小嶋淳司さん死去|死因は老衰、91歳のwiki経歴・功績や妻・子供など家族を調査
小嶋淳司さん死去|死因は老衰、91歳のwiki経歴・功績や妻・子供など家族を調査

「がんこ寿司」で知られる株式会社GANKOの創業者・小嶋淳司(こじま・あつし)さんが亡くなったことが、2026年8月25日に報じられました。

小嶋淳司さんは8月19日午後1時41分、大阪市内の病院で死去。91歳でした。

時事通信や日刊スポーツによると、死因は老衰と公表されています。葬儀はすでに近親者で執り行われ、喪主は長男でGANKO社長の小嶋達典さんが務めました。後日、お別れの会を開く予定です。

小嶋さんは1963年、大阪・十三でわずか4坪半の寿司店を開業。そこから「がんこ寿司」を関西を代表する外食ブランドの一つへ育てました。

外食産業だけでなく、関西経済同友会代表幹事、日本フードサービス協会会長、大阪商工会議所副会頭なども歴任し、関西経済界でも長く活動した経営者です。

小嶋淳司さん死去|8月19日に91歳で亡くなる

小嶋淳司さんの訃報が大きく報じられたのは2026年8月25日です。

実際に亡くなったのは8月19日で、死去から数日後に公になった形です。

小嶋淳司さんは2026年8月19日に死去

時事通信によると、小嶋淳司さんは2026年8月19日午後1時41分、大阪市内の病院で亡くなりました。

享年91歳です。

関西テレビも、GANKO社の発表として小嶋さんが19日に老衰のため亡くなったと伝えています。

日付を確認すると、

  • 死去:2026年8月19日
  • 訃報報道:2026年8月25日
  • 年齢:91歳
  • 死因:老衰

となります。

葬儀は近親者で執り行われた

小嶋淳司さんの葬儀は、すでに近親者のみで執り行われました。

喪主を務めたのは長男で株式会社GANKOの代表取締役社長を務める小嶋達典さんです。

一般の参列者を受け入れる葬儀ではなく、家族や近しい人を中心に見送られたことになります。

後日お別れの会を開催予定

GANKO社によると、後日、小嶋淳司さんのお別れの会を開催する予定です。

ただし、2026年8月25日夜の時点では、日時や会場など詳しい内容は決まっていません。

今後、GANKOから案内が発表される可能性があります。

小嶋淳司さんの死因は老衰|病気は公表されていた?

小嶋淳司さんの死因については、今回の訃報で「老衰」と明らかになっています。

91歳という年齢でしたが、特定のがんや心臓病などが直接の死因だったという発表ではありません。

小嶋淳司さんの死因は老衰

日刊スポーツや時事通信は、小嶋淳司さんについて「老衰のため」大阪市内の病院で死去したと報じています。

そのため、今回の死因については公表済みで、老衰です。

一般に老衰という言葉は、高齢に伴って身体機能が徐々に低下した末に亡くなった場合の死因として使われます。

小嶋淳司さんに大きな病気や闘病歴はあった?

今回の訃報では、小嶋淳司さんが亡くなる直前に特定の病気を患っていた、長期間にわたり闘病していたといった説明は出ていません。

死去した場所が大阪市内の病院だったことは公表されていますが、入院した時期や治療内容などは明らかにされていません。

現時点で病気について伝えられている内容は、死因が老衰だったというところまでです。

小嶋淳司さんは何歳?wikiプロフィール・出身地

小嶋淳司さんは1935年7月16日生まれで、和歌山県西牟婁郡上富田町の出身です。

2026年8月19日に91歳で亡くなりました。

高校時代から家業の雑貨店を切り盛りし、大学卒業後に寿司職人として修業。その経験が「がんこ寿司」の創業へつながっています。

小嶋淳司さんのwiki風プロフィール

項目内容
名前小嶋淳司
読み方こじま あつし
生年月日1935年7月16日
年齢91歳で死去
出身地和歌山県西牟婁郡上富田町
学歴和歌山県立田辺高校、同志社大学経済学部
職業実業家・外食経営者
創業1963年「がんこ寿司」
会社株式会社GANKO
主な役職社長、会長、社主
主な公職日本フードサービス協会会長、関西経済同友会代表幹事、大阪商工会議所副会頭
受章藍綬褒章、旭日中綬章
死去2026年8月19日
死因老衰

日本ショッピングセンター協会の講演者紹介では、1935年7月16日に和歌山県西牟婁郡上富田町で生まれたことが紹介されています。

小嶋淳司さんの学歴|田辺高校から同志社大学経済学部へ

小嶋淳司さんは和歌山県立田辺高校を経て、同志社大学経済学部を卒業しています。

ただ、一般的な学生生活とは少し違い、高校生のころから家業を任され、商売の現場に立っていました。

和歌山県立田辺高校を卒業

小嶋さんは和歌山県立田辺高校へ進学しました。

日本ショッピングセンター協会のプロフィールによると、小嶋さんは6人きょうだいの末っ子で、実家は雑貨店を営んでいました。

父親を早くに亡くした家庭で育ち、高校時代から家業の雑貨店を切り盛りしていたとされています。

テレビ大阪も、小嶋さんが母親の接客を間近で見ながら商売を学び、高校生のころには店主として働いていたと紹介しています。

22歳で同志社大学経済学部へ

小嶋さんは22歳のころ、同志社大学経済学部へ進学しました。

NTT西日本のBiz Clipによると、1958年に同志社大学経済学部へ入学しています。

単に学歴を得るためではなく、都会の商売や市場を知るという目的も持っていたようです。

大学卒業後はすぐ会社員になるのではなく、大阪の寿司店へ入り、約1年間職人として修業しました。

小嶋淳司さんの経歴|4坪半の店から「がんこ寿司」を創業

小嶋淳司さん最大の経歴といえば、現在のGANKOを一代で築いたことです。

出発点となった店は、現在の大手外食チェーンからは想像できないほど小さな寿司店でした。

大学卒業後に寿司店で1年間修業

同志社大学を卒業した小嶋さんは、大阪の榮寿司店で約1年間、寿司職人として修業しました。

日本ショッピングセンター協会の紹介にも、大学卒業後に大阪榮寿司店で見習い修業をした経歴が掲載されています。

この修業を終えた後、1963年に自分の店を持つことになります。

1963年に大阪・十三で4坪半の「がんこ寿司」を創業

株式会社GANKOの公式沿革によると、1963年、小嶋淳司さんは大阪・十三で4坪半の寿司店を個人創業しました。

これが「がんこ寿司」の始まりです。

当時の寿司店では価格が「時価」とされるケースも多い中、小嶋さんは価格を明確にして、良質な寿司を手頃に提供する経営を進めました。

テレビ東京の『カンブリア宮殿』では、小嶋さんが掲げた考えとして「どこよりも良いものを、どこよりも安く」が紹介されています。

2年後には106席の大型寿司店を開店

創業からわずか2年後の1965年には、十三に106席を持つ大型寿司店を開店しました。

株式会社GANKOの公式沿革では、当時としては大型の寿司店として話題を集めたと紹介されています。

4坪半の店から始まり、短期間で大型店舗へ拡大していったことになります。

1969年に法人化、1980年に「がんこフードサービス」へ

1969年には小嶋商事株式会社を設立。

1980年に「がんこフードサービス株式会社」へ社名を変更しました。

その後は寿司だけでなく、

  • 日本料理
  • 炉端料理
  • とんかつ
  • 回転寿司
  • 豆腐
  • 屋敷を活用した飲食店

など、幅広い業態へ事業を拡大していきました。

小嶋淳司さんの功績|「がんこ」を関西有数の外食チェーンへ

小嶋淳司さんの功績は、寿司店を大きなチェーンにしただけではありません。

外食産業全体の発展や人材育成、サービスの研究、関西経済界でも長年活動してきました。

「お屋敷がんこ」など独自の店舗を展開

がんこの特徴の一つが、歴史ある日本家屋などを店舗として活用する「お屋敷」シリーズです。

GANKO公式沿革によると、1993年には屋敷シリーズ第1号店となる「平野郷屋敷」を開店しています。

日本庭園や歴史的な建物と和食を組み合わせる店舗展開は、一般的な寿司チェーンとは異なるがんこの個性となりました。

「人・人・人」を重視した経営

小嶋さんが経営で特に重視していたのが、人材でした。

『カンブリア宮殿』では、店舗数を急拡大した時期に従業員が疲弊した経験を受け、小嶋さんが人材育成へ力を入れるようになったことが紹介されています。

「人・物・金」ではなく「人・人・人」という考え方でも知られ、接客や料理を担う人を育てることを経営の中心に置いてきました。

日本フードサービス協会会長を歴任

株式会社GANKOの公式沿革によると、小嶋淳司さんは2001年に日本フードサービス協会会長へ就任しました。

関西国際大学のプロフィールでも、日本フードサービス協会会長を歴任した人物として紹介されています。

自社だけでなく、日本の外食産業全体の発展にも関わっていたことが分かります。

関西経済同友会代表幹事を務める

2006年には関西経済同友会代表幹事に就任しました。

GANKO公式沿革にもこの経歴が記録されています。

関西テレビは今回の訃報で、小嶋さんが「関西経済界のトップ」として同会代表幹事や大阪商工会議所副会頭を務めたことを紹介しています。

大阪商工会議所副会頭として活動

2008年には大阪商工会議所の副会頭に就任しました。

外食企業の経営者という枠を超えて、大阪や関西の経済政策、産業振興にも携わっています。

また、大阪の夏の風物詩として知られる「なにわ淀川花火大会」でも大会会長を務め、運営に尽力しました。

小嶋淳司さんは藍綬褒章・旭日中綬章を受章

小嶋淳司さんは、外食産業や経済界での長年の活動が評価され、国から褒章や勲章も受けています。

2005年に藍綬褒章、2010年には旭日中綬章を受章しました。

2005年に藍綬褒章

株式会社GANKOの公式沿革には、2005年に小嶋淳司さんが藍綬褒章を受章したことが掲載されています。

同年には社長から代表取締役会長へ移り、経営の第一線で後継者育成にも力を入れるようになりました。

2010年に旭日中綬章

2010年秋には旭日中綬章を受章しています。

GANKO公式沿革にも「秋の叙勲において会長小嶋淳司、旭日中綬章を受章」と記録されています。

大阪外食産業協会も当時、小嶋さんの旭日中綬章受章を紹介しました。

農林水産大臣賞も複数回受賞しており、外食産業の人材育成、ごはん食普及、地産地消など幅広い分野で功績を残しています。

小嶋淳司さんの妻・子供など家族構成は?

小嶋淳司さんの家族については、妻と子供に関する情報も一部公になっています。

長男の小嶋達典さんは現在、株式会社GANKOの代表取締役社長を務めており、父が立ち上げた会社を引き継いでいます。

妻は小嶋貞子さん

小嶋淳司さんの妻は、小嶋貞子さんです。

食品業界紙「日刊食品通信」の2006年4月の記録では、貞子さんが「がんこフードサービス常務」として亡くなったことが掲載されています。

そのため、貞子さんも家族としてだけでなく、会社の経営に携わっていたことが分かります。

貞子さんは小嶋淳司さんより先に亡くなっています。

長男はGANKO社長・小嶋達典さん

今回の小嶋淳司さんの訃報で喪主を務めたのが、長男の小嶋達典さんです。

現在は株式会社GANKOの代表取締役社長を務めています。

みなと新聞によると、達典さんは創業者・小嶋淳司さんの長男で、2018年8月にがんこフードサービスの社長へ就任しました。

長男・達典さんは料理人修業や会社員を経験

小嶋達典さんは1968年、大阪府生まれ。

佛教大学卒業後、京都の料理店で料理人として修業し、その後、三洋電機で会社員も経験しました。

1997年に父親が創業したがんこフードサービスへ入社し、店舗勤務、商品企画、関連会社社長などを経験した後、2018年に代表取締役社長へ就任しています。

父親からすぐ社長の座を受け継いだわけではなく、小嶋淳司さんは社員出身の社長2人を挟んだうえで、長男の達典さんへ経営を託しました。

小嶋淳司さんには娘もいる

小嶋達典さんへの過去のインタビューでは、2歳上の姉が1人いることも明かされています。

その内容から、小嶋淳司さん夫妻には少なくとも娘と長男・達典さんの2人の子供がいたことが分かります。

娘については経営者などとして広く活動を公表している人物ではなく、氏名や現在の生活など詳しい情報は主要な企業プロフィールには掲載されていません。

小嶋淳司さんのお別れの会はいつ?

小嶋淳司さんの葬儀は近親者ですでに行われましたが、GANKOでは後日お別れの会を開催する予定です。

長年、外食産業や関西経済界で活動した人物だけに、今後は経済界や飲食業界の関係者からも追悼の声が寄せられるとみられます。

日時や会場はまだ発表されていない

関西テレビによると、GANKO社は後日お別れの会を開催するとしていますが、日時などは未定です。

開催日や会場、一般参列の可否などについては追加発表を待つ形となります。

大阪商工会議所・鳥井信吾会頭も追悼

小嶋さんの訃報を受け、大阪商工会議所の鳥井信吾会頭もコメントを発表しています。

鳥井会頭は、小嶋さんがGANKOを創業して一代で育て上げた企業家だったことを振り返り、人材を失ったことを悼みました。

外食業界だけでなく、長年活動した関西経済界にとっても大きな訃報となりました。

小嶋淳司さん死去|死因・経歴・功績や家族について現在分かっていること

「がんこ寿司」を創業した小嶋淳司さんは、2026年8月19日午後1時41分、老衰のため大阪市内の病院で亡くなりました。91歳でした。

小嶋さんは1935年7月16日、和歌山県西牟婁郡上富田町生まれ。

和歌山県立田辺高校から同志社大学経済学部へ進み、寿司職人として約1年間修業した後、1963年に大阪・十三で4坪半の「がんこ寿司」を開店しました。

そこから会社を拡大し、寿司や日本料理をはじめとする多彩な業態を展開。関西経済同友会代表幹事、日本フードサービス協会会長、大阪商工会議所副会頭なども務めました。

2005年に藍綬褒章、2010年には旭日中綬章を受章しています。

家族では、妻は会社経営にも携わった小嶋貞子さんで、子供には娘と長男がいます。長男の小嶋達典さんは現在GANKOの代表取締役社長を務め、今回の葬儀では喪主を務めました。

4坪半の小さな寿司店から始め、「旨くて、安くて、楽しい」を掲げながら大きな外食企業を築いた小嶋淳司さん。

「がんこ」というブランドだけでなく、人材育成やサービス、外食産業そのものの発展にも長く関わった経営者として、その功績が改めて振り返られています。