
エッセイストや画家として知られ、長野県東御市で「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を手がけた玉村豊男(たまむら・とよお)さんが亡くなったことが分かりました。
共同通信は2026年8月25日、玉村豊男さんが同月9日に肝細胞がんのため死去したと報じています。80歳でした。
玉村さんは『パリ 旅の雑学ノート』『料理の四面体』などで知られる人気エッセイストです。
一方で画家、農園経営者、ワイナリーオーナーという顔も持ち、長野県東御市を中心とする日本ワイン産地の発展にも長く関わってきました。
過去にはC型肝炎や肝がんを患ったことを自ら著書で明かしており、病気と付き合いながら執筆や絵画、ワイン造りを続けていました。
玉村豊男さん死去|8月9日に肝細胞がんで80歳の生涯を閉じる
玉村豊男さんの訃報が報じられたのは2026年8月25日です。
実際に亡くなったのは8月9日で、死因についても肝細胞がんと伝えられています。
玉村豊男さんは2026年8月9日に死去
共同通信によると、玉村豊男さんは2026年8月9日、肝細胞がんのため亡くなりました。
80歳でした。
玉村さんは1945年10月8日生まれなので、81歳の誕生日を迎える約2カ月前の死去となります。
訃報が伝えられる直前まで、ヴィラデストの公式サイトには玉村さんの活動や著書が掲載されていました。
2026年6月には、新刊『ブドウ畑の傍らで暮らす』が発売されたばかりでした。ヴィラデスト公式サイトによると、2024年から2025年にかけて書き下ろした文章を一冊にしたものです。
亡くなる直前まで執筆活動を続けていた
ヴィラデストの公式サイトでは、2026年5月にも週刊現代の連載「なりゆきまかせの老年計画」の掲載が案内されていました。
6月には新刊も発売されており、80歳になってからも文筆活動を続けていたことが分かります。
長年にわたり「食」「旅」「農業」「田舎暮らし」「ワイン」など、自らの生活と深く結び付いたテーマを書き続けたエッセイストでした。
玉村豊男さんの死因は?肝細胞がんと過去の病気
玉村豊男さんの死因は「肝細胞がん」と報じられています。
玉村さんの場合、今回初めて肝臓の病気が明らかになったわけではありません。
過去にはC型肝炎を患い、その後、肝がんが見つかったことを自ら公表していました。
玉村豊男さんの死因は肝細胞がん
2026年8月25日の共同通信の訃報では、玉村豊男さんが肝細胞がんのため亡くなったことが明記されています。
そのため、ネット上で推測されている病名ではなく、公に伝えられた死因です。
一方、亡くなる直前にどのような治療を受けていたのか、入院していたのかといった詳しい経過については、現在までの訃報では明らかになっていません。
1986年にC型肝炎が判明していた
玉村豊男さんは、自身の病歴を隠すことなく著書でも綴っていました。
世界文化社が2018年に『病気自慢 からだの履歴書』を刊行した際の著者紹介によると、玉村さんは1986年に輸血後肝炎、のちのC型肝炎にかかっていることが判明しました。
玉村さんは40代のころに大量吐血を経験し、治療の過程で輸血を受けています。
本人はその後の病歴をユーモアを交えながら文章にしており、病気との付き合いも自身の作品の題材にしていました。
C型肝炎は2015年に治療、その後2016年に肝がん
世界文化社によると、玉村さんのC型肝炎は2015年に投薬治療によって治癒したものの、翌2016年に肝がんが見つかりました。
2018年に『病気自慢 からだの履歴書』が発売された時点でも、検査や治療を続けていることが紹介されています。
今回の訃報では死因が肝細胞がんと伝えられていますが、2016年に見つかった肝がんから亡くなるまでの詳しい病状の推移は公表されていません。
玉村豊男さんは何歳?wikiプロフィール・生年月日や出身地
玉村豊男さんは1945年10月8日生まれで、東京都杉並区出身です。
2026年8月9日に80歳で亡くなりました。
父親は日本画家の玉村方久斗さんで、玉村さん自身も後年、画家として本格的な活動を始めています。
玉村豊男さんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 玉村豊男 |
| 読み方 | たまむら とよお |
| 生年月日 | 1945年10月8日 |
| 年齢 | 80歳で死去 |
| 出身地 | 東京都杉並区 |
| 学歴 | 都立西高校、東京大学文学部仏文科 |
| 留学 | パリ大学言語学研究所 |
| 職業 | エッセイスト、画家、ワイナリーオーナー |
| 主な著書 | 『パリ 旅の雑学ノート』『料理の四面体』『田園の快楽』など |
| 拠点 | 長野県東御市 |
| ワイナリー | ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー |
| 妻 | 玉村抄恵子さん |
| 死去 | 2026年8月9日 |
| 死因 | 肝細胞がん |
ヴィラデストの公式プロフィールでは、エッセイスト・画家・ワイナリーオーナーという3つの肩書で紹介されています。
玉村豊男さんの学歴|東京大学文学部仏文科を卒業
玉村豊男さんは東京都立西高校を経て、東京大学文学部仏文科へ進学しました。
大学時代にはフランスへ渡り、パリ大学言語学研究所に2年間留学しています。
都立西高校から東京大学へ進学
ヴィラデストの公式プロフィールによると、玉村さんは都立西高校を卒業後、東京大学へ進学。
1971年に東京大学仏文科を卒業しました。
現在の学部名でいえば、東京大学文学部のフランス語フランス文学にあたる分野です。
パリ大学言語学研究所に2年間留学
大学在学中には、パリ大学言語学研究所へ2年間留学しました。
フランスでの経験は、その後の玉村さんの人生に大きく影響しています。
ワインや食文化への関心もフランス滞在と深く結び付き、後にエッセイや料理本、ワイナリー経営へとつながっていきました。
大学卒業後は通訳や翻訳の仕事を経て、文筆業へ進んでいます。
玉村豊男さんの経歴|エッセイスト・画家として活躍
玉村豊男さんは一つの肩書では表せない人物でした。
エッセイストとして人気を得た後、画家としても活動し、さらに農園やワイナリーを経営するなど、自分自身の暮らしを仕事へと結び付けていきました。
1977年『パリ 旅の雑学ノート』で注目
1977年、玉村さんは『パリ 旅の雑学ノート』を出版します。
ヴィラデストの公式プロフィールでは、同作と1980年刊行の『料理の四面体』によってエッセイストとしての地歩を築いたと紹介されています。
その後も、
- 旅
- 都市
- 料理
- 食文化
- 田舎暮らし
- ライフスタイル
- 農業
- ワイン
など幅広いテーマで執筆を続けました。
代表作『料理の四面体』
玉村豊男さんを代表する著書として現在も名前が挙がるのが『料理の四面体』です。
1980年に刊行された作品で、料理を独自の視点から捉えた食文化エッセイとして長く読み継がれてきました。
講談社の人物事典でも、『料理の四面体』は玉村さんの代表的な著作として紹介されています。
ほかにも『田園の快楽』『里山ビジネス』『回転スシ世界一周』『病気自慢』など多数の著書を残しました。
病気をきっかけに絵画制作を再開
玉村さんは高校時代まで絵を描いていましたが、その後長く中断していました。
ヴィラデストの公式プロフィールによると、病気を経験したことをきっかけとして1987年ごろから絵画制作を再開。
1989年に長野県上田市で初の個展を開催しました。
1994年以降は毎年複数回の個展や巡回展を開催し、画家としても活動しています。
花や野菜、果物、風景など、農園での暮らしと結び付いた作品も数多く残しました。
玉村豊男さんの功績|ヴィラデストと日本ワインの発展に貢献
玉村豊男さんの晩年を代表する活動が、日本ワインと地域づくりです。
単に自らワインを造っただけではなく、これからワイナリーを始める人材を育成し、長野県東御市周辺をワイン産地として発展させる活動にも携わりました。
1991年に妻と長野県東御市へ移住
玉村さんは1983年から8年間、長野県軽井沢町で暮らしました。
その後1991年、妻の抄恵子さんとともに現在の長野県東御市へ移住しています。
ヴィラデスト公式サイトによると、夫妻は西洋野菜やハーブを栽培する農園「ヴィラデスト」を始めました。
当初から大規模なワイナリーをつくる計画だったわけではなく、農業と田舎暮らしから活動が広がっていった形です。
ヴィラデストワイナリーを開業
玉村さんはブドウ栽培にも取り組むようになり、2003年に果実酒製造免許を取得しました。
その後、「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を立ち上げています。
ブドウ畑を眺めながら、その土地で造られたワインと地元食材を使った料理を楽しめる場所をつくり、農業・食・観光を組み合わせたライフスタイルを発信しました。
ヴィラデストは、現在の千曲川ワインバレーを代表するワイナリーの一つとなっています。
千曲川ワインバレー構想を後押し
玉村さんの活動は自身のワイナリーだけにとどまりません。
2013年には『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』を刊行。
翌2014年に日本ワイン農業研究所を設立し、2015年にはワイナリー「アルカンヴィーニュ」を立ち上げました。
さらに「千曲川ワインアカデミー」を主宰し、ブドウ栽培や醸造だけでなく、ワイナリーの起業や経営を学ぶ場をつくっています。
朝日新聞の紹介でも、玉村さんは「信州ワインバレー構想を主導」した人物として紹介されていました。
日本ワインの新たな担い手を育成
日本フィランソロピー協会のインタビューによると、玉村さんは長野県東御市の土地を開墾し、ブドウ栽培とワイン造りを長年続けてきました。
その姿をきっかけに、周辺にはワイン造りを目指す人々が集まるようになっています。
ヴィラデスト公式サイトも、東御市を中心とする千曲川ワインバレーにワイナリーをつくりたい若者が集まり、小規模ワイナリーが集積する新たな産地づくりを目指していると説明しています。
文筆家が始めた田舎暮らしが、日本ワインの産地形成や人材育成へ広がった点は、玉村さんの大きな功績といえます。
玉村豊男さんの妻は玉村抄恵子さん|家族構成は?
玉村豊男さんの妻は、玉村抄恵子さんです。
夫婦で1991年に長野県東御市へ移り住み、農園「ヴィラデスト」を始めたことが公式サイトで紹介されています。
一方、子供については、公式プロフィールや今回の訃報で具体的な情報は明らかになっていません。
妻・玉村抄恵子さんとヴィラデストを始める
ヴィラデストの公式サイトには、1991年8月に「玉村豊男、抄恵子夫妻」が長野県東部町、現在の東御市へ移住したことが記録されています。
夫妻は西洋野菜やハーブを栽培する農園「ヴィラデスト」を始めました。
玉村さんが病気を経験して都市中心の生活を見直す中で、夫婦で田舎へ生活の場を移したことが、その後のワイン造りへつながっています。
妻・抄恵子さんも農園づくりを支えた
ヴィラデストが現在のワイナリーへ発展する以前から、抄恵子さんは玉村さんとともに東御市で農園生活を送っていました。
玉村さん一人だけで始めた事業ではなく、夫妻での移住と農園づくりがヴィラデストの出発点だったことは公式の沿革にも記されています。
妻の詳しい年齢や私生活については、今回の訃報では紹介されていません。
玉村豊男さんに子供はいる?
玉村豊男さんの子供については、ヴィラデストの公式プロフィールや主要な人物紹介、今回確認できた訃報では、人数や名前など具体的な情報が掲載されていません。
ネット上では子供の有無についてさまざまな情報が出ていますが、出典が明確ではないものもあります。
現時点で公に確認できる家族情報としては、妻の抄恵子さんとともに長野県東御市へ移住し、農園づくりを始めたことが中心となっています。
玉村豊男さん死去|死因・経歴・功績や家族について現在分かっていること
エッセイスト・画家・ワイナリーオーナーの玉村豊男さんは、2026年8月9日に肝細胞がんのため亡くなりました。80歳でした。
玉村さんは1945年10月8日、東京都杉並区生まれ。
都立西高校から東京大学文学部仏文科へ進み、在学中にはパリ大学言語学研究所へ2年間留学しました。
通訳・翻訳を経て文筆業へ進み、1977年の『パリ 旅の雑学ノート』、1980年の『料理の四面体』などでエッセイストとして広く知られるようになります。
病気をきっかけに絵画制作も再開し、画家として多くの個展を開催しました。
1991年には妻・玉村抄恵子さんと長野県東御市へ移住。
農園「ヴィラデスト」からワイン造りへ活動を広げ、ヴィラデストワイナリー、日本ワイン農業研究所、千曲川ワインアカデミーなどを通じて、日本ワインの産地づくりや次世代の生産者育成にも力を注ぎました。
病気については、1986年にC型肝炎が判明し、2015年の治療後、2016年には肝がんが見つかったことを自身で明かしていました。2026年8月に報じられた死因は肝細胞がんです。
エッセイ、絵画、農業、料理、そしてワイン。
一見異なる分野を自身の暮らしの中でつなぎ合わせてきた玉村豊男さんの活動は、著作だけでなく、長野県東御市に広がるブドウ畑や、日本ワインを志す人々にも受け継がれていくことになります。

