
『美代子阿佐ヶ谷気分』などで知られる漫画家の安部慎一さんが、2026年9月4日未明に76歳で亡くなりました。
訃報を公表したのは、息子でミュージシャンの安部コウセイさんです。
死因についても明らかにされており、顎下腺がんだったことが分かっています。
安部慎一さんは1970年代の漫画誌『ガロ』を代表する作家の一人として知られ、妻・美代子さんとの生活を題材にした私小説的な作品で独自の世界を築きました。
一方、1980年代には統合失調症を発症したことも報じられており、病気と向き合いながら作品を描き続けてきた経歴があります。
安部慎一さんの死去と死因、過去の病気、76歳までの経歴や功績、代表作、妻・美代子さんや息子の安部コウセイさんら家族について詳しく見ていきます。
安部慎一さんが76歳で死去|2026年9月4日未明に亡くなる
漫画家の安部慎一さんが亡くなったのは、2026年9月4日未明です。
訃報が広く知られることになったのは9月8日で、息子の安部コウセイさんが自身のXを通じて父の死を公表しました。
ORICON NEWSも同日、安部慎一さんが76歳で亡くなったことを報じています。
安部慎一さんの訃報は息子・安部コウセイさんがXで発表
安部コウセイさんは2026年9月8日、Xで父・安部慎一さんが9月4日未明に亡くなったと報告しました。
投稿では死因についても「顎下腺癌」と明らかにされています。
さらに、通夜と葬儀についてはすでに近親者のみで執り行ったことを伝え、「父の作品はずっと生き続けます」と父が残した作品への思いをつづっています。
一般向けのお別れの会などについては、今回の発表では触れられていません。
安部慎一さんの年齢は76歳だった
安部慎一さんは1950年生まれで、亡くなった時の年齢は76歳でした。
福岡県出身で、若い頃から漫画家を志し、20歳だった1970年に『ガロ』でデビューしています。
1970年代初頭から頭角を現したため、半世紀以上にわたり日本のオルタナティブ漫画・私漫画の歴史に名前を残してきた作家といえます。
安部慎一さんの死因は顎下腺がん|どんな病気だった?
安部慎一さんの死因については、家族から具体的に公表されています。
息子・安部コウセイさんの発表によると、死因は顎下腺がんでした。(X)
ただし、いつ顎下腺がんと診断されたのか、どのような治療を受けていたのかなど、闘病の詳しい経過までは明かされていません。
顎下腺がんとは顎の下にある唾液腺に発生するがん
日本頭頸部外科学会によると、顎下腺がんは、大唾液腺の一つである「顎下腺」に発生する悪性腫瘍です。
顎下腺は顎の下に左右一つずつあり、唾液を作る役割を持っています。
同学会では、顎下腺がんは唾液腺がん全体の2~3割を占め、当初は痛みを伴わないしこりとして気付くケースが多いと説明しています。進行に伴って痛みやしびれが現れる場合もあります。
国立がん研究センターも、耳下腺・顎下腺・舌下腺などから発生する悪性腫瘍を「唾液腺がん」と呼び、複数の組織型が存在するとしています。
こうした内容は顎下腺がん全般についての医学的な説明であり、安部慎一さん本人にどのような症状があったのかを示すものではありません。
安部慎一さんの顎下腺がんの闘病期間や治療内容は?
安部慎一さんが顎下腺がんと診断された時期や、入院・手術などの治療歴については、安部コウセイさんの発表では詳しく触れられていません。
ORICON NEWSの訃報でも、2026年9月4日に顎下腺がんのため亡くなったことが伝えられている一方、がんの病期や治療期間などは報じられていません。
そのため、現在明らかになっている病気に関する情報は、家族が死因として顎下腺がんを公表したところまでとなっています。
安部慎一さんは過去に統合失調症を発症|病気を抱えながら漫画を描き続けた
安部慎一さんの病気については、今回公表された顎下腺がんとは別に、過去に統合失調症を発症したことも報じられています。
ORICON NEWSによると、安部慎一さんは1980年代に統合失調症を発症しました。
その後も完全に創作から離れたわけではなく、自身の生活や精神状態とも向き合いながら作品を残していきました。
1980年代に統合失調症を発症
安部慎一さんは1970年代、『ガロ』を中心に活躍していましたが、1980年代には統合失調症を発症したとされています。
精神的に不安定な時期を経験しながらも創作を続け、「僕はサラ金の星です!」「美代子田川気分」などの作品を発表しました。
1990年代には、漫画家・根本敬さんが作った「僕はサラ金の星です!」の手製コピー本が東京・中野ブロードウェイのタコシェで公開されるなど、再び作品が注目されるきっかけも生まれました。
その後、『Quick Japan』の企画「消えたマンガ家」で取り上げられたことなどから再評価が進んでいきます。
なお、今回公表された直接の死因は顎下腺がんであり、過去の統合失調症が死因だったという発表はありません。
漫画家・安部慎一さんのwiki風プロフィール|1950年福岡県出身
安部慎一さんは、1970年代の『ガロ』を語るうえで欠かせない漫画家の一人です。
日常生活や男女関係、自身の内面を作品に投影する私小説的な作風で知られ、後年にはフランスでも作品が出版されました。
プロフィールを簡潔に見ると、次のようになります。
- 名前:安部慎一(あべ しんいち)
- 職業:漫画家
- 生年:1950年
- 出身:福岡県
- デビュー:1970年
- デビュー作:「やさしい人」
- 主な活動媒体:『ガロ』『ヤングコミック』など
- 代表作:「美代子阿佐ヶ谷気分」など
- 死去:2026年9月4日未明
- 年齢:76歳
- 死因:顎下腺がん
国立国会図書館の書誌情報でも、安部慎一さんは1950年生まれの漫画家として登録されています。2025年には青林工藝舎から『美代子阿佐ヶ谷気分 安部慎一短編集』も刊行されました。
安部慎一さんはつげ義春・林静一の影響を受け漫画家へ
安部慎一さんは高校時代に永島慎二さんの「青春裁判」を読み、漫画家を目指すようになったとされています。
その後、『ガロ』で作品を発表していたつげ義春さんや林静一さんからも影響を受けました。(オ
つげ義春さんをはじめとした作家が開拓していた、作者自身の体験や心情を強く反映する漫画表現は、後の安部慎一さんの作品にもつながっていきます。
1970年「やさしい人」でデビュー
安部慎一さんは1970年、「やさしい人」で漫画家デビューしました。
その後、東京・阿佐ヶ谷で暮らし、当時恋人だった美代子さんとの生活を題材にした「美代子阿佐ヶ谷気分」を発表します。
日常や恋愛を作者自身の経験と重ねる作品は大きな特徴となり、「美代子阿佐ヶ谷気分」は安部慎一さんを代表する一作となりました。
安部慎一さんの経歴・功績|「ガロ三羽烏」と呼ばれ海外でも評価
安部慎一さんの功績は、日本国内の『ガロ』文化だけにとどまりません。
1970年代に独自の作風で注目を集めた後、作品が再評価され、2000年代にはフランスでも翻訳出版されました。
鈴木翁二・古川益三とともに「ガロ三羽烏」
コミックナタリーによると、安部慎一さんは1970年代に『ガロ』を中心に活躍し、鈴木翁二さん、古川益三さんとともに「ガロ三羽烏」と呼ばれていました。
『ガロ』は、商業漫画とは異なる個性的な表現を受け入れてきた漫画誌として知られています。
その中でも安部慎一さんは、自身の生活や感情、妻との関係まで作品世界に取り込む独特な私漫画で存在感を示しました。
フランスで「やさしい人」が翻訳出版
国内での再評価に加え、安部慎一さんの作品は海外にも広がっています。
2007年にはフランスの出版社Cornéliusから、作品集『Un gentil garçon』が出版されました。
タイトルはデビュー作「やさしい人」に由来するものです。フランスの公共図書館資料にも、安部慎一さんの作品として2007年刊行の『Un gentil garçon』が記録されています。
アングレーム国際漫画祭「遺産賞」にノミネート
『Un gentil garçon』は、2008年のアングレーム国際漫画祭で「Prix du patrimoine(遺産賞)」の候補作品に選ばれました。
当時のノミネート作品一覧にも「Un gentil garçon, Shin'ichi Abe, Cornélius」と記録されています。
アングレーム国際漫画祭はフランスで開催される世界的に知られた漫画祭です。
1970年代の日本の漫画家である安部慎一さんの作品が、何十年も後に海外で翻訳され、国際的な賞の候補になったことは、その作品が時代や国境を越えて再発見された出来事の一つでした。
安部慎一さんの代表作は「美代子阿佐ヶ谷気分」など
安部慎一さんの代表作として最も広く知られているのが「美代子阿佐ヶ谷気分」です。
ほかにもデビュー作「やさしい人」や、後年の「僕はサラ金の星です!」「美代子田川気分」などがあります。
「美代子阿佐ヶ谷気分」は妻・美代子さんがモデル
「美代子阿佐ヶ谷気分」は、安部慎一さんが当時恋人だった美代子さんとの阿佐ヶ谷での生活を題材に描いた作品です。
美代子さんはその後、安部慎一さんの妻となりました。
コミックナタリーも、同作について「安部の妻・美代子をモデルとした私小説的短編」と紹介しています。
虚構だけで物語を作るのではなく、自分自身と身近な人の日常や感情まで漫画に持ち込んだ点が、安部慎一さんの作家性を象徴しています。
「美代子阿佐ヶ谷気分」は2009年に映画化
「美代子阿佐ヶ谷気分」は2009年に実写映画化されました。
日本映画データベース(JFDB)によると、坪田義史監督、水橋研二さんと町田マリーさんらの出演で、2009年7月4日に公開されています。
水橋研二さんが安部慎一さんをモデルとする人物を、町田マリーさんが美代子さんを演じました。
原作漫画が発表されてから長い年月を経て映画化されたことからも、「美代子阿佐ヶ谷気分」が安部慎一さんの代表作として長く読み継がれてきたことがうかがえます。
「やさしい人」「僕はサラ金の星です!」「美代子田川気分」も代表作
安部慎一さんの作品としては、「美代子阿佐ヶ谷気分」のほかにも、
- やさしい人
- 僕はサラ金の星です!
- 美代子田川気分
- 軍刀
- 無頼の面影
などがあります。
特に「やさしい人」は1970年のデビュー作であり、後年フランスで出版された作品集のタイトルにも採用されました。
安部慎一さんの作品群は、自身の人生と創作が密接に結びついている点でも特徴的です。
安部慎一さんの家族構成|妻は美代子さん、息子は安部コウセイ・安部光広
安部慎一さんの家族については、妻の美代子さんと、音楽活動で知られる息子たちの存在が公になっています。
とりわけ「美代子阿佐ヶ谷気分」は夫婦の若い頃を題材にしており、安部家の人生と作品は深くつながっています。
妻・美代子さんとの生活が作品になった
妻は美代子さんです。
若い頃、安部慎一さんと美代子さんは東京・阿佐ヶ谷で暮らし、その頃の2人の生活が「美代子阿佐ヶ谷気分」のモチーフとなりました。
CINRAも映画化を報じた際、美代子さんについて「当時恋人であった美代子(現在の安部夫人)」と紹介しています。
そのため美代子さんは単に漫画家の妻というだけではなく、安部慎一さんを代表する作品の中心的なモデルでもあります。
息子・安部コウセイさんはHINTO、SPARTA LOCALSで活動
今回、父の訃報を発表した安部コウセイさんはミュージシャンです。
ORICON NEWSは、安部コウセイさんをロックバンド・HINTOのメンバーとして紹介しています。
また、SPARTA LOCALSではボーカル&ギターを担当してきました。
2009年に「美代子阿佐ヶ谷気分」が映画化された際には、SPARTA LOCALSの「水のようだ」が主題歌に採用されています。
父が描いた両親の物語を原作とする映画に、息子のバンドの楽曲が流れるという親子のつながりも生まれました。
もう一人の息子・安部光広さんもSPARTA LOCALSのメンバー
安部慎一さんには、安部コウセイさんのほかに安部光広さんという息子もいます。
音楽ナタリーは2009年、安部コウセイさんと安部光広さんについて、いずれも原作者・安部慎一さんの「実の息子」と報じています。
安部光広さんはSPARTA LOCALSでベースを担当しています。
映画「美代子阿佐ヶ谷気分」の主題歌を、安部慎一さんと美代子さんの息子たちが所属するバンドが担当したことになります。
安部慎一さん死去後も「美代子阿佐ヶ谷気分」など作品は残り続ける
安部慎一さんは2026年9月4日未明、顎下腺がんのため76歳で亡くなりました。
訃報は9月8日に息子の安部コウセイさんが公表し、通夜と葬儀は近親者のみで行われたことも伝えられています。
安部慎一さんは1950年に福岡県で生まれ、1970年に「やさしい人」でデビューしました。
その後、「美代子阿佐ヶ谷気分」をはじめ、自身の生活や妻との関係、内面を色濃く映した作品を発表。鈴木翁二さん、古川益三さんとともに「ガロ三羽烏」と呼ばれました。
1980年代には統合失調症を発症しながらも創作を続け、2000年代には作品がフランスで出版され、アングレーム国際漫画祭の遺産賞候補にも選ばれています。
妻の美代子さんとの人生は代表作に刻まれ、息子の安部コウセイさんと安部光広さんは音楽の世界で活動してきました。
安部コウセイさんが訃報の中で残した「父の作品はずっと生き続けます」という言葉の通り、「美代子阿佐ヶ谷気分」や「やさしい人」などの作品を通じて、安部慎一さんの表現はこれからも読者に触れ続けることになりそうです。

