
「おんなの出船」「演歌みち」「蛍」などで知られる演歌歌手・松原のぶえさんが、2026年9月13日に65歳で亡くなりました。
TBS NEWS DIGによると、松原のぶえさんは東京都品川区のマンションから病院へ救急搬送され、同日午前5時半ごろに死亡が確認されたと報じられています。
松原のぶえさんは過去に重い腎臓病を患い、腎不全による人工透析を経て、2009年に弟から生体腎移植を受けていました。
そのため過去の腎臓病と今回の死去との関係が気になるところですが、2026年9月14日午前の主要報道では、具体的な死因は公表されていません。過去の腎不全が直接の死因だったという発表も出ていません。
松原のぶえさんの死去や死因の公表状況、病気・腎移植の経緯、本名や年齢、経歴、元夫・子供・弟などの家族、代表曲について詳しく紹介します。
松原のぶえさんが65歳で死去|2026年9月13日に救急搬送
松原のぶえさんが亡くなったのは2026年9月13日です。
翌14日にTBS NEWS DIGやスポーツ報知などが相次いで訃報を伝えました。亡くなる直前まで音楽活動を続けていたことも報じられています。
松原のぶえさんの死亡日は2026年9月13日
TBS NEWS DIGによると、松原のぶえさんは9月13日、東京都品川区のマンションから都内の病院へ救急搬送されました。
その後、午前5時半ごろに死亡が確認されたと報じられています。年齢は65歳でした。
松原さんは1961年7月18日生まれのため、2026年7月に65歳の誕生日を迎えたばかりでした。
死去直前まで音楽番組を収録していた
スポーツ報知によると、松原のぶえさんは2026年9月にも音楽番組の収録に参加していました。
さらに11月27日には、東京・J:COMホール八王子で開催される「令和・歌の祭典2026~名曲歌謡史を綴る~」への出演も予定されていました。
長期休養中に伝えられた訃報ではなく、直近まで歌手活動を続けていた中での突然の知らせだったことになります。
松原のぶえさんの死因は?腎臓病との関係は公表されていない
松原のぶえさんは長年、腎臓の病気と向き合ってきたことで知られています。
ただ、今回の死去について主要報道が伝えているのは、救急搬送されて病院で死亡が確認されたという経緯までです。
過去の腎不全や腎臓移植を、今回の死因とそのまま結びつける発表は出ていません。
松原のぶえさんの死因は公表されている?
2026年9月14日午前時点で、松原のぶえさんの具体的な死因は公表されていません。
TBS NEWS DIGは9月13日に救急搬送され死亡したことを報じていますが、病名や死因には触れていません。
週刊女性PRIMEも、都内のマンションから救急搬送され、病院で死亡が確認されたと伝えていますが、直接の死因は記載していません。
ネット上では過去の腎臓病から「腎不全が関係したのでは」と考える声が出ることもありそうですが、現在発表されている内容とは分けて考えられます。
過去の腎不全が死因だったとは発表されていない
松原のぶえさんが腎不全を患っていたこと自体は、本人が過去のインタビューや退院会見で明かしています。
ただし、それは2009年に生体腎移植を受けるまでの病歴です。
2025年の週刊女性PRIMEのインタビューでは、移植後も約2か月ごとに血液検査などを受け、当時は異常がなかったと松原さん自身が語っていました。
そのため、過去の腎臓病が2026年9月13日の死去に直接つながったという情報は、現時点では出ていません。
松原のぶえさんの病気|腎不全・人工透析から生体腎移植へ
松原のぶえさんの病気として広く知られているのが腎臓病です。
幼い頃にも腎臓の異常で入院した経験があり、歌手として活動していた40代で腎機能が深刻な状態になりました。
人工透析を続けながら歌手活動を行い、最終的には弟から腎臓の提供を受けています。
幼少期から腎臓病を患っていた
週刊女性PRIMEの2025年のインタビューによると、松原のぶえさんは幼い頃、公園で遊んでいる最中に突然倒れ、検査によって腎臓病が判明しました。
約2週間入院した後は体調が落ち着き、本人も治ったと思っていたそうです。
しかし歌手としてデビューし、多忙な生活を送った後、30周年を迎える頃に再び深刻な腎臓の症状が現れました。
腎臓の機能が約2%まで低下していた
体調悪化のきっかけは風邪のような症状でした。
息苦しさが強くなり病院を受診すると、腎臓の機能が極端に低下していることが判明。週刊女性PRIMEの本人インタビューでは、当時は腎機能が約2%しか残っていなかったと紹介されています。
腎臓の病気によって肺に水がたまり、かなり厳しい状態だったことも明かしていました。
腎不全で人工透析を受けながら歌手活動
腎機能が低下した松原のぶえさんは、腎不全の治療として人工透析を受けるようになりました。
日刊スポーツは2009年の退院時、松原さんが前年から週3回通院して人工透析を受けながら歌手活動を続けていたと報じています。
地方公演では透析を受けられる医療機関を探しながら移動する生活となり、声も出にくくなったため、歌手を続けることそのものを考える時期もあったと本人が振り返っています。
松原のぶえさんは弟・廣原伸輝さんから腎臓移植
松原のぶえさんの闘病を支えた人物の一人が、実弟の廣原伸輝さんです。
廣原伸輝さんは松原さんの事務所を支えながら、2009年には自らドナーとなり、姉へ腎臓を提供しました。
2009年5月に生体腎移植
ORICON NEWSによると、松原のぶえさんは2009年5月14日、腎不全のため生体腎移植手術を受けました。
ドナーとなったのは実弟です。
移植手術後は順調に回復し、同年6月4日に退院。松原さんは会見で、新たな人生を始めるような気持ちを語り、歌手活動への復帰に意欲を見せていました。
弟・廣原伸輝さんは事務所社長として姉を支えた
週刊女性PRIMEは、腎臓を提供した弟を廣原伸輝さんと紹介しています。
廣原さんは松原のぶえさんの所属事務所社長でもあり、姉の体調悪化を近くで見守っていました。
松原さんは2025年のインタビューでも、腎臓を提供してくれた弟への感謝を語っています。
腎移植から16年以上が経過しても、姉弟で健康を気遣いながら生活していたことが伝えられていました。
松原のぶえさんのwiki風プロフィール|本名・年齢・出身は?
松原のぶえさんは1979年のデビュー以来、40年以上にわたり第一線で活動してきた演歌歌手です。
日本コロムビアと徳間ジャパンの公式プロフィールでは、本名や生年月日、出身地などが公開されています。
松原のぶえさんの本名やプロフィール
主なプロフィールは次の通りです。
- 芸名:松原のぶえ
- 本名:廣原伸恵(ひろはら・のぶえ)
- 生年月日:1961年7月18日
- 死亡日:2026年9月13日
- 年齢:65歳
- 出身:大分県下毛郡耶馬渓町(現在の中津市耶馬溪町)
- 血液型:O型
- 職業:演歌歌手
- デビュー:1979年7月1日
- デビュー曲:「おんなの出船」
徳間ジャパンの公式プロフィールでも、本名は廣原伸恵さん、出身地は大分県中津市耶馬溪町と紹介されています。
松原のぶえさんの身長・体重は?
「松原のぶえ 身長 体重」についても気になるところですが、日本コロムビアや徳間ジャパンが掲載している公式プロフィールには、身長と体重の記載がありません。
ネット上には数字を記載したプロフィールもありますが、公式資料で裏付けられる数値ではないため、現在の身長・体重として紹介できる確かな情報は限られています。
年齢によって体重が変化することもあるため、古い数値を晩年のプロフィールとして扱うのも難しいところです。
松原のぶえさんの経歴|北島三郎との出会いから1979年デビュー
松原のぶえさんは中学生の頃から歌手を目指し、大分県から福岡県のタレント養成所へ通いました。
その後、北島音楽事務所に見いだされて上京。1979年に「おんなの出船」でデビューすると、一気に演歌界で名前を知られる存在になりました。
中学生から福岡へ片道3時間以上かけて通った
民音のプロフィールによると、松原のぶえさんは中学1年生の時に山口百恵さんに憧れ、博多のタレント養成所へ通い始めました。
自宅から片道3時間半ほどかけ、週1回レッスンを受けていたとされています。
1976年に歌手としての才能を見いだされ、その後、北島音楽事務所からスカウトされました。
北島三郎のもとで演歌歌手へ
1978年に上京すると、松原のぶえさんは北島三郎さんと出会います。
コロムビアミュージックショップのインタビューでは、当時事務所の社長だった北島三郎さんから演歌が合っているという趣旨の言葉をかけられ、演歌歌手として歩み始めたことを振り返っています。
スポーツ報知によると、2026年2月の番組出演でも北島三郎さんについて触れ、先輩歌手たちにかわいがってもらったことへの感謝を語っていました。
1979年「おんなの出船」でデビュー
1979年7月1日、日本コロムビアから「おんなの出船」でデビューしました。
同曲で第21回日本レコード大賞新人賞、日本有線大賞新人賞など数々の新人賞を獲得しています。
デビュー時は17歳でした。
その後も「演歌みち」「なみだの桟橋」「蛍」などのヒットを重ね、1985年にはNHK紅白歌合戦へ初出場しました。
松原のぶえさんの代表曲|「おんなの出船」「演歌みち」「蛍」
松原のぶえさんは、力強さと哀愁をあわせ持つ歌声で数多くの演歌を残しました。
特に「おんなの出船」「演歌みち」「蛍」は、本人も長年にわたって歌い続けてきた代表曲です。
「おんなの出船」は17歳のデビュー曲
「おんなの出船」は1979年のデビュー曲です。
作詞・山田孝雄さん、作曲・船村徹さんによる作品で、松原のぶえさんの名前を全国に知らしめました。
日本コロムビアの公式プロフィールには、同曲による日本レコード大賞新人賞など数多くの受賞歴が記録されています。
1985年には「おんなの出船」でNHK紅白歌合戦に初出場しました。
「演歌みち」は人生の応援歌として人気
「演歌みち」は松原のぶえさんを代表する一曲です。
1986年には第2回藤田まさと賞を受賞しています。
松原さん自身も後年のインタビューで、「演歌みち」を聴くと元気が出るという声が多く寄せられたと振り返っていました。
1986年のNHK紅白歌合戦でも歌唱しています。
「蛍」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞
1990年の「蛍」も松原のぶえさんの代表曲です。
日本コロムビアによると、「蛍」で第32回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しました。
それまで力強く歌うことが多かった松原さんにとって、力を抑えながら言葉を届ける歌い方を学んだ作品でもあったと後年語っています。
「愛をありがとう」も歌唱
「愛をありがとう」は、作詞・高畠じゅん子さん、作曲・中川博之さんによる楽曲です。
松原のぶえさん版は2016年、「おんなの暦」のカップリング曲として発売されました。
徳間ジャパンの公式YouTubeでは、松原さんが同曲への思いを語り、ライブで歌唱する映像も公開されています。
松原のぶえさんは紅白歌合戦に7回出場
松原のぶえさんはNHK紅白歌合戦にも長く出演しました。
1985年の初出場から1992年まで、通算7回出場しています。スポーツ報知やTBS NEWS DIGも今回の訃報で紅白7回出場の実績を伝えています。
紅白初出場は1985年「おんなの出船」
松原のぶえさんが初めて紅白の舞台に立ったのは1985年です。
その後、
- おんなの出船
- 演歌みち
- なみだの桟橋
- 男なら
- 蛍
- 離愁…秋から冬へ
- 愛冠岬
などを紅白で歌い、1992年まで通算7回出場しました。
「おんなの出船」でデビューした17歳の少女が、演歌界を代表する女性歌手の一人へ成長していった経歴を象徴する実績の一つです。
松原のぶえさんの夫は?1992年に結婚し2003年に離婚
松原のぶえさんは1992年に結婚しています。
相手は当時、北島音楽事務所で松原さんのマネージャーを務めていた男性でした。
その後夫婦で独立しましたが、結婚生活は2003年に終わっています。
元夫は松原のぶえさんのマネージャー
スポーツ報知によると、松原のぶえさんは1992年、当時のマネージャーだった男性と結婚しました。
結婚時には北島三郎さんが仲人を務めたと報じられています。
その後、夫を社長とする個人事務所を設立しました。
日刊ゲンダイの2022年のインタビューでも、2002年にマネージャーだった夫と独立し、翌2003年に離婚したことが紹介されています。
2003年に離婚、その後の再婚は?
松原のぶえさんと元夫は2003年に離婚しています。
その後について、今回の訃報や所属レコード会社の公式プロフィールでは、新たな夫や再婚に関する発表は確認できません。
そのため、晩年の家族については弟・廣原伸輝さんとの関係が報道で多く取り上げられていました。
松原のぶえさんに子供はいる?家族構成を確認
松原のぶえさんについては「子供がいるのか」と気になる人もいると思います。
ただ、本人や所属先の公式プロフィール、今回の主要な訃報報道では、息子や娘がいるという内容は確認できません。
子供について公式に公表された情報は見当たらない
ネット上には「子供はいない」とする記事もあります。
ただ、松原のぶえさん本人や所属先が子供の有無を明確に公表した一次情報は見当たらず、スポーツ報知などの結婚・離婚に触れた報道でも子供については記載されていません。
そのため、現在公に確認できる家族としては、腎臓を提供した弟・廣原伸輝さんなどが知られています。
松原のぶえさんの葬儀・お別れの会は?
松原のぶえさんの訃報は2026年9月14日午前に伝えられたばかりです。
そのため、葬儀やお別れの会についても、現段階では詳しい情報がそろっていません。
葬儀について詳しい発表はまだ出ていない
TBS NEWS DIGやスポーツ報知の第一報では、葬儀の日程や喪主、一般参列の可否、お別れの会などについて詳しい発表は伝えられていません。
今後、所属事務所や遺族、レコード会社などから発表が出る可能性があります。
松原のぶえさん死去|腎移植を乗り越え45年以上歌い続けた
松原のぶえさんは2026年9月13日、65歳で亡くなりました。
東京都内のマンションから病院へ救急搬送され、死亡が確認されたことが報じられていますが、9月14日午前時点で具体的な死因は公表されていません。
松原さんには幼少期からの腎臓病があり、40代には腎不全となって人工透析を受けました。
2009年には弟・廣原伸輝さんから腎臓の提供を受け、生体腎移植に成功。その後も歌手として活動を続け、2025年のインタビューでは定期的に検査を受けながら過ごしていることを明かしていました。
1979年の「おんなの出船」でデビューして以来、「演歌みち」「蛍」など数々の曲を残し、NHK紅白歌合戦には7回出場しました。
北島三郎さんら演歌界の先輩に支えられながら45年以上にわたって歌い続け、腎移植を経験した後もステージへ復帰した松原のぶえさん。
今回の死去については、過去の腎臓病を直接の死因とする発表は出ておらず、現時点で明らかになっている情報は、9月13日に救急搬送され65歳で亡くなったというところまでです。

