
草刈正雄さんは、モデルから俳優へ転身し、半世紀以上にわたって第一線で活動してきた人物です。若い頃は185cmの長身と端正なルックスで注目され、『復活の日』『汚れた英雄』などに出演。年齢を重ねてからもNHK大河ドラマ『真田丸』の真田昌幸役などで新たなファンを獲得しています。
一方で、「若い頃はどんな姿だった?」「息子のYUSHIさんは何があった?」「娘は紅蘭さんだけ?」「妻の大塚悦子さんは現在どうしている?」「父親はアメリカ人?」など、家族や生い立ちも気になるところですよね。特に父親については、2023年のNHK『ファミリーヒストリー』をきっかけに、それまで草刈正雄さん自身も知らなかった事実が明らかになりました。2026年にも同番組のアンコール放送や特別編が放送されています。
この記事では、草刈正雄さんがどんな人物なのか、年齢・本名・身長などのwiki風プロフィールから、若い頃、妻・息子・娘、父親と母親、学歴、俳優としての経歴、2026年現在の活動まで一つずつ詳しく見ていきます。
草刈正雄のwikiプロフィール|年齢・本名・身長・出身は?
草刈正雄さんは、1952年9月5日生まれ、福岡県出身の俳優です。2026年10月現在の年齢は74歳。モデルとして注目された後に俳優へ転身し、映画、ドラマ、舞台、CMなど幅広い分野で活動してきました。
草刈正雄は何者?
草刈正雄さんを一言で表すなら、1970年代の人気モデルからスタートし、二枚目スター、個性派俳優へとキャリアを広げてきたベテラン俳優です。
1970年に資生堂の男性向けブランド「MG5」の広告に起用されて注目され、1974年の映画『卑弥呼』で映画デビュー。その後、『華麗なる刑事』『復活の日』『汚れた英雄』『真田丸』『なつぞら』『正直不動産』など、時代ごとの話題作に出演してきました。
まず、現在確認できる基本プロフィールを簡潔に見てみましょう。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 草刈正雄 | くさかり まさお |
| 本名 | 草刈正雄 | マキタ公式資料にも記載 |
| 生年月日 | 1952年9月5日 | 2026年10月現在74歳 |
| 出身 | 福岡県 | 小倉で育つ |
| 身長 | 185cm | 公開プロフィール |
| 血液型 | O型 | 公開プロフィール |
| 職業 | 俳優・モデル | 歌手活動歴もあり |
| 所属 | バービィオフィス | 公開プロフィール |
| 父親 | ロバート・H・トーラー | 元アメリカ空軍軍人 |
| 母親 | スエ子さん | 女手一つで育てた |
| 妻 | 大塚悦子さん | 元モデル・俳優 |
| 子供 | 1男2女 | 紅蘭さん、雄士さん、麻有さん |
生年月日、身長、血液型、所属などは芸能プロフィールで確認できます。また、マキタの公式資料には「本名:草刈正雄」と明記されています。
本名も「草刈正雄」
「草刈正雄」という名前は芸名のようにも聞こえますが、本名も同じです。
2013年にマキタが公開した草刈正雄さん出演CMの公式資料でも、「本名:草刈正雄(くさかりまさお)」と紹介されています。
珍しい名字と印象的な名前なので芸名だと思った人もいるかもしれませんが、芸能活動でも本名を使用していることになります。
日本人?父親がアメリカ人で母親は日本人
草刈正雄さんは、アメリカ人の父親と日本人の母・スエ子さんの間に生まれました。
父親はアメリカ空軍に所属していたロバート・H・トーラーさんです。草刈正雄さん本人は福岡県で生まれ、小倉で母親と暮らして育っています。
そのため、ルーツについては「アメリカ人の父と日本人の母を持つ」と説明できます。一方、現在の主要な公式プロフィールでは法的な国籍を詳しく記した項目は確認できないため、父親の国籍だけを理由に本人の国籍を推測するのは避けたほうが正確です。
草刈正雄の若い頃がイケメン!10代・20代からモデルとして活躍
草刈正雄さんについて特に注目されているのが「若い頃」です。
現在もダンディーな印象がありますが、10代後半から20代にかけては185cmの長身と彫りの深い顔立ちで人気モデルとなり、「和製アラン・ドロン」と呼ばれたこともありました。
17歳で福岡から東京へ上京
草刈正雄さんは17歳で福岡から上京しました。
現在の華やかな経歴だけを見ると、最初から芸能界を目指していたようにも感じます。しかし本人が後年語っているところでは、モデルを目指した背景には経済的な事情もありました。
中学時代には3年間新聞配達を続け、定時制高校時代にはアルバイトをしながら学校と軟式野球部を両立。上京後にモデルになれば月5万円ほど稼げると聞いたことも、東京へ向かう理由の一つだったと振り返っています。
若い頃の写真だけを見ると、生まれながらのスターのように見えます。しかし、その前に生活のために働き続けた時期があったことを知ると、モデル時代の印象も少し変わりますよね。
資生堂「MG5」で一躍人気モデルに
大きな転機になったのが資生堂「MG5」の広告でした。
公開プロフィールでは1970年に「MG5」の広告へ起用されたことがデビューのきっかけとして紹介されています。また、資生堂ギャラリーには1971年の「エムジー5」の広告作品が現在も資料として残されています。
当時の草刈正雄さんは長い髪と端正な顔立ちで人気を集め、全国で行われたサイン会には予想を上回る多くの女性が集まったと本人も振り返っています。
「草刈正雄の20代」「モデル時代」「若い頃の写真」が今も気になる人が多いのは、この時代の圧倒的なビジュアルが強く記憶されているからでしょう。
『復活の日』『汚れた英雄』で二枚目スターに
モデルとして注目された草刈正雄さんは俳優へ活動の幅を広げ、1974年の映画『卑弥呼』で映画デビューしました。
1980年の『復活の日』、1982年の『汚れた英雄』は現在も代表作としてプロフィールに挙げられています。特に『汚れた英雄』ではレーサーの北野晶夫を演じ、若い頃の草刈正雄さんを象徴する作品の一つになりました。
ただし、本人にとって「二枚目」という評価は良いことばかりではなかったようです。モデル出身だったため芝居の経験が足りないことへの不安もあり、俳優として長く残れるのか悩んだ時期がありました。
若い頃のルックスだけではなく、その後に役者として生き残るため試行錯誤してきたことが、現在まで続くキャリアにつながっています。
『華麗なる刑事』では歌手としても活動
1977年には田中邦衛さんとともにドラマ『華麗なる刑事』へ主演しました。
草刈正雄さんは俳優やモデルだけでなく歌手としても活動しており、『華麗なる刑事』のエンディングテーマ「センチメンタル・シティー」も自身で歌っています。ビクターエンタテインメントには草刈正雄さんの音楽作品のディスコグラフィーも残っています。
「俳優・草刈正雄」の印象が強い現在から振り返ると、モデル、俳優、歌手と幅広く活動していた若い頃はかなり多彩です。
草刈正雄の家族構成|息子・娘・妻・父親・母親を紹介
草刈正雄さんには妻の大塚悦子さんとの間に3人の子供がいます。
長女が紅蘭さん、長男が草刈雄士さん、次女が草刈麻有さんです。紅蘭さんと麻有さんは現在もそれぞれ芸能・クリエーティブ分野で活動しています。
息子・草刈雄士はYUSHIとして音楽活動
長男は草刈雄士さんです。
雄士さんは音楽や絵画などの創作活動をしており、高校時代には現OKAMOTO'Sのハマ・オカモトさんらと結成した「ズットズレテルズ」で「ドカットカット」名義のMCとして活動しました。
その後はヒップホップ・クルー「KANDYTOWN」に「Yushi」として参加しています。
「草刈正雄の息子はラッパー?」という疑問については、YUSHI名義で音楽活動をしていたというのが答えになります。
息子・雄士の死因は?23歳で転落死
雄士さんは2015年2月14日、23歳で亡くなりました。
当時の報道では、東京都渋谷区のマンションから転落して亡くなったとされています。家族も後年、雄士さんについて「事故でいなくなってしまった」と振り返っています。
ネット上では「死因」についてさまざまな情報が語られることがありますが、公表された事実として確認できるのはマンションからの転落による死亡です。公開情報以上の経緯を推測で補うことはできません。
雄士さんは亡くなる直前まで音楽や絵画を制作しており、死後には残された絵画作品を紹介する公式サイトも開設されました。
娘は2人|長女は紅蘭
草刈正雄さんには娘が2人います。
長女は1989年生まれの紅蘭さん。芸能活動に加え、パーソナルトレーナーや実業家としても知られています。
紅蘭さんは過去のインタビューで、父親が有名だったため子供の頃から「草刈正雄の娘」と見られてきたことへの複雑な思いも語っています。
父親の名前に頼って芸能界へ入ったというより、自分自身の個性を強く打ち出してきた人物だと分かります。
次女は草刈麻有|俳優・モデル・フードクリエーター
次女は1993年4月20日生まれの草刈麻有さんです。
俳優として『3年B組金八先生』第8シリーズなどに出演し、雑誌『Seventeen』では専属モデルも務めました。
一時期活動を休止していましたが、2024年から芸能活動を再開。2026年時点では俳優、モデルに加え、フードクリエーターとしても活動しています。
2026年7月には、麻有さんが公開した料理動画に姉の紅蘭さんが登場。姉妹の自然なやり取りが話題になりました。
紅蘭さんと麻有さんはタイプの違う活動をしていますが、それぞれ父親とは違う形で自分の分野を築いている点が印象的です。
妻・奥さんは元モデルの大塚悦子
草刈正雄さんの妻は大塚悦子さんです。
悦子さんもモデルや俳優として活動していた人物で、2人は1977年のドラマ『華麗なる刑事』で共演したことをきっかけに知り合い、長い交際期間を経て1988年12月31日に結婚したと紹介されています。
結婚を後押しした人物として知られるのが、草刈正雄さんの親友・勝野洋さんです。勝野さんと飲んでいた際に結婚を勧められ、その場で電話をかけてプロポーズしたというエピソードも伝えられています。
妻・大塚悦子の現在や写真は?
大塚悦子さんは、現在は芸能人として積極的に表舞台へ出演しているわけではありません。
そのため、「妻の現在の写真を見たい」と思っても、近年の顔がはっきり分かる公式写真は多くありません。
2026年3月には次女の麻有さんが幼少期の家族写真を公開しました。写真には草刈正雄さん、紅蘭さん、雄士さん、麻有さんに加え、母親と思われる人物も写っていますが、その人物の顔はハートの絵文字で隠されていました。
昔のモデル時代の写真と、現在の家族としての情報を分けて見る必要がありそうです。
草刈正雄には孫もいる
草刈正雄さんには、長女・紅蘭さんが2018年12月に出産した孫娘がいます。
2026年5月の『徹子の部屋』では、当時7歳の孫とキャッチボールやサッカーをして遊んでいることを明かしました。孫からはなぜか「パパ」と呼ばれている一方、学校の友達へ紹介するときは「おじいちゃん」と呼び分けているそうです。
スター俳優としての姿とは違う、祖父としての一面が分かるエピソードですね。
父親は米空軍のロバート・H・トーラー
草刈正雄さんの生い立ちを語るうえで、大きな転機になったのが父親の存在です。
草刈正雄さんは幼い頃、母・スエ子さんから父親は「朝鮮戦争で亡くなった」と聞かされて育ちました。父親の写真も見たことがなかったといいます。
ところが2023年放送のNHK『ファミリーヒストリー』によって、父親がアメリカ空軍のロバート・H・トーラーさんだったことが判明しました。
ロバートさんは福岡県の築城基地に配属されており、朝鮮戦争から生還。その後アメリカへ戻り、2013年まで生きていたことも分かりました。
父親とは再会した?「ファミリーヒストリー」で親族へ
草刈正雄さんと父ロバートさんが、生前に再会したわけではありません。
父親が亡くなっていたことを知った後、DNA検査によってアメリカにいる親族との血縁が確認され、草刈正雄さんは父の姉ジャニタさんや、いとこのジェイさんらと対面しました。
2026年には『ファミリーヒストリー』が再び放送され、9月の特別編では草刈正雄さんがアメリカを訪れ、父が眠る墓地へ向かった様子も紹介されています。
「父親と再会した」というより、父の死後にルーツを知り、父方の親族と初めてつながったという表現が正確です。
父親と若い頃がそっくり?
『ファミリーヒストリー』で父ロバートさんの若い頃の写真が紹介されると、草刈正雄さんとの顔立ちの類似も話題になりました。
2026年の『徹子の部屋』でも父親の写真が紹介され、草刈正雄さん自身が「似てますよね」と話しています。
草刈正雄さんが若い頃から印象的だった彫りの深い顔立ちには、父方の特徴も表れていたのかもしれません。
母親・スエ子が女手一つで育てた
母親はスエ子さんです。
草刈正雄さんは母一人、子一人の家庭で育りました。本人のインタビューでは、幼少期の生活は経済的に楽ではなく、中学生になると新聞配達を始めています。
スエ子さんは2010年に亡くなりました。
草刈正雄さんは父親のことをほとんど語らなかった母について、後年「立派だったと思う」と話しています。父親について悪く言わず、母子で生きる道を選んだ母への見方は、自身が年齢を重ねてから変わっていったようです。
兄弟はいる?
草刈正雄さんは、日本では母・スエ子さんとの二人暮らしで育っており、同じ母親を持つ兄弟姉妹はいません。
本人も幼い頃から「母一人、子一人」で暮らしてきたと語っています。
一方で、父ロバートさんは帰国後に別の人生を歩んでいるため、父方の家族や親族の存在は『ファミリーヒストリー』を通じて初めて具体的に知られるようになりました。
草刈正雄の学歴・生い立ち|定時制高校と野球部時代
草刈正雄さんの学歴を見ると、一般的な「学校生活だけを送った学生時代」とはかなり違います。
中学生から働き始め、高校では定時制に通いながらアルバイトと軟式野球を続けていました。
中学生の頃から新聞配達
草刈正雄さんは中学生の3年間、新聞配達をしていました。
定時制高校へ進学してからも働き続け、本の訪問販売などさまざまな仕事を経験し、夜にはスナックでアルバイトをしていた時期もあったと本人が明かしています。
芸能界入りする前から、自分で収入を得ながら生活していたことになります。
若い頃の華やかなモデル写真だけでは見えてこない部分ですが、こうした生活経験が長い俳優人生の土台になったことは想像しやすいですね。
福岡県立小倉西高校時代は軟式野球部
草刈正雄さんが福岡時代に通っていた高校として知られているのが、福岡県立小倉西高校です。
小倉西高校の同窓会「津苑会」の会報には、「西高時代軟式野球部で全国大会へ出場経験がある草刈さん」と明記されています。
本人もインタビューで、定時制高校時代にアルバイトをしながら軟式野球部を続けていたと語っています。
仕事、高校、野球を並行していたことを考えると、かなり忙しい学生生活だったことが分かります。
上京後の高校や大学は?
草刈正雄さんは17歳で上京しているため、高校生活の途中で東京へ移っています。
人物資料では、その後に東京都立青山高校の定時制へ転校したと紹介されるケースがあります。ただし、現在の主要な公式プロフィールでは青山高校という学校名まで明記されていません。
そのため、小倉西高校で学び軟式野球部に所属していたことは同校の資料でも確認できる一方、上京後の学校名は情報源を分けて扱う必要があります。
大学へ進学した経歴は、現在確認できる主要プロフィールには記載されていません。
草刈正雄の経歴|真田幸村・真田昌幸から2026年現在まで
草刈正雄さんは、若い頃の二枚目スターというイメージだけで50年以上活動してきたわけではありません。
30代以降には仕事が減った時期も経験しながら、役柄の幅を広げ、年齢を重ねてから再び大きな注目を集めました。
モデルから俳優へ転身
モデルとして人気を得た後、1974年の映画『卑弥呼』で本格的に映画へ進出しました。
1977年には『華麗なる刑事』、1980年に『復活の日』、1982年には『汚れた英雄』と主演級の作品が続きます。
一方で、30代半ば頃には仕事が減った時期もあったと本人は振り返っています。
外見で注目されたモデル出身俳優から、年齢とともにどう役者へ変わっていくか。草刈正雄さんの経歴を見るうえでは、この時期も重要です。
『真田太平記』では真田幸村役
1985年放送のNHK新大型時代劇『真田太平記』で、草刈正雄さんは真田幸村を演じました。
その31年後、2016年の大河ドラマ『真田丸』では、今度は幸村の父親にあたる真田昌幸役を演じています。
若い頃に「息子」を演じ、年齢を重ねてから「父」を演じたことになります。
『真田丸』の真田昌幸役で再び大注目
2016年の『真田丸』は、草刈正雄さんのキャリアを語るうえで欠かせない作品です。
草刈正雄さん演じる真田昌幸は、知略にたけながらどこか愛嬌のある人物として人気を集めました。現在のプロフィールでも『真田丸』は代表作として挙げられています。
若い頃の「イケメン俳優」というイメージとはまったく異なる魅力が広く知られ、草刈正雄さんを『真田丸』で初めて強く意識した世代も少なくありません。
『なつぞら』『ドクターX』『キングダム』などにも出演
その後も『ドクターX ~外科医・大門未知子~』『なつぞら』『おじさまと猫』『正直不動産』シリーズなど幅広い作品に出演しています。
2024年公開の映画『キングダム 大将軍の帰還』では、かつて「戦神」と呼ばれた秦王・昭王役を担当しました。
NHK『美の壺』への出演も長く、2026年3月放送の回にも出演しています。
二枚目の主演俳優から父親役、祖父役、経営者、武将、権力者まで、年齢とともに演じられる人物像が広がっていることが分かります。
2026年現在も現役|映画『正直不動産』に出演
2026年現在も俳優活動を続けています。
2026年5月15日公開の映画『正直不動産』では、ドラマシリーズと同じ登坂不動産の社長・登坂寿郎役で出演しました。
9月からは同作のデジタル配信も始まっています。
2026年10月はドラマ『ポリティカルパン』に出演
さらに2026年10月7日スタートのフジテレビ系ドラマ『ポリティカルパン』にも出演します。
草刈正雄さんが演じる小早川士郎は、与党副総裁で政界を牛耳るキングメーカー。義理人情を重んじる一方、敵対する相手には冷徹な顔を見せる人物として紹介されています。
2026年10月時点で74歳ですが、過去作品の再放送だけで注目されているわけではなく、新作ドラマでも重要な役を任されています。
「草刈正雄は現在何をしている?」という疑問への答えは、現在も現役俳優として映画や連続ドラマに出演しているということになります。
草刈正雄の性格・人柄とよくある疑問
草刈正雄さんはテレビでは落ち着いたダンディーな印象がありますが、本人のインタビューではユーモラスな言葉も多く、若い頃の「二枚目スター」というイメージだけでは分からない一面があります。
ここでは、人柄とあわせて名前や共演歴から生まれやすい疑問も確認します。
本人は自分を「めんどくさがり」と表現
草刈正雄さんは、自分について「頑張り屋というわけではない」と語ったことがあります。
中学時代から新聞配達を続け、定時制高校では働きながら野球を続け、芸能界では半世紀以上活動しているだけに「努力家」という印象がありますが、本人は一つ始めると変えるのが面倒な「めんどくさがり屋」なのかもしれないと話しています。
また、台詞については別のことをしていても自然に出るほど繰り返して覚えるとも語っています。
自分を必要以上に大きく見せない言葉と、実際には長期間仕事を続けてきた姿勢とのギャップも、草刈正雄さんらしい部分なのかもしれません。
草刈民代とは親戚?関係はある?
「草刈」という名字が同じため、俳優で元バレリーナの草刈民代さんと草刈正雄さんの関係を気にする人も多くいます。
しかし、現在までに2人が親子、兄弟、いとこなどの親戚関係にあるという公表情報は確認できません。
草刈民代さんは東京都出身で、草刈正雄さんは福岡県出身。それぞれ公開されている家族背景も異なります。
同じ珍しい名字で、どちらも長く芸能界で活躍しているために生まれた疑問と考えてよいでしょう。
オリビア・ハッセーと結婚していた?
草刈正雄さんと女優オリビア・ハッセーさんの名前が一緒に挙がることがありますが、2人が結婚していたという事実はありません。
2人は1980年公開の映画『復活の日』で共演した間柄です。
草刈正雄さんの妻は大塚悦子さんなので、「オリビア・ハッセーと結婚」という情報は共演歴と混同されたものと考えられます。
草刈正雄と草刈機は本当に関係がある
名前が「草刈」だけに、草刈機との関係も気になるところですが、こちらは実際に仕事でつながりがあります。
草刈正雄さんは2013年、マキタの充電式草刈機のCMキャラクターに起用されました。
マキタの公式資料には、草刈正雄さんのプロフィールとともに草刈機CMの制作内容が掲載されています。
一方、筑水キャニコムが販売する乗用草刈機には「まさお」シリーズがありますが、マキタの草刈正雄さん出演CMとは別の商品・メーカーです。
「草刈正雄だから草刈機」という名前を生かしたCMは実在しますが、ネット上で見かけるすべての「草刈機まさお」が草刈正雄さん公認という意味ではありません。
草刈正雄の人物像に関するまとめ
- 草刈正雄さんは1952年9月5日生まれ、福岡県出身の俳優
- 2026年10月現在は74歳で、身長185cm、血液型O型
- 「草刈正雄」は芸名ではなく本名として公表されている
- 17歳で上京し、資生堂「MG5」の広告をきっかけに人気モデルとなった
- 若い頃は『復活の日』『汚れた英雄』『華麗なる刑事』などで活躍し、歌手活動も行った
- 妻は元モデル・俳優の大塚悦子さんで、子供は紅蘭さん、雄士さん、麻有さんの1男2女
- 長男・草刈雄士さんはYUSHIとして音楽活動をしていたが、2015年に23歳で亡くなった
- 父親はアメリカ空軍のロバート・H・トーラーさんで、『ファミリーヒストリー』によって詳しい人生が判明した
- 母・スエ子さんとの母子家庭で育ち、中学時代から新聞配達をしていた
- 小倉西高校時代には定時制で学びながら軟式野球部で全国大会を経験している
- 『真田太平記』では真田幸村、『真田丸』では父・真田昌幸を演じた
- 2026年も映画『正直不動産』やドラマ『ポリティカルパン』などに出演し、現役俳優として活動している
草刈正雄さんは、若い頃の端正なルックスだけで語れる俳優ではありません。母と二人で暮らし、中学生から働いた少年時代、モデルとして一気に注目された20代、俳優として仕事が減った時期、息子との別れ、そして70代になって初めて深く知ることになった父親の人生まで、長い年月の中でさまざまな経験を重ねてきました。
そのうえで74歳の現在も新作の映画や連続ドラマに出演しています。「昔イケメンだったスター」ではなく、年齢に合わせて役柄を変えながら今も活動を続けていることこそ、草刈正雄さんの経歴を語るうえで最も印象に残る部分ではないでしょうか。

