赤木志郎容疑者が北朝鮮で死去|死因は心筋梗塞、よど号事件で何した?wiki経歴・妻子や妹も紹介
赤木志郎容疑者が北朝鮮で死去|死因は心筋梗塞、よど号事件で何した?wiki経歴・妻子や妹も紹介

1970年の「よど号ハイジャック事件」に関与したとして国際手配され、北朝鮮で暮らしていた赤木志郎容疑者が、2026年9月12日に亡くなったことが分かりました。

日テレNEWS NNNの報道によると、赤木容疑者は北朝鮮・平壌で心筋梗塞のため死去したとされ、年齢は78歳でした。日本国内の親族には9月14日に連絡があったと伝えられています。

赤木容疑者は1970年3月、日本航空351便「よど号」を乗っ取って北朝鮮へ渡った共産主義者同盟赤軍派のメンバー9人の一人とされ、ハイジャックに関する容疑で長年国際手配されていました。公安調査庁の資料でも、赤木容疑者は「ハイジャック容疑」の国際手配メンバーとして掲載されています。

赤木志郎容疑者は何をした人物だったのか、よど号ハイジャック事件の経緯、78歳までの経歴、妻・子供、妹の赤木美智子さんなど家族について紹介します。

赤木志郎容疑者が北朝鮮・平壌で死去|死因は心筋梗塞

赤木志郎容疑者の死去が日本で報じられたのは2026年9月16日です。

北朝鮮に渡ってから半世紀以上が経過しており、警察当局から国際手配されたまま平壌で亡くなったと伝えられています。

赤木志郎容疑者は2026年9月12日に78歳で死去

日テレNEWS NNNによると、赤木志郎容疑者は2026年9月12日、北朝鮮・平壌で死去しました。

亡くなったことについては9月14日、日本にいる親族へ連絡があったとされています。

大阪府警が掲載している国際手配資料では、赤木容疑者は1947年11月4日生まれと記録されています。

2026年11月の79歳の誕生日を迎える前だったため、死亡時の年齢は78歳でした。身長については173センチと記載されています。

赤木志郎容疑者の死因は心筋梗塞

今回の報道で伝えられた死因は心筋梗塞です。

日テレNEWS NNNは関係者への取材として、赤木容疑者が9月12日に心筋梗塞のため平壌で亡くなったと報じています。

心筋梗塞に至るまでに持病があったのか、いつから体調を崩していたのか、入院や治療を受けていたのかといった詳しい経過については伝えられていません。

現時点で報じられているのは、平壌で心筋梗塞のため78歳で亡くなったという内容までです。

赤木志郎容疑者は何した?よど号ハイジャック事件の実行メンバー

赤木志郎容疑者の名前が知られるきっかけとなったのは、1970年3月31日に起きた「よど号ハイジャック事件」です。

警察や公安調査庁の資料では、赤木容疑者は日本航空351便を乗っ取った共産主義者同盟赤軍派の活動家9人の一人とされています。

よど号ハイジャック事件とは?

よど号ハイジャック事件は、1970年3月31日に発生しました。

警察庁資料によると、武装した共産主義者同盟赤軍派の活動家9人が、東京発福岡行きの日本航空351便、通称「よど号」を乗っ取りました。

当時、機内には乗客232人と乗員7人の計239人がおり、実行グループは乗客・乗員を人質に取って飛行を続けました。

公安調査庁の資料では、よど号は最終的に平壌近郊へ着陸し、実行メンバーは4月3日に北朝鮮当局へ投降したと説明されています。

赤木志郎容疑者は実行メンバー9人の一人

よど号事件を実行したメンバーには、

田宮高麿、小西隆裕、岡本武、吉田金太郎、田中義三、魚本公博、若林盛亮、柴田泰弘、そして赤木志郎容疑者がいました。

赤木容疑者は当時、共産同赤軍派に参加していた若者の一人でした。

当時の資料では大阪市立大学に在籍していた人物として記録され、事件から約2年後の1972年の記者会見時には24歳だったとされています。

赤木志郎容疑者はなぜ北朝鮮へ?共産同赤軍派との関係

よど号事件の背景には、1960年代末の学生運動や新左翼運動があります。

赤木容疑者が所属した共産主義者同盟赤軍派は、海外に革命運動の拠点を築く考えを掲げていました。

共産同赤軍派が「国際根拠地」を求めていた

公安調査庁や警察資料によると、共産同赤軍派は1969年ごろから武装闘争路線を強め、「国際根拠地」を海外に築く構想を持っていました。

その流れの中で田宮高麿ら9人がよど号事件を起こし、北朝鮮へ渡りました。

北朝鮮に渡ったメンバーは、その後「よど号グループ」と呼ばれるようになります。

北朝鮮渡航後は平壌で長期間生活

事件後、赤木容疑者は日本へ戻らず、北朝鮮で生活を続けました。

2002年の報道では、赤木容疑者らが平壌市内や郊外で暮らし、赤木容疑者は訪朝団や報道機関への対応など、グループの対外窓口を担当していたと伝えられています。

2019年には、よど号グループのウェブサイトで赤木容疑者本人による文章も公開され、平壌でパソコンや電気機器の管理などを行っていたことをつづっていました。

赤木志郎容疑者はよど号事件で国際手配

赤木志郎容疑者は、日本の警察からよど号ハイジャック事件への関与を理由に国際手配されていました。

大阪府警の手配情報には、赤木容疑者の氏名、生年月日、身長、顔写真が掲載されています。

ハイジャック容疑で国際手配されていた

公安調査庁の資料では、赤木志郎容疑者について「ハイジャックに係る容疑」で国際手配されていると記載されています。

北朝鮮に滞在していたため、日本国内でよど号事件について裁判を受けたわけではありません。

2026年9月の死去報道でも「国際手配されていた赤木志郎容疑者」と伝えられています。

赤木志郎容疑者自身は帰国の意向を示した時期も

2002年には、赤木容疑者を含む北朝鮮に残っていたメンバー4人が、日本への帰国意思を示したことが報じられました。

東亜日報によると、赤木容疑者らは帰国用の渡航申請書に署名し、帰国後に逮捕されることも受け入れる趣旨の姿勢を示したとされています。

しかし実際に赤木容疑者が日本へ帰国することはなく、2026年に平壌で亡くなるまで北朝鮮で生活を続けました。

赤木志郎容疑者のwiki風プロフィール|年齢・大学・経歴

赤木志郎容疑者については一般的な芸能人や文化人のような公式プロフィールはありませんが、警察資料や事件資料から基本的な人物情報が確認できます。

特に生年月日や身体情報については、長年掲載されてきた国際手配資料に記録されています。

赤木志郎容疑者のプロフィール

公表資料をもとにすると、プロフィールは次のようになります。

  • 名前:赤木志郎(あかぎ・しろう)
  • 生年月日:1947年11月4日
  • 死亡日:2026年9月12日
  • 年齢:78歳
  • 身長:173センチ
  • 大学:大阪市立大学に在籍したとする事件資料あり
  • 所属:共産主義者同盟赤軍派
  • 関係事件:よど号ハイジャック事件
  • 事件発生日:1970年3月31日
  • 生活拠点:北朝鮮・平壌
  • 死因:心筋梗塞
  • 状況:ハイジャック容疑で国際手配されていた

生年月日と身長については大阪府警や和歌山県警が掲載する国際手配資料で確認できます。

1970年から56年間北朝鮮で生活

赤木容疑者が北朝鮮に渡ったのは22歳だった1970年です。

それから2026年の死去まで約56年間、日本へ帰国することなく北朝鮮で生活したことになります。

2012年に河出書房新社から刊行された「『拉致疑惑』と帰国」には、赤木容疑者自身の文章も収録されており、よど号グループ側の主張も発信していました。

赤木志郎容疑者の妻は赤木恵美子さん

赤木志郎容疑者には妻がいました。

公安調査庁や警察庁の公表資料で確認できる妻の名前は、**赤木恵美子さん(旧姓・金子)**です。

妻も北朝鮮で生活していましたが、2001年に日本へ帰国しています。

妻・赤木恵美子さんは2001年に日本へ帰国

公安調査庁の記録によると、赤木志郎容疑者の妻・赤木恵美子さんは2001年9月18日に北朝鮮から帰国しました。

帰国後、旅券法違反の疑いで警視庁公安部に逮捕されています。

警察庁の資料でも、「よど号」犯人の妻らに対する旅券返納命令をめぐり、赤木恵美子さんが2001年9月に逮捕されたことが記録されています。

つまり、赤木容疑者本人は平壌に残り続けた一方、妻は約25年前に日本へ戻っていました。

赤木志郎容疑者に子供はいる?家族構成について

よど号グループについては、北朝鮮で結婚し子供をもうけたメンバーが複数いたことが政府資料でも確認できます。

一方、赤木志郎容疑者本人の子供について、現在の主要報道や警察・公安当局の公開資料では、人数や氏名を詳しく紹介していません。

子供の人数や現在について詳しい公式発表はない

公安調査庁の過去資料には、よど号グループが「妻子」や「子女」の日本帰国を進めていたことが記録されています。

2001年にはグループの子供たちの帰国が始まり、その後妻たちも帰国する動きが続きました。

ただし、同資料から赤木志郎容疑者の子供の人数、氏名、現在の生活まで特定できる内容は確認できません。

ネット上には娘の名前などを記載したページもありますが、公的機関の資料や今回の主要な訃報報道では詳しく触れられていません。

家族について確実に確認できるのは、妻・恵美子さんと妹・美智子さんがいたことまでです。

赤木志郎容疑者の妹は赤木美智子さん

赤木志郎容疑者の家族でもう一人、公的資料に名前が記録されているのが妹の赤木美智子さんです。

美智子さんも北朝鮮で生活していた時期があり、2003年に日本へ帰国しました。

妹・赤木美智子さんは2003年に帰国

法務省の資料によると、赤木志郎容疑者の妹・赤木美智子さんは2003年4月に北朝鮮から帰国しました。

帰国後に旅券法違反で起訴され、同年6月20日に罰金10万円の判決を受け、7月5日に確定しています。

東京都議会の警察・消防委員会記録にも、2003年4月22日に北朝鮮から北京を経由して帰国し、旅券法違反で逮捕されたことが記録されています。

兄の赤木志郎容疑者はその後も北朝鮮に残り、日本へ戻ることはありませんでした。

赤木志郎容疑者死去でよど号グループはどうなる?

よど号事件から56年以上が経過し、実行メンバーの死亡や逮捕が相次いできました。

赤木志郎容疑者も2026年9月12日に亡くなったことで、北朝鮮に残る実行メンバーはさらに減ったことになります。

警察は長年よど号グループを国際手配

警察庁や各都道府県警は長年、よど号グループの国際手配情報を公開してきました。

大阪府警が2026年9月時点で掲載している手配資料にも、赤木志郎、小西隆裕、若林盛亮、魚本公博、岡本武らの名前が記載されています。

赤木容疑者の死亡が報じられたばかりのため、今後、手配情報などがどのように更新されるかは警察当局の発表を待つことになります。

56年前の事件で裁判を受けないまま死去

赤木志郎容疑者は1970年に北朝鮮へ渡り、日本へ帰国しませんでした。

そのため、よど号事件への関与について日本国内の裁判所で審理を受けないまま、78歳で亡くなったことになります。

公安調査庁は長年、赤木容疑者をハイジャック容疑の国際手配メンバーとして掲載していました。

2026年9月12日、北朝鮮・平壌で心筋梗塞のため死去。

赤木志郎容疑者の名前は、1970年の日本航空351便「よど号」ハイジャック事件と、その後半世紀以上にわたって続いた北朝鮮での生活とともに記録されることになります。