芥正彦さんが死去!死因は?Wiki経歴・学歴や三島由紀夫との関係を解説
芥正彦さんが死去!死因は?Wiki経歴・学歴や三島由紀夫との関係を解説

劇作家、演出家、俳優など多方面で活動した芥正彦さんが、2026年10月27日に亡くなりました。

80歳でした。

所属先のアルファエージェンシーが11月4日に訃報を公表し、死因は急性心筋梗塞だったと発表しています。

芥さんは、1969年に東京大学で開かれた三島由紀夫さんと東大全共闘の公開討論会で、全共闘側の中心人物として議論を交わしたことで広く知られています。

その一方で、若い頃から演劇活動に取り組み、劇作家・演出家・俳優・舞踏家・詩人として長年活動しました。

1976年には中島葵さん、万代博実さんとともにアルファエージェンシーの創設にも関わっています。

ここでは、芥正彦さんの死因やWiki風プロフィール、学歴・経歴、三島由紀夫さんとの関係を中心に紹介します。

芥正彦さんの死因は急性心筋梗塞

芥正彦さんの死因は、所属事務所から急性心筋梗塞と正式に発表されています。

亡くなったのは2026年10月27日です。

ただし、急性心筋梗塞を発症した場所や時間、病院への搬送状況など、亡くなるまでの詳しい経緯は公表されていません。

また、

  • 以前から心臓の病気があったのか
  • 入院や治療を受けていたのか
  • 直前に体調不良があったのか

といった病歴も明らかになっていません。

そのため、既往歴や生活習慣などを死因と結び付けて推測することはできません。

現時点では「急性心筋梗塞のため80歳で亡くなった」という公式発表までが確認できる事実です。

芥正彦さんのWikiプロフィール

芥正彦さんのプロフィールをまとめると、次のとおりです。

名前:芥正彦
読み方:あくた・まさひこ
本名:斎藤正彦
生年月日:1946年1月7日
死亡日:2026年10月27日
年齢:80歳
出身地:東京都
職業:劇作家、演出家、俳優、舞踏家、詩人
学歴:東京大学入学、のちに除籍
主な活動:劇団駒場、ホモ・フィクタス ACT & AOI、アルファエージェンシー創設
死因:急性心筋梗塞

芥さんは一つの肩書きに収まらない表現者でした。

学生時代から演劇と社会運動の双方に関わり、その後は舞台や映画、舞踏、朗読、アートパフォーマンスなど幅広い分野で活動しています。

芥正彦さんの学歴は東京大学

芥正彦さんは1965年に東京大学へ入学しました。

ただし、東京大学を卒業したわけではなく、のちに除籍となっています。

そのため、学歴を紹介する場合は「東大卒」ではなく、

東京大学入学、のちに除籍

とするのが正確です。

大学入学後すぐに演劇活動にも取り組み、1965年5月には劇団駒場によるF・G・ロルカ作『血の婚礼』に出演しました。

1967年からは藤森黎子さんとともに劇団駒場を主宰しています。

つまり、東京大学在学中は学生運動だけでなく、後の人生につながる演劇活動にも力を注いでいた時期でした。

芥正彦さんは何者?東大全共闘の論客として注目

芥正彦さんの名前が広く知られるきっかけとなったのが、1960年代末の学生運動です。

当時は全国の大学で学生運動が激化し、東京大学でも大学側と学生との対立が続いていました。

芥さんは東大全共闘のオーガナイザーとして活動し、論客の一人として存在感を示します。

そして1969年5月13日、後に歴史的な討論会として語り継がれる三島由紀夫さんとの公開討論会に参加しました。

この出来事が、現在まで「芥正彦とは何者なのか」と検索される大きな理由の一つになっています。

芥正彦さんと三島由紀夫の関係は?

芥正彦さんと三島由紀夫さんの関係を語るうえで欠かせないのが、1969年5月13日に東京大学駒場キャンパスで行われた公開討論会です。

芥さんは東大全共闘のオーガナイザーとして、三島さんを東大駒場へ招く側に関わりました。

つまり、単に討論会に参加した学生の一人ではなく、企画を実現させた中心人物の一人だったことになります。

会場には多くの学生が集まり、三島さんと東大全共闘の学生たちが約2時間半にわたって議論を交わしました。

三島由紀夫と何を激論した?

討論会では、国家、天皇、革命、社会、共同体、文化など幅広いテーマが議論されました。

三島由紀夫さんと東大全共闘は政治的・思想的な立場こそ大きく異なっていましたが、単純な罵倒や対立に終始したわけではありません。

芥さんも全共闘側の論客として三島さんに議論を挑み、思想や社会のあり方について言葉を交わしました。

当時の討論内容は後に、

『三島由紀夫 VS 東大全共闘《美と共同体と東大闘争》』

として書籍化されています。

さらに2020年には、TBSが保管していた映像をもとにドキュメンタリー映画

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

が公開されました。

芥さん自身も映画に登場し、半世紀前の討論会について証言しています。

1969年の一度の出来事でしたが、この討論は芥正彦さんの人生を語るうえで長く重要な意味を持ち続けました。

劇団駒場から演劇家として活動

芥正彦さんは学生運動の論客として知られる一方、若い頃から演劇家として本格的に活動していました。

1967年には自ら作・演出・主演を務めた『太平洋戦争なんか知らないよ』を発表。

その後も、

『ぼくのモナリザ・まぬけ大通り』
『Oh!イエローサブマリン』
『誕生パーティ』

などの舞台作品に取り組みました。

既存の演劇の枠にとらわれず、ハプニングや舞踏、アートイベントなども取り入れた表現を展開していきます。

また、寺山修司さんとも交流し、演劇理論誌『地下演劇』を刊行しました。

三島由紀夫さんだけでなく、寺山修司さんや土方巽さん、大島渚さんら、戦後日本の文化・芸術を代表する人物たちとも接点を持っています。

アルファエージェンシー創設にも関わる

1976年、芥正彦さんは中島葵さん、万代博実さんとともに芸能事務所アルファエージェンシーの創設に関わりました。

アルファエージェンシーは、中島葵さんのマネージメントをきっかけにスタートした事務所です。

その後、多くの俳優を抱える芸能事務所へと成長しました。

1978年には芥さん、中島さん、万代さんの3人で

ホモ・フィクタス ACT & AOI

を結成。

万代さんが制作を担当し、芥さんは演劇・パフォーマンスの中心人物として活動しました。

学生運動から演劇へ進んだだけでなく、芸能事務所の立ち上げにも関わっていた点は、芥正彦さんの経歴の中でも特徴的な部分です。

芥正彦さんの主な舞台・出演作品

芥正彦さんは、劇作家、演出家、俳優、舞踏家などさまざまな立場で作品に関わりました。

代表的な舞台作品には、

『空間都市』
『形態都市』シリーズ
『ホモフィクタス宣言』
『天皇劇』シリーズ
『アルトー劇』シリーズ
『灰と、灰の灰』

などがあります。

映画にも出演しており、『コンセント』などへの出演歴があります。

また、2020年公開の『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』には、1969年の討論会を知る当事者として本人が登場しました。

過去の出来事を語るだけではなく、自らも晩年まで表現活動を続けています。

晩年まで舞台や朗読活動を継続

芥正彦さんは高齢になってからも創作活動を続けていました。

2024年には、約半世紀ぶりに復刊した演劇理論誌『地下演劇』に関連するトークや朗読、パフォーマンスを実施。

2025年11月には舞台『風神雷神図』で台本・構成・演出・朗唱を担当しています。

若い頃に三島由紀夫さんと激論した人物というだけでなく、約60年にわたって演劇や表現活動を続けていたことが分かります。

芥正彦さんの著書・関連書籍

芥正彦さんは舞台だけでなく、書籍や編集活動にも携わっていました。

主な関連書籍には、

『三島由紀夫vs東大全共闘 -1969-2000』
『地下演劇』
『女優・中島葵』
『中島葵 全作集 I、II』

などがあります。

中でも三島由紀夫さんとの討論に関する書籍は、1969年当時の思想や学生運動を知る資料として現在も読み継がれています。

芥正彦さんの葬儀はすでに執り行われた

アルファエージェンシーによると、芥正彦さんの葬儀はすでに執り行われています。

参列したのは近親者のほか、アルファエージェンシー所属俳優やスタッフでした。

一般向けの葬儀の日程や会場は公表されていません。

また、2026年11月5日時点では、お別れの会について具体的な開催情報も発表されていません。

まとめ

劇作家・演出家・俳優の芥正彦さんは、2026年10月27日に急性心筋梗塞のため80歳で亡くなりました。

芥さんは1946年1月7日生まれで、1965年に東京大学へ入学。

学生時代から演劇活動に取り組む一方、東大全共闘のオーガナイザーとしても活動しました。

1969年5月13日には三島由紀夫さんを東大駒場へ招き、公開討論会で激論を交わしています。

その後は劇作家・演出家・俳優・舞踏家・詩人として活動を続け、1976年には中島葵さん、万代博実さんとともにアルファエージェンシーの創設にも関わりました。

三島由紀夫さんと討論した「東大全共闘の論客」という一面だけでなく、長年にわたって演劇や舞踏、朗読、アートパフォーマンスに取り組んだ表現者でもあります。

死因は急性心筋梗塞と公表されていますが、発症時の状況やそれ以前の心臓疾患の有無など、亡くなるまでの詳しい経緯は明らかになっていません。