
マブチモーターの創業者で、元社長・名誉会長の馬渕隆一(まぶち・たかいち)さんが亡くなったことが2026年8月21日に報じられました。
時事通信によると、馬渕隆一さんは2026年8月7日に死去。93歳でした。マブチモーターを兄の馬渕健一さんとともに育て、小型直流モーターの世界的メーカーへ発展させた経営者の一人です。
訃報を受け、「死因は何だったのか」「病気を公表していたのか」と気になっている人も多いと思います。
また、馬渕隆一さんについては、妻の悦子さんや子供など家族、2002年に起きたマブチモーター社長宅殺人放火事件との関係を改めて知りたいという声もあります。
馬渕隆一さん死去|8月7日に93歳で亡くなった
馬渕隆一さんの訃報が報じられたのは2026年8月21日です。
実際に亡くなった日は8月7日で、死去から約2週間後に訃報が伝えられたことになります。
馬渕隆一さんは2026年8月7日に死去
時事通信は8月21日、マブチモーター創業者で元社長、名誉会長の馬渕隆一さんが8月7日に亡くなったと報じました。
93歳でした。
そのため、日付については、
- 死去した日:2026年8月7日
- 訃報が報じられた日:2026年8月21日
- 亡くなった年齢:93歳
となります。
マブチモーター創業者・名誉会長として活動
馬渕隆一さんは、マブチモーターの創業に携わった人物です。
会社の公式サイトによると、マブチモーターの歴史は兄・馬渕健一さんが1946年に香川県高松市で開いた関西理科研究所から始まりました。
その後、健一さんと隆一さんの兄弟が上京し、1954年に東京都葛飾区で現在のマブチモーターの前身となる東京科学工業株式会社を設立しています。
馬渕隆一さんは長年にわたり経営を担い、2013年には代表取締役会長を退任して名誉会長となっていました。マブチモーターが公表した当時の人事資料にも、馬渕隆一さんが「代表取締役会長」から「名誉会長」へ移ることが記載されています。
馬渕隆一さんの死因・病気は公表されている?
馬渕隆一さんが93歳で亡くなったことは伝えられていますが、死因については8月21日夕方までに確認できた訃報記事では具体的な記載がありません。
特定の病名や闘病歴と結びつける情報も、今回の訃報では明らかにされていません。
馬渕隆一さんの死因は現時点で詳しい発表なし
時事通信が8月21日に配信した訃報では、
「8月7日死去、93歳」
と伝えられている一方、具体的な死因は記載されていません。
そのため、現時点で「死因は○○だった」といえる公表情報は確認できていません。
93歳という年齢から病気や老衰などを気にする声も出るかもしれませんが、今回の発表だけから具体的な死因を結びつけることはできません。
馬渕隆一さんに病気や闘病歴はあった?
馬渕隆一さんが亡くなる前に特定の病気を公表していたという情報も、今回確認できたマブチモーターの公開情報や主要報道では見当たりません。
入院していたのか、療養を続けていたのかといった経緯についても詳しい発表は出ていません。
今のところ分かっているのは、馬渕隆一さんが8月7日に93歳で亡くなったことまでです。
馬渕隆一さんは何歳?wikiプロフィール・年齢や出身地
馬渕隆一さんは1932年生まれで、香川県高松市の出身です。
日本フィランソロピー協会が過去に馬渕さんを表彰した際の紹介では、1932年に香川県高松市で生まれたことや、実家がブリキ関係の工場を営んでいたことが紹介されています。
馬渕隆一さんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 馬渕隆一 |
| 読み方 | まぶち たかいち |
| 生年 | 1932年 |
| 年齢 | 93歳で死去 |
| 出身地 | 香川県高松市 |
| 職業 | 実業家・経営者 |
| 会社 | マブチモーター株式会社 |
| 主な役職 | 社長、会長、名誉会長 |
| 兄 | 馬渕健一 |
| 死去 | 2026年8月7日 |
| 死因 | 詳しい発表なし |
時事通信でも、馬渕隆一さんをマブチモーターの「創業者、元社長、現名誉会長」と紹介しています。
馬渕隆一さんは香川県高松市出身
馬渕隆一さんは1932年、香川県高松市で生まれました。
日本フィランソロピー協会によると、実家はブリキ関係の工場を営んでおり、隆一さんも幼いころからものづくりに囲まれて育ったとされています。
父親が工場経営のほか農作業も行っていた時期には、隆一さん自身も早朝から作業を手伝ったというエピソードが残っています。
馬渕隆一さんの学歴は?高校を中退
日本フィランソロピー協会の紹介では、馬渕隆一さんは高校へ進学したものの、家業を手伝うため中退したとされています。
大学を卒業して大企業へ入社した経営者とは異なり、若いころから家業やものづくりの現場で経験を積んだ人物でした。
馬渕隆一さんの経歴|兄・馬渕健一とマブチモーターを創業
馬渕隆一さんを語るうえで欠かせないのが、兄・馬渕健一さんとともに築いたマブチモーターの歴史です。
現在では世界各地に事業を展開するモーターメーカーですが、その原点は戦後の小さなモーター製造から始まりました。
兄・馬渕健一さんと1954年に東京科学工業を設立
マブチモーター公式サイトによると、兄の馬渕健一さんは1946年、香川県高松市に関西理科研究所を開設しました。
小学校の理科教材などに使う小型モーターを製造し、1947年には高性能な馬蹄型マグネットモーターを開発しています。
その後、野村トーイとの取引をきっかけに健一さんと隆一さんが上京。
1954年1月、東京都葛飾区に東京科学工業株式会社を創立しました。
この会社が現在のマブチモーターの前身です。
1971年にマブチモーターへ社名変更
会社は事業拡大を続け、1971年3月に現在の「マブチモーター株式会社」へ商号を変更しました。
マブチモーターの公式資料でも、前身の東京科学工業株式会社が1954年に創立され、1971年に現在の社名になったことが説明されています。
馬渕隆一さんは1985年から2003年まで社長
馬渕隆一さんは、兄・健一さんの後を継ぐ形で1985年にマブチモーター社長へ就任しました。
2003年まで社長を務め、その後は会長となっています。
日本フィランソロピー協会の紹介でも、1954年の東京科学工業創立から専務、社長を歴任し、2003年に会長へ就任した経歴が紹介されています。
さらに2013年には取締役を退任し、名誉会長となりました。
マブチモーター創業者・馬渕隆一さんの功績
馬渕隆一さんの功績は、マブチモーターを世界的な小型モーターメーカーへ成長させたことだけではありません。
海外展開や生産体制の構築に加え、晩年には私財を投じて留学生を支援する活動にも力を入れました。
小型直流モーターを世界へ展開
マブチモーターは玩具・模型用モーターから事業を始め、その後、音響・映像機器、家電、自動車電装機器などへ用途を拡大しました。
会社の公式サイトでは、戦後に生まれた小さな町工場から海外へ進出し、グローバルに事業を広げてきた歴史が紹介されています。
現在でも模型やミニ四駆などで「マブチモーター」の名前を覚えている人は多いのではないでしょうか。
マブチ国際育英財団の設立にも尽力
馬渕隆一さんは教育支援にも多額の私財を投じています。
日本フィランソロピー協会によると、2005年に保有していたマブチモーター株約90億円相当と現金15億円を出捐し、マブチ国際育英財団を設立しました。
東南アジアや中国などから日本へ留学する学生の学費・生活費を支援する取り組みです。
同協会からは、こうした活動を評価され「まちかどのフィランソロピスト賞」の特別賞を受賞しています。
馬渕隆一さんの妻・子供など家族構成は?
馬渕隆一さんの家族については、2002年に起きた「マブチモーター社長宅殺人放火事件」によって、妻と長女の名前が広く報じられることになりました。
妻は悦子さん、長女は由香さんです。
妻は馬渕悦子さん
馬渕隆一さんの妻は悦子さんです。
2002年8月5日、当時マブチモーター社長だった馬渕隆一さんの自宅で強盗殺人・放火事件が発生し、妻の悦子さんが亡くなりました。
朝日新聞出版の「知恵蔵」によると、悦子さんは当時66歳でした。
長女は馬渕由香さん
同じ事件では、長女の由香さんも亡くなっています。
由香さんは当時40歳でした。
2005年に容疑者2人が逮捕され、その後の裁判では、馬渕宅への侵入、妻と長女を殺害したうえで金品を奪い、放火した一連の犯行が審理されました。
馬渕隆一さん自身は事件当時、自宅にはおらず無事でした。
馬渕隆一さんに息子はいる?
人事興信録を出典として掲載している家系資料では、馬渕隆一さんと悦子さんの間には、長男・馬渕寿道さん、次男・馬渕誠也さん、長女・馬渕由香さんの3人の子供がいるとされています。
ただし、2026年の訃報で子供について詳しい家族構成が改めて公表されたわけではありません。
なお、マブチ国際育英財団の2026年6月時点の役員名簿には「馬渕寿道」さんが常務理事として掲載されています。
家族の現在の生活など、一般人としての私生活に関する詳しい情報は公表されていません。
マブチモーター社長宅殺人放火事件で妻と長女を失った
馬渕隆一さんの家族を語る際、避けて通れないのが2002年8月5日に起きた強盗殺人・放火事件です。
当時マブチモーター社長だった馬渕さんの自宅が狙われ、妻の悦子さんと長女の由香さんが亡くなりました。
2002年8月5日に馬渕隆一さん宅で事件
朝日新聞出版の「知恵蔵」によると、事件は2002年8月5日、千葉県松戸市にあった馬渕隆一さん宅で発生しました。
妻の悦子さんと長女の由香さんが殺害され、住宅が放火されています。
犯人らは金品を奪う目的で資産家宅を狙ったとされ、2005年に強盗殺人などの容疑で逮捕されました。
馬渕さん本人や家族に原因があった事件ではなく、資産家を標的とした犯行だったことがその後の捜査や裁判で明らかになっています。
妻と長女を失った後も教育支援へ
馬渕隆一さんは事件後の2005年、私財を投じてマブチ国際育英財団を設立しています。
日本フィランソロピー協会は、馬渕さんがアジアの子供たちや学生の教育環境に心を寄せ、留学生支援に取り組んだ経緯を紹介しています。
企業経営だけでなく、人材育成や国際交流にも力を注いだことは、馬渕隆一さんの晩年を代表する活動の一つといえます。
馬渕隆一さん死去|死因・経歴や家族について現在分かっていること
マブチモーター創業者で元社長、名誉会長の馬渕隆一さんは、2026年8月7日に93歳で亡くなりました。
訃報は8月21日に報じられています。
死因や病気については、8月21日夕方までに確認できた訃報では具体的な病名などは明らかにされていません。
馬渕さんは1932年に香川県高松市で生まれ、兄の馬渕健一さんとともに1954年、現在のマブチモーターの前身となる東京科学工業を創立しました。
1985年から2003年まで社長を務め、その後は会長、名誉会長として会社に関わりました。
家族では、妻の悦子さんと長女の由香さんを2002年の強盗殺人・放火事件で亡くしています。
一方で、馬渕隆一さんは企業経営だけでなく、マブチ国際育英財団を通じた留学生支援にも大きな足跡を残しました。
小型モーターを世界へ広げた経営者として、そして次世代の教育を支えた人物として、その功績が改めて振り返られることになりそうです。

