小川昌寛(安川電機前社長)の死因は?62歳で死去|wiki経歴・学歴・功績や妻・子供も解説
小川昌寛(安川電機前社長)の死因は?62歳で死去|wiki経歴・学歴・功績や妻・子供も解説

産業用ロボット大手・安川電機の前社長で、副会長執行役員を務めていた小川昌寛(おがわ・まさひろ)さんが亡くなりました。

安川電機は2026年10月5日、小川昌寛さんが10月2日に「病気のため」亡くなったと発表しています。62歳でした。

小川さんは2023年3月に安川電機の代表取締役社長へ就任しましたが、2026年5月に社長を退任。会社が4月に公表した資料では、AIロボティクスなどの成長事業へ実行トップとして専念することに加え、「持病の療養」が退任理由の一つだったことが明記されています。

ただし、10月の訃報では具体的な病名までは公表されておらず、5月に療養するとしていた持病と今回の死因となった病気が同一なのかも明らかにされていません。

小川さんは九州芸術工科大学を卒業後、1987年に安川電機製作所へ入社。米国安川の会長やロボット事業部長を経て社長となり、産業用ロボット事業の海外展開や、AIを活用した次世代ロボットの事業化に携わってきました。

ここでは、小川昌寛さんの死因や持病・病名、62歳までのwiki風プロフィール・学歴・経歴、産業用ロボットやAIロボティクス分野での功績、妻・今日子さんや子供など家族構成について紹介します。

小川昌寛が62歳で死去|安川電機が10月5日に発表

安川電機によると、小川昌寛さんが亡くなったのは2026年10月2日です。

亡くなった時点では、副会長執行役員としてAIロボティクス事業統括、新メカトロ応用事業統括を務めていました。会社は死去に伴い、同日付で執行役員を退任したと発表しています。

生年月日は1964年8月25日

安川電機の公式発表では、小川昌寛さんの生年月日は1964年8月25日です。

2026年8月に62歳の誕生日を迎え、その約1か月後となる10月2日に亡くなりました。

福岡の経済情報誌「ふくおか経済」では、北九州市出身と紹介されています。趣味はゴルフでした。

通夜・告別式は北九州市で執り行われる

安川電機の発表によると、通夜は2026年10月6日午後6時から、告別式は10月7日午前10時から、北九州市八幡東区のシティホール八幡中央で執り行われます。

遺族の意向により日程は公表されていますが、弔電や供花は辞退するとしています。

また、安川電機は後日、会社主催の「お別れの会」を開く予定です。日時や場所は10月5日の発表時点では未定となっています。

小川昌寛の死因は?安川電機は「病気のため」と発表

小川昌寛さんの死因について、安川電機は公式に「病気のため」と発表しています。

一方で、何の病気だったのかという具体的な病名は明らかにしていません。

具体的な病名は公表されていない

安川電機の訃報に記載されているのは、「2026年10月2日に病気のため逝去」という内容までです。

がん、心疾患、脳血管疾患など、具体的な疾病名は記載されていません。

そのため現時点では、「病気だった」ことは会社発表で確認できますが、詳しい病名を特定できる公表情報はありません。

小川昌寛には持病があった|2026年5月の社長退任理由にも療養

小川昌寛さんについては、死去する約半年近く前から「持病」の存在が会社によって公表されていました。

安川電機が2026年4月10日に公表した代表取締役異動資料には、小川さん本人から社長退任の申し出があり、その理由の一つとして「持病の療養」が明記されています。

4月10日の公式資料で「持病の療養」と明記

安川電機の資料によると、小川さんは2026年5月27日の任期満了をもって代表取締役社長を退任したいと申し出ていました。

理由は大きく二つありました。

一つは、発展領域であるAIロボティクス事業と新メカトロニクス応用事業の拡大へ、実行トップとして専念すること。

もう一つが「持病の療養」です。

単純に経営の第一線から離れたのではなく、療養しながら次世代事業へ集中する役割へ移ったことになります。

社長退任と今回の死因には関係がある?

2026年5月に持病の療養を理由の一つとして社長を退き、約4か月後の10月2日に「病気のため」亡くなったため、両者の関係が気になるところです。

ただし、安川電機は4月の「持病」と10月の「病気」が同じものだったとは発表していません。

持病が直接の死因になったのか、別の病気だったのか、療養中にどのような経過があったのかについては公表されていない状態です。

小川昌寛は何者?wikiプロフィール

小川昌寛さんは、産業用ロボットやメカトロニクスを主力とする安川電機で約39年間勤務した技術者・経営者です。

特にロボット事業との関わりが深く、米州市場の事業運営、ロボット事業部長、社長を歴任しました。

主なプロフィールは次の通りです。

項目内容
名前小川昌寛
読み方おがわ まさひろ
生年月日1964年8月25日
死去2026年10月2日
年齢62歳
出身地福岡県北九州市
学歴九州芸術工科大学芸術工学部卒業
入社1987年3月・安川電機製作所
社長就任2023年3月
社長退任2026年5月
最終役職副会長執行役員
主な担当AIロボティクス事業、新メカトロ応用事業
趣味ゴルフ

生年月日と社内略歴は安川電機、出身地や学歴、趣味については地元経済メディアでも確認できます。

小川昌寛の学歴|九州芸術工科大学から安川電機へ

小川昌寛さんは北九州市出身で、九州芸術工科大学芸術工学部を卒業しています。

九州芸術工科大学は2003年に九州大学と統合されており、現在は九州大学芸術工学部へとつながる大学です。小川さんは1987年に卒業後、そのまま安川電機製作所へ入社しました。

大学卒業後の1987年に安川電機製作所へ入社

入社当初からロボットのマニピュレータ設計や応用技術をはじめ、開発領域を中心にロボット事業へ携わりました。

その後の経歴を見ても、約40年にわたり安川電機のロボット事業と深く関わったことが分かります。

経営畑だけを歩んだ社長ではなく、もともとはロボット技術の現場を経験してきた技術系経営者でした。

小川昌寛の経歴|米国安川会長からロボット事業部長へ

小川昌寛さんのキャリアで大きな転機となったのが米国勤務です。

2010年12月に米州統括として米国安川の取締役会長へ就任。2012年には安川電機の執行役員を兼ねながら、引き続き米州市場を統括しました。

米国市場の開拓・事業拡大に携わる

小川さんは米州全域の事業運営を担い、成長市場でのロボット・モーションコントロール事業に関わりました。

2025年の「ふくおか経済」のインタビューでも、安川電機の経営で米国市場の事業力強化を重視していたことが紹介されています。

海外拠点での経営経験は、その後ロボット事業部長や社長としてグローバル事業を率いる土台になりました。

2016年にロボット事業部長

2016年3月には執行役員ロボット事業部長に就任しました。

2019年に取締役、2020年に取締役常務執行役員、2022年には代表取締役専務執行役員へ昇格しましたが、いずれの時期も長くロボット事業部長を兼務しています。

安川電機の産業用ロボット事業が世界市場で存在感を高める中、その事業を長期間率いた責任者の一人でした。

小川昌寛は2023年に安川電機社長へ就任

小川昌寛さんは2023年3月1日付で安川電機の代表取締役社長へ就任しました。

それまで会長兼社長だった小笠原浩さんが会長に専念し、小川さんが社長として経営を担う体制となりました。

技術開発やICT戦略も担当

社長就任時には、人づくり推進、ICT戦略、技術開発本部長も担当していました。

単に売上や財務を管理するだけでなく、技術開発と人材育成まで含めて経営を率いていたことが特徴です。

2026年3月には技術開発本部長を外れたものの、5月まで社長を務めています。

2026年5月に社長退任|副会長としてAIロボティクスを担当

小川昌寛さんは2026年5月27日、代表取締役社長と取締役を退き、副会長執行役員となりました。

新たな担当は「AIロボティクス事業統括」「新メカトロ応用事業統括」です。

完全な引退ではなかった

持病の療養が必要だった一方、小川さんは会社を退職したわけではありません。

社長職からは離れながら、安川電機が今後の成長分野と位置付けるAIロボティクスへ専念する役割が用意されていました。

そのため、2026年5月の社長退任を「体調悪化による完全引退」と表現するのは正確ではありません。

療養と並行しながら、新事業の実行トップを担う予定だったことが会社資料から確認できます。

小川昌寛の功績|産業用ロボットの世界展開に貢献

小川昌寛さんの大きな功績として挙げられるのが、安川電機の産業用ロボット事業です。

読売新聞は訃報で、小川さんについて産業用ロボット部門の技術者として、安川電機が世界大手へ躍進する過程に貢献した人物と伝えています。

技術者から世界事業を率いる経営者へ

1987年の入社後はロボットの設計や応用技術に携わり、その後は米州統括、米国安川会長、ロボット事業部長へと役割を広げました。

「技術を知る経営者」という経歴が、小川さんの特徴の一つです。

とりわけ2016年から長期間ロボット事業部長を務め、産業用ロボット「MOTOMAN」を中心とした事業のグローバル展開を率いました。

小川昌寛が進めたAIロボティクスとMOTOMAN NEXT

小川昌寛さんの社長時代に、安川電機が強く打ち出した次世代分野が「AIロボティクス」です。

安川電機では、AIによって周囲を認識し、自ら判断・計画して動く産業用ロボット「MOTOMAN NEXT」を2023年から展開しています。

フィジカルAIで自動化できる領域を拡大

従来の産業用ロボットは、あらかじめ人が教えた動作を正確に繰り返すことを得意としてきました。

MOTOMAN NEXTではAIによる認識や判断を組み合わせ、形が一定ではない食品や荷物など、従来は人に頼る部分が多かった作業の自動化を目指しています。安川電機はこうした取り組みを「フィジカルAI」の社会実装と位置付けています。

NVIDIAのGPUを搭載

安川電機はMOTOMAN NEXTにNVIDIAの高性能GPUを標準搭載し、AI学習やロボット動作のシミュレーションを行える環境を整備しています。

2026年の会社資料では、MOTOMAN NEXTをAIロボティクスの具体的な製品として位置付け、フィジカルAI市場の開拓を成長戦略の一つに掲げています。

小川さんは社長退任後も、このAIロボティクス事業を統括する立場となっていました。

富士通・ソフトバンクなどとの連携も推進

安川電機はAIロボティクスの社会実装を広げるため、外部企業との連携も進めました。

2026年1月の会社資料では、ソフトバンクや富士通などのパートナー企業との連携を具体化し、MOTOMAN NEXTを活用した作業領域の拡大を目指していることが説明されています。

ソフトバンクとはフィジカルAIを実証

2026年7月には、安川電機とソフトバンクがAIデータセンターのGPUクラウドを活用し、MOTOMAN NEXTによる柔軟な物体のハンドリングシステムを実証したと発表しました。

この発表時にはすでに小川さんは社長を退いていましたが、副会長としてAIロボティクス事業を統括する立場にありました。

小川昌寛は日本ロボット工業会の第28代会長にも就任

2026年5月29日、小川昌寛さんは一般社団法人日本ロボット工業会の第28代会長に選ばれました。

社長を退任したわずか2日後のことで、当時の肩書きは安川電機副会長執行役員でした。

日本のロボット産業を代表する立場へ

日本ロボット工業会には、ファナック、川崎重工業、不二越、デンソーウェーブなど、国内の主要ロボット関連企業が参加しています。

小川さんはそのトップである会長へ就任しており、安川電機だけでなく日本のロボット産業全体を代表する立場にもなっていました。

持病の療養を続けながらも、ロボット業界の将来へ関わる役割を担っていたことになります。

小川昌寛の妻は今日子さん|喪主を務める

小川昌寛さんの妻は、今日子(きょうこ)さんです。

読売新聞は訃報で、告別式の喪主を妻の今日子さんが務めると報じています。

小川今日子さんの詳しいプロフィールは非公表

妻・今日子さんについて、公表されているのは主に喪主としての情報です。

年齢や職業など詳しいプロフィールは、安川電機の公式資料や今回確認した主要報道では明らかにされていません。

小川さん自身も企業経営者としての経歴は詳しく紹介していましたが、家族の私生活について積極的に公表していた人物ではなかったようです。

小川昌寛に子供はいる?家族構成を確認

小川昌寛さんに子供がいるのかについては、今回確認した安川電機の公式プロフィール、訃報、主要報道では具体的な情報を確認できませんでした。

息子や娘の人数、氏名、年齢、職業なども公表されていません。

そのため、現在公表情報として確認できる家族は、妻の今日子さんまでとなります。

安川電機の訃報でも「ご遺族」という表現にとどめており、妻以外の家族構成については触れていません。

小川昌寛の死因・経歴・功績について分かっていること

安川電機前社長の小川昌寛さんは、2026年10月2日に62歳で亡くなりました。

安川電機が発表した死因は「病気のため」です。ただし、具体的な病名は公表されていません。

小川さんには以前から持病があり、2026年4月には「持病の療養」が5月の社長退任理由の一つとして公式に明らかにされていました。一方、その持病が直接の死因だったのかは発表されていません。

1964年8月25日に北九州市で生まれ、九州芸術工科大学を卒業後、1987年に安川電機製作所へ入社しました。

米国安川会長として米州市場を統括した後、2016年から長くロボット事業部長を務め、2023年3月に代表取締役社長へ就任。2026年5月の退任後は、副会長執行役員としてAIロボティクス事業と新メカトロ応用事業を統括しました。

また、2026年5月には日本ロボット工業会の第28代会長に就任しています。

産業用ロボットの技術者からスタートし、米州市場、ロボット事業全体、安川電機の経営へと役割を広げ、晩年にはAIロボット「MOTOMAN NEXT」を軸とするフィジカルAIの社会実装にも携わりました。

妻は今日子さんで、今回の告別式では喪主を務めます。子供については、公表情報から確認できる具体的な情報はありません。

通夜は10月6日、告別式は10月7日に北九州市で行われ、安川電機は後日、会社主催のお別れの会を開催する予定です。

産業用ロボットが従来の自動化からAIによって自律的に判断する時代へ移ろうとする中、その転換期を技術者・事業責任者・経営者として歩んだ人物でした。