
「カントリーミュージックの女王」として世界的に親しまれた米歌手ドリー・パートンさんが、2026年8月25日に亡くなりました。80歳でした。
公式サイトは、ドリー・パートンさんが米テネシー州ナッシュビルで穏やかに亡くなったと発表しています。甥のブライアン・シーバーさんも同日、SNSの動画を通じて訃報を伝えました。
当初の訃報では具体的な死因は明かされていませんでしたが、その後、本人の関係者が米Peopleに「短期間のがん闘病」の末に亡くなったことを明らかにしました。がんの種類については公表されていません。
亡くなる前年から体調不良が続き、ラスベガス公演の延期や中止も発表されていたドリーさん。
代表曲「ジョリーン」や「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」、ホイットニー・ヒューストンさんとの意外なつながり、2025年に先立った夫カール・ディーンさんとの約60年に及ぶ結婚生活でも知られています。
ドリー・パートンさん死去|80歳で亡くなるまでに何があった?
ドリー・パートンさんが亡くなったのは、2026年8月25日です。
TBS NEWS DIGは26日、ドリーさんの甥が25日にSNSで死去を明らかにしたと報じました。公式サイトでも1946年1月19日から2026年8月25日までの生涯が記されています。
2026年8月25日にナッシュビルで死去
ドリー・パートンさんの公式サイトによると、ドリーさんは2026年8月25日、テネシー州ナッシュビルで亡くなりました。
80歳でした。
米AP通信は、ドリーさんがバンダービルト・イングラムがんセンターで、家族らに見守られながら亡くなったと関係者の発表を伝えています。
葬儀について公式サイトでは、本人の希望により近親者だけの小規模なプライベートセレモニーが行われると発表されています。
甥のブライアン・シーバーさんが訃報を発表
訃報を最初に伝えた人物の一人が、ドリーさんの甥であるブライアン・シーバーさんです。
Peopleによると、ブライアンさんは8月25日にInstagramへ動画を投稿し、叔母の死去を公表しました。
TBS NEWS DIGも、甥がSNSへの動画投稿で死去を明らかにしたと伝えています。
ドリー・パートンさんの死因はがん|病名は何だった?
ドリー・パートンさんの死因については、訃報が出た直後と、その後の続報で発表内容に変化があります。
当初は具体的な死因が公表されていませんでしたが、その後、ドリーさんの代理人が「短期間のがん闘病」だったことを明かしました。
関係者が「短期間のがん闘病」だったと発表
Peopleは8月25日、ドリー・パートンさんの関係者からの声明として、亡くなる前に短期間がんと闘っていたと報じました。
米AP通信も、広報担当者の声明をもとに、ドリーさんが短いがん闘病を経て亡くなったと伝えています。
そのため、現在公表されている死因は「がん」です。
ドリー・パートンさんは何がんだった?
一方、肺がん、乳がん、膵臓がんなど、具体的ながんの種類は発表されていません。
Peopleも「がんの種類は明かされていない」としています。
ネット上では、亡くなる前から続いていた体調不良と結びつけてさまざまな病名を挙げる声も出ています。
ただ、ドリーさんが直前まで抱えていた腎臓などの問題と、今回公表されたがんがどのように関係していたのかについて、本人側から詳しい説明は出ていません。
ドリー・パートンさんは以前から病気?体調不良やラスベガス公演中止の経緯
ドリー・パートンさんは亡くなる約1年前から、体調面についてたびたび発信していました。
特に注目されたのが、ラスベガスで予定していた公演の延期と、その後の中止です。
2025年にラスベガス公演を健康上の理由で延期
ドリーさんは2025年6月、ラスベガスのシーザーズ・パレスで同年12月に6公演を行う予定を発表していました。
しかし同年9月、健康上の問題により医師から複数の処置を受けるよう言われたとして、公演を2026年秋へ延期しました。
Peopleによると、ドリーさんは当時、詳しい病名は明かさず、「health challenges」と表現していました。
腎臓結石による感染症も公表
2025年には腎臓結石から感染症を起こし、イベントを欠席したこともありました。
本人側は当時、深刻な状態ではなく治療可能な問題だと説明していました。
しかしラスベガス公演は最終的に実現せず、2026年5月に中止が発表されています。
亡くなる4日前にも体調について語っていた
Peopleによると、ドリーさんは亡くなる4日前の8月21日にも、自身の健康について語っていました。
夫カール・ディーンさんの世話をしていた間、自分自身の体調の問題を後回しにしていたという趣旨の話をしていたとされています。
同日には病院へ入り、4日後の8月25日に亡くなりました。
近年の体調不良すべてががんによるものだったという発表はなく、腎臓や自己免疫系の問題も抱えていたとPeopleは伝えています。
ドリー・パートンさんのwikiプロフィール|80歳までの経歴
ドリー・パートンさんは1946年1月19日、アメリカ南部テネシー州で生まれました。
12人きょうだいの一人として決して裕福ではない家庭で育ち、幼いころから歌と作詞の才能を見せています。
ドリー・パートンさんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | Dolly Rebecca Parton |
| 日本語表記 | ドリー・パートン |
| 生年月日 | 1946年1月19日 |
| 死去 | 2026年8月25日 |
| 年齢 | 80歳 |
| 出身 | 米テネシー州 |
| 職業 | 歌手、作詞作曲家、女優、実業家、慈善活動家 |
| 夫 | カール・トーマス・ディーン |
| 子供 | なし |
| 代表曲 | 「ジョリーン」「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」「9 to 5」など |
| 主な活動 | 音楽、映画、Dollywood、Imagination Library |
| 死因 | がん(種類は未公表) |
公式サイトによると、ドリーさんは5歳ごろから歌を作り始め、10歳になるころには地元のラジオやテレビに出演。13歳でカントリー音楽の殿堂的な舞台「グランド・オール・オープリー」に出演しました。
ドリー・パートンさんの若い頃|貧しい家庭から世界的スターへ
ドリー・パートンさんの若い頃は、後年の華やかな衣装や世界的スターとしての姿とは対照的な環境から始まりました。
テネシー州東部のスモーキー山脈周辺で育ち、高校卒業後すぐに音楽家を目指してナッシュビルへ向かっています。
12人きょうだいの家庭で育つ
公式サイトによると、ドリーさんは12人きょうだいの一人として、小さな家で幼少期を過ごしました。
決して恵まれた生活ではありませんでしたが、母親や親族から伝えられた音楽、教会での歌、アパラチア地方の民謡などが後の作風に大きく影響しています。
自身の貧しかった幼少期を題材にした「Coat of Many Colors」も代表曲の一つになりました。
1967年からポーター・ワゴナーと活動
高校卒業後にナッシュビルへ移ったドリーさんは、1965年にレコード契約を結び、1967年から人気歌手ポーター・ワゴナーのテレビ番組へ出演しました。
2人は数多くのデュエットを発表し、ドリーさんが全米で知られるきっかけとなります。
1970年代にはソロ歌手として大きく飛躍し、「ジョリーン」など現在まで歌い継がれる名曲を次々と生み出しました。
ドリー・パートンさんの代表曲・名曲は?「ジョリーン」など世界的ヒット
ドリー・パートンさんは数多くの楽曲を書いたシンガーソングライターでもあります。
ロイター通信によると、生涯のレコード売上は世界で1億枚を超え、グラミー賞も多数受賞しています。
「ジョリーン」は1973年発表の代表曲
ドリー・パートンさんの代表曲として真っ先に名前が挙がる一曲が「Jolene(ジョリーン)」です。
1973年に発表され、カントリーチャートで1位となったほか、海外にも広がりました。
AP通信によると、マイリー・サイラスやオリビア・ニュートン=ジョン、The White Stripesなど、多くのアーティストにカバーされています。
「9 to 5」も世界的な名曲
1980年公開の映画『9時から5時まで』では、ドリーさん自身が出演するとともに主題歌「9 to 5」を担当しました。
同曲はポップとカントリーの双方でヒットし、グラミー賞にもつながっています。
ほかにも「Coat of Many Colors」「Here You Come Again」「Islands in the Stream」など、多数の代表曲があります。
ドリー・パートンとホイットニー・ヒューストンの関係は?
ドリー・パートンさんとホイットニー・ヒューストンさんを結びつける最大の作品が「I Will Always Love You(アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー)」です。
ホイットニーさんの代表曲として知られていますが、もともとはドリーさんが作詞・作曲し、自ら歌った楽曲でした。
「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」はドリーが作った曲
ドリーさんはポーター・ワゴナーさんのもとから独立する際、その別れの思いを込めて「I Will Always Love You」を制作しました。
1974年にドリーさん自身の歌でカントリーチャート1位を獲得しています。
ホイットニー・ヒューストンのカバーで世界的ヒット
1992年、ホイットニー・ヒューストンさんが映画『ボディガード』の主題歌としてカバーしました。
ホイットニー版は米国のチャートで14週にわたり1位となり、世界的な大ヒットを記録しています。公式サイトも、このカバーによって楽曲が世界的なバラードとして知られるようになったと紹介しています。
AP通信によると、ホイットニーさんが同曲でグラミー賞を受賞した際には、ドリーさん本人が賞を手渡しました。
そのため、「ドリー・パートン ホイットニー」という組み合わせは、単なる共演関係ではなく、名曲の作者と、その曲を世界的に広めた歌手というつながりです。
ドリー・パートンさんの夫はカール・ディーン|約60年間連れ添う
ドリー・パートンさんの夫は、カール・トーマス・ディーンさんです。
1966年に結婚し、カールさんが2025年に亡くなるまで約59年間夫婦として歩みました。
カール・ディーンさんは2025年3月に死去
カール・ディーンさんは2025年3月3日、82歳で亡くなりました。
ドリーさんの公式サイトでも、夫カールさんが2025年に先立ったことが紹介されています。
カールさんは芸能界の人物ではなく、表舞台に出ることを好まない人物として知られていました。
ドリーさんが世界的スターとなってからも公の場に姿を見せる機会は少なく、夫婦は華やかな芸能活動と私生活を分けていました。
「ジョリーン」誕生にも夫が関係
AP通信によると、「ジョリーン」の着想には、夫カールさんに親しげに接していた銀行員の女性が関係していたとドリーさん自身が語っています。
約60年に及ぶ結婚生活は、ドリーさんの音楽にもたびたび影響を与えました。
ドリー・パートンさんに子供はいる?
ドリー・パートンさんとカール・ディーンさんの間に子供はいません。
ドリーさん自身も過去のインタビューで、子供を持たなかったことで仕事や慈善活動へ多くの時間を注ぐことができたと語っています。
実子はいないが子供支援に力を注いだ
ドリーさんは1995年、幼い子供たちへ無料で本を届ける「Imagination Library」を始めました。
この活動の背景には、父親が十分な教育を受けられず、読み書きに苦労していた経験もありました。
AP通信によると、Imagination Libraryはドリーさんを代表する慈善活動の一つとなり、多くの子供たちへ本を届けています。
公式サイトは、葬儀に際して花の代わりにImagination Libraryへの寄付を検討してほしいという家族の意向も伝えています。
ドリー・パートンさんの名言|前向きな言葉でも愛された
ドリー・パートンさんは歌詞だけでなく、ユーモアと前向きさを感じさせる発言でも知られていました。
華やかな外見を自ら笑いの題材にする一方、自分らしく生きることや困難を乗り越えることを語った言葉が数多く残っています。
「虹が欲しいなら雨も受け入れなければ」
ドリーさんを代表する名言の一つとして知られるのが、
「The way I see it, if you want the rainbow, you gotta put up with the rain.」
という言葉です。
日本語では「虹を見たいなら、雨も受け入れなくてはいけない」といった意味になります。
1980年代のBMIの出版物にも、ドリーさんの言葉として紹介されています。
貧しい家庭から音楽界へ進み、女性歌手として自ら楽曲や権利を守りながらキャリアを築いたドリーさんらしさを感じさせる言葉です。
ドリー・パートンさんの功績|音楽だけでなく慈善活動にも尽力
ドリー・パートンさんは歌手、作詞作曲家、女優、実業家としてだけでなく、慈善活動でも大きな足跡を残しました。
ロイター通信によると、2020年には新型コロナウイルスのワクチン研究を行っていたバンダービルト大学へ100万ドルを寄付しています。
世界で1億枚以上のレコードを販売
ロイター通信は、ドリーさんのレコード売上が世界で1億枚以上に達したと伝えています。
公式サイトによると、グラミー賞を11回受賞し、1999年にはカントリー・ミュージック殿堂入りも果たしました。
カントリーというジャンルを超え、ポップス、映画、テレビなど幅広い分野で世界的な知名度を築いた人物でした。
DollywoodやImagination Libraryも大きな遺産に
ドリーさんは故郷テネシー州にあるテーマパーク「Dollywood」の事業にも関わり、地域経済にも貢献しました。
一方でImagination Libraryを通じた子供への本の寄贈、災害被災者への支援、医療研究への寄付なども続けています。
歌手という肩書だけでは収まらない活動を続けたことが、ドリー・パートンさんが幅広い世代から支持された理由の一つでした。
ドリー・パートンさん死去|死因・病気や夫・名曲について現在分かっていること
「カントリーミュージックの女王」と呼ばれたドリー・パートンさんは、2026年8月25日に米テネシー州ナッシュビルで亡くなりました。80歳でした。
死因について当初は明らかにされていませんでしたが、その後、関係者がPeopleなどに短期間のがん闘病だったことを公表しています。がんの種類は明かされていません。
ドリーさんは前年から体調不良が続き、腎臓結石による感染症を経験。ラスベガス公演も健康上の理由で延期された後、2026年5月に中止されていました。
夫カール・ディーンさんとは1966年から約59年間連れ添いましたが、カールさんは2025年3月に82歳で死去。夫妻に子供はいませんでした。
音楽では「ジョリーン」「9 to 5」など数々の名曲を残し、ドリーさんが作った「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」は、1992年にホイットニー・ヒューストンさんがカバーしたことで世界的なスタンダード曲となりました。
音楽、映画、ビジネス、慈善活動まで約70年にわたり活躍してきたドリー・パートンさん。
公式サイトは、その生涯を音楽だけでなく「愛、優しさ、強さ」の遺産として振り返っています。

