎えていました。
坂口力さんの死因は老衰
坂口力さんの死因は老衰です。
FNNプライムオンラインも、公明党による発表として、坂口力さんが高松市内で老衰のため亡くなったと伝えています。
「坂口力さんは何か病気だったのでは?」と気になった人もいるかもしれませんが、今回の訃報で死因として発表されたのは老衰です。
過去の病歴などが今回の死去に直接関係したという説明は、公明党の発表や主要報道では出ていません。
坂口力さんの葬儀は近親者のみで行われた
坂口力さんの葬儀については、近親者のみで行われたことが報じられています。
一般の参列者を受け入れる葬儀の日程や会場については発表されていません。
お別れの会などについても、2026年8月12日時点で具体的な案内は出ていません。
長く政界や医療・社会保障分野に関わった人物だけに、今後、公明党や関係団体から追悼の機会について新たな発表が出ることも考えられます。
坂口力さんのwikiプロフィール|三重県出身の医師・医学博士
坂口力さんは政治家になる前、医師として地域医療や献血事業に携わっていました。
三重県の山間部で育ち、現在の三重大学にあたる三重県立大学医学部へ進学。医学博士号も取得しています。
医療現場を経験してから国政へ進んだ経歴は、後の厚生労働行政にも大きくつながっています。
坂口力さんのプロフィール
坂口力さんの主なプロフィールは次の通りです。
- 名前:坂口力(さかぐち ちから)
- 生年月日:1934年4月1日
- 死去:2026年8月7日
- 年齢:92歳
- 出身地:三重県一志郡白山町(現在の津市)
- 職業:政治家、医師
- 学位:医学博士
- 出身大学:三重県立大学医学部、同大学大学院医学研究科
- 現在の大学名:三重大学
- 所属政党:公明党など
- 衆議院議員:11期
- 主な役職:労働大臣、厚生大臣、初代厚生労働大臣、公明党副代表
日本医師会の資料でも、坂口力さんは三重県出身で、三重県立大学医学部を卒業後に医師免許を取得した経歴が紹介されています。
坂口力さんの学歴は三重大学の前身・三重県立大学
坂口力さんは、現在の三重大学につながる三重県立大学医学部を1960年に卒業しました。
翌1961年に医師免許を取得し、その後、同大学大学院医学研究科へ進学。
1965年に大学院を修了し、医学博士となっています。
三重大学は2013年、坂口力さんが地域医療や献血事業、国の医療・社会保障政策に貢献したとして「三重大学名誉博士」の称号を授与しています。
政治家になる前は医師としてへき地医療に従事
坂口力さんは大学卒業後、三重県の宮川村などでへき地医療に携わりました。
その後は三重県赤十字血液センターに勤務し、副所長や所長として献血事業の普及に取り組んでいます。
2025年に出版された著書のプロフィールでも、無医村での診療や三重県赤十字血液センターで献血事業の充実に尽力した経歴が紹介されています。
医療現場から政治の世界へ進んだことが、坂口力さんの大きな特徴でした。
坂口力さんの経歴|衆議院議員11期・初代厚生労働大臣を歴任
坂口力さんは1972年の衆議院議員選挙で初当選し、その後、通算11期にわたって国会議員を務めました。
公明党だけでなく、政界再編期には公明新党、新進党、新党平和などにも所属し、再び公明党へ合流しています。
1972年に衆議院議員へ初当選
坂口力さんは医師として活動した後、1972年の衆議院議員選挙で初当選しました。
その後、落選した時期を挟みながらも11回当選。
長期にわたって厚生・労働・社会保障政策を中心に取り組みました。
公明党では副代表などの要職も務めています。
細川内閣で労働大臣に就任
1993年に細川護熙内閣が発足すると、坂口力さんは労働大臣に就任しました。
医師出身の政治家でありながら、医療や福祉だけでなく、雇用や労働行政にも深く関わっています。
2000年12月には第2次森内閣で厚生大臣と労働大臣を兼務しました。
2001年に初代厚生労働大臣へ
2001年1月6日の中央省庁再編で厚生省と労働省が統合され、新たに厚生労働省が発足しました。
その際、初代厚生労働大臣に就任したのが坂口力さんです。
その後、第1次小泉内閣でも留任し、2004年9月まで厚生労働大臣を務めました。
医療、年金、雇用、感染症対策など、厚生労働行政の大きな転換期を担当した大臣でした。
2012年に政界を引退
坂口力さんは2012年、衆議院議員を引退しました。
国会議員としての在職は通算11期に及びます。
引退後も医療や社会保障について発信を続け、90歳を超えてからも著書を出版していました。
2025年には『政治家よ、がんばれ』を出版しており、政界を離れた後も日本の医療、社会保障、政治のあり方について意見を発信していました。
坂口力さんの功績|ハンセン病控訴断念で果たした役割
坂口力さんの功績として特に知られているのが、ハンセン病問題への対応です。
厚生労働大臣だった2001年、熊本地裁が国の隔離政策を違法と判断した国家賠償請求訴訟で、坂口力さんは政府内で控訴しないよう強く働きかけました。
ハンセン病国家賠償訴訟で控訴断念を主張
2001年5月11日、熊本地方裁判所はハンセン病患者・元患者による国家賠償請求訴訟で国側敗訴の判決を言い渡しました。
当時、政府内では控訴を求める意見もありました。
一方、坂口力さんは厚生労働大臣として、元患者らが受けてきた人権侵害や差別を重く受け止め、控訴しないよう主張しました。
公明党の記録では、坂口力さんは官邸での協議でも「控訴には絶対に反対」という姿勢を崩さず、最終的に小泉純一郎首相が控訴断念を決めています。
厚生労働大臣としてハンセン病患者・元患者に謝罪
政府が控訴しないことを決めた後、坂口力さんは患者・元患者らに対して謝罪しました。
厚生労働省に残る2001年5月23日の記者会見記録でも、ハンセン病患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難について政府として反省し、謝罪すると述べています。
さらに厚生労働省は補償制度の創設など、ハンセン病問題の全面解決に向けた対応へ進みました。
坂口力さん自身も後年、この時の判断を政治家人生の中で繰り返し振り返っています。
坂口力さんの功績はカネミ油症・年金改革にも
坂口力さんの厚生労働行政での功績は、ハンセン病問題だけではありません。
カネミ油症被害者の救済や2004年の年金制度改革など、現在にもつながる政策に深く関わりました。
カネミ油症被害者救済に尽力
カネミ油症は、1968年に西日本を中心に発生した大規模な食品公害です。
PCBなどに汚染された食用油を摂取した人々に健康被害が発生し、その後も長期間にわたって救済が課題となりました。
坂口力さんは厚生労働大臣だった2001年、PCBだけでなくPCDFなどのダイオキシン類が健康被害の主因となっていることを認める方向を示し、認定基準の見直しにつながる動きを後押ししました。
政界引退前には超党派の「カネミ油症被害者に関する施策の総合的な推進に関する法律」の成立にも関わっています。
公明党は、坂口力さんが超党派議員連盟の会長として救済法成立を進めた経緯を紹介しています。
2004年の年金改革を厚生労働大臣として担当
坂口力さんは厚生労働大臣として、2004年の年金制度改革にも深く関わりました。
少子高齢化が進む中で、保険料負担と給付水準をどのように維持するかが大きな政治課題となっていた時期です。
改革では、将来の保険料水準を一定の上限に抑えながら、人口や経済状況に応じて給付水準を調整する仕組みなどが導入されました。
後に「100年安心」と呼ばれることが多くなった年金制度改革について、坂口力さん自身も2011年のインタビューで当時の考えを語っています。
一方、この改革は負担増や給付水準をめぐって当時から野党の強い批判も受けました。
坂口力さんの政治経歴を見るうえでは、ハンセン病問題のように幅広く評価された政策だけでなく、年金改革のように賛否が分かれた政策も担当した人物だったことが分かります。
坂口力さんの妻は誰?家族構成を確認
坂口力さんは私生活を大きく公表する政治家ではありませんでしたが、妻と結婚し、2人の子供に恵まれたことが本人の回顧記事などから分かっています。
家族について詳しい職業や現在の生活などはほとんど公表されていません。
坂口力さんには妻がいた
坂口力さんは結婚しており、妻がいました。
2026年1月に掲載された聖教新聞の回顧記事でも、坂口力さんが結婚して家庭を築いた経緯が紹介されています。
ネット上の一部プロフィールでは妻の名前を「坂口久子さん」とする記載もあります。
ただ、今回確認した公明党の資料や主要報道の訃報では、妻の氏名や年齢、職業などの詳しいプロフィールは紹介されていません。
一般人の家族でもあり、公表されている範囲は限られています。
坂口力さんには2人の子供がいる
坂口力さんには2人の子供がいます。
2026年1月の回顧記事では、結婚後に「2人の子宝に恵まれた」と紹介されています。
坂口力さんの著書『タケノコ医者―差別なき医療をめざして』には「妻よ娘よ、ありがとう」という章もあり、家族への思いについて触れています。
一方、2人の子供の氏名や現在の職業などについては、今回確認した公的資料や主要報道では詳しく紹介されていません。
政治家本人とは異なり、家族は表立った活動をしていないとみられます。
坂口力さん死去|死因・経歴・功績・家族
坂口力さんは2026年8月7日午後11時54分、香川県高松市内の病院で亡くなりました。
92歳で、死因は老衰です。公明党が8月12日に訃報を発表し、葬儀は近親者のみで行われたことも伝えられました。
坂口力さんは三重県出身で、現在の三重大学につながる三重県立大学医学部・大学院で医学を学んだ医師、医学博士でした。
へき地医療や献血事業に携わった後、1972年に衆議院議員へ初当選。通算11期を務め、労働大臣、厚生大臣、公明党副代表などを経て、2001年に初代厚生労働大臣となりました。
厚生労働大臣時代には、ハンセン病国家賠償訴訟で政府内から控訴断念を強く訴えたほか、カネミ油症問題や年金改革などにも関わっています。
家族については妻がおり、2人の子供に恵まれたことが2026年の回顧記事で確認されています。
医師として患者と向き合った経験を持ち、その後は国政で医療・福祉・雇用・年金という生活に直結する政策を担った坂口力さん。
初代厚生労働大臣として歩んだ経歴と、ハンセン病問題などで残した足跡は、今後も日本の社会保障政策を振り返る中で語られていくことになりそうです。

