成島出の死因は?65歳で死去、肺がんの闘病歴や経歴・代表作・家族を調査
成島出の死因は?65歳で死去、肺がんの闘病歴や経歴・代表作・家族を調査

映画『八日目の蟬』『銀河鉄道の父』『52ヘルツのクジラたち』などを手がけた映画監督・脚本家の成島出(なるしま・いずる)さんが亡くなったことが、2026年8月28日に発表されました。

所属事務所の発表によると、成島出さんは2026年8月24日に死去。65歳でした。葬儀は親族のみで執り行われ、本人の遺志により「お別れの会」も予定されていません。

一方、気になる死因については、8月28日時点の所属事務所の発表では明らかにされていません。

成島さんは2017年に肺がんを発症し、1年以上にわたる闘病生活を経験したことを自ら公表しています。その後は映画監督として現場に復帰していましたが、今回の死去が過去の肺がんと直接関係しているとの発表は出ていません。

成島出さん死去|2026年8月24日に65歳で亡くなる

成島出さんが亡くなったのは2026年8月24日です。

訃報が公表されたのは4日後の8月28日で、所属事務所が公式に死去を発表しました。

所属事務所が8月28日に死去を発表

ORICON NEWSによると、所属するアンカットは8月28日、成島出さんが8月24日に65歳で亡くなったことを発表しました。

発表では、葬儀についてすでに親族のみで執り行われたことも明らかにされています。

現在判明している内容は次の通りです。

項目内容
名前成島出
読み方なるしま いずる
死去2026年8月24日
訃報発表2026年8月28日
年齢65歳
職業映画監督・脚本家
死因公表されていない
葬儀親族のみで執り行った
お別れの会本人の遺志により予定なし

訃報発表からまだ時間がたっていないこともあり、亡くなる直前の詳しい状況については限られた情報しか明らかになっていません。

お別れの会は行わない

著名な映画監督の訃報では後日「お別れの会」が行われる場合もありますが、成島出さんについては予定されていません。

所属事務所は、本人の遺志によるものだとしています。

成島さん自身の希望を尊重し、家族や親しい関係者を中心に静かに見送られたことになります。

成島出さんの死因は?所属事務所は明らかにしていない

成島出さんの死去を受け、特に注目されているのが「死因は何だったのか」という点です。

しかし、2026年8月28日に所属事務所が発表した訃報では、具体的な死因や病名は記載されていません。

成島出さんの死因は現時点で非公表

所属事務所が明らかにしたのは、成島さんが8月24日に65歳で亡くなったこと、葬儀を親族のみで執り行ったこと、お別れの会を予定していないことです。

死因については発表されていません。

そのため、現時点で「成島出さんは○○で亡くなった」と特定の病気を死因として断定することはできません。

過去の肺がんが死因だった?

成島出さんについては、過去に肺がんを患っていたことが公表されています。

このため訃報を知った人の中には、「肺がんが再発したのでは?」「死因も肺がんなのでは?」と考える人がいるかもしれません。

しかし、今回の訃報では肺がんの再発や転移について発表されていません。

2017年に肺がんを患ったことと、2026年の死去の原因は分けて考える必要があります。

成島出さんは2017年に肺がんを発症|1年以上闘病していた

成島出さんは、自身が肺がんを患ったことを生前に隠さず語っていました。

2017年に発症し、1年以上にわたって映画の現場を離れて治療を受けています。

『ちょっと今から仕事やめてくる』公開後に肺がん

成島さんが肺がんを発症したのは2017年です。

映画『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』について語ったインタビューでは、同作の構想を練っていた段階で肺がんが判明し、闘病のため撮影を延期したと自ら明かしています。

2017年には福士蒼汰さん、工藤阿須加さん出演の『ちょっと今から仕事やめてくる』が公開されており、その後に入院しました。

1年以上映画の現場を離れて闘病

日刊スポーツによると、成島さんは肺がんの治療によって1年以上映画の現場を離れました。

本人も後のインタビューで、闘病を経験して「もう一度監督として映画を撮れるまで回復できた」ことへの感謝を語っています。

治療後は現場へ復帰し、2020年に『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』を公開しました。

肺がんの種類は小細胞肺がんだった

2021年の琉球新報のインタビューでは、成島さん自身が2017年に肺がんを患ったことを振り返っています。

さらに映画『いのちの停車場』に登場する末期肺がんの患者について、自分が発症したものと同じ「小細胞肺がん」という設定にしたことを明らかにしました。

つまり、成島さんが過去に患った肺がんの種類については、小細胞肺がんだったことが本人の発言から確認できます。

ただし、2026年の死去について「小細胞肺がんが再発した」とする発表はありません。

成島出さんは肺がんを克服して映画監督に復帰

一時は1年以上現場から離れた成島出さんですが、その後は映画制作へ復帰しています。

肺がんを経験したことは、復帰後に手がける作品や「生と死」への向き合い方にも影響を与えていました。

吉永小百合さんからの手紙が闘病の支えに

成島さんは肺がんで入院していた際、女優の吉永小百合さんから「必ず治して、また一緒に映画を作りましょう」という趣旨の手紙と、がん封じのお守りを受け取ったことを明かしています。

2021年の会見では、その言葉について「どんな抗がん剤より効いた」と振り返っていました。

成島さんと吉永さんは2014年の『ふしぎな岬の物語』でタッグを組んでいます。

その後、闘病を乗り越え、2021年の『いのちの停車場』で再び一緒に映画を完成させました。

復帰後も2024年まで監督作品を発表

肺がんから復帰した後も、成島さんは精力的に映画を撮り続けました。

所属事務所のプロフィールでは、復帰後の主な監督作品として、

  • 『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』
  • 『いのちの停車場』
  • 『ファミリア』
  • 『銀河鉄道の父』
  • 『52ヘルツのクジラたち』

などが掲載されています。

2024年公開の『52ヘルツのクジラたち』まで第一線で監督を続けていたことが分かります。

成島出さんの年齢・wikiプロフィール

成島出さんは1961年生まれ、山梨県出身です。

所属事務所の公式プロフィールにも「1961年 山梨県生まれ」と記載されています。

一部の人物資料では1961年4月16日生まれ、山梨県甲府市出身とされています。2026年8月24日に65歳で亡くなったという所属事務所の発表とも年齢は一致します。

成島出さんのwiki風プロフィール

項目内容
名前成島出
読み方なるしま いずる
生年1961年
年齢65歳で死去
出身地山梨県
職業映画監督・脚本家
学歴駒澤大学に在籍
映画活動開始大学時代
脚本家デビュー1994年
映画監督デビュー『油断大敵』
代表作『八日目の蟬』『孤高のメス』『ソロモンの偽証』『銀河鉄道の父』『52ヘルツのクジラたち』など
病歴2017年に肺がん
主な受賞日本アカデミー賞最優秀監督賞など
死去2026年8月24日
死因公表されていない

映画.comは、成島さんについて山梨県出身で、大学時代に映画研究会へ所属したことを紹介しています。

成島出さんの学歴|駒澤大学時代に映画制作を始める

成島出さんは山梨県で育ち、高校卒業後に上京しました。

駒澤大学へ進学し、大学時代の映画サークルで本格的に映画制作を始めたとされています。

山梨県立甲府東高校出身

成島さんの母校である甲府東高校の同窓会による紹介では、成島さんは同校の1期生です。

1961年に甲府市で生まれ、甲府東高校卒業後、駒澤大学の映画サークルで映画制作に取り組んだと紹介されています。

駒澤大学で映画サークルに参加

成島さんは駒澤大学へ進学後、映画サークルで自主映画制作を始めました。

映画.comによると、上京後に頻繁に映画を見るようになり、大学時代は映画研究会へ所属しています。

1986年には自身が監督した自主映画『みどり女』が第9回ぴあフィルムフェスティバルに入選しました。

この入選が、プロの映画界へ進む大きなきっかけとなります。

なお、一部の人物資料では駒澤大学文学部を中退したとされていますが、所属事務所の公式プロフィールでは大学名や卒業・中退について詳しく記載していません。

成島出さんの経歴|脚本家から映画監督へ

成島出さんは、最初から商業映画の監督として活動した人物ではありません。

自主映画、助監督、脚本家という長い下積みを経て、40代になってから映画監督として本格的に評価されるようになりました。

1986年『みどり女』がPFF入選

成島さんが監督した『みどり女』は1986年、ぴあフィルムフェスティバルに入選しました。

所属事務所もこの作品を成島さんの経歴の出発点として紹介しています。

その後は森崎東さんや長谷川和彦さんらから映画を学び、相米慎二監督作品などで助監督を経験しました。映画.comによると、長谷川和彦さんに師事してシナリオ執筆も学んでいます。

1994年に脚本家デビュー

1994年、『大阪極道戦争 しのいだれ』で脚本家としてデビューしました。

その後、

  • 『シャブ極道』
  • 『T.R.Y.』
  • 『日本沈没』
  • 『クライマーズ・ハイ』

などの脚本を担当しています。

映画監督として有名になる前から、日本映画界で脚本家として多くの作品に関わっていたことになります。

『油断大敵』で映画監督デビュー

商業映画の初監督作品は、役所広司さんと柄本明さんが出演した『油断大敵』です。

所属事務所のプロフィールでは2004年の監督デビュー作として掲載され、同作で藤本賞新人賞、ヨコハマ映画祭新人監督賞などを受賞しています。

40代になってから監督として本格的にスタートし、その後約20年にわたり日本映画界の第一線で作品を送り出しました。

成島出さんの代表作|『八日目の蟬』『孤高のメス』など

成島出さんの監督作品は、社会問題を扱う作品から家族ドラマ、戦争映画、ミステリーまで非常に幅広いのが特徴です。

特に『八日目の蟬』は、日本アカデミー賞で大きな評価を受け、成島さんの代表作となりました。

『孤高のメス』

2010年公開の『孤高のメス』は、堤真一さん主演の医療ドラマです。

脳死肝移植というテーマを扱い、医療制度や医師の倫理を描きました。

成島さんは後に、自身が肺がんになった経験を経て『いのちの停車場』を監督しており、「生と死」「医療」はその後も作品の重要なテーマになっています。

『八日目の蟬』

2011年公開の『八日目の蟬』は、成島出さんを代表する作品です。

井上真央さん、永作博美さんらが出演し、第35回日本アカデミー賞では最優秀作品賞と成島さんの最優秀監督賞を含む10部門で最優秀賞を受賞しました。

最優秀監督賞だけでなく、主演女優賞、助演女優賞、脚本賞、撮影賞など作品全体が高く評価されています。

『ソロモンの偽証』

2015年には宮部みゆきさんの長編小説『ソロモンの偽証』を前後編の映画として監督しました。

中学生たちが同級生の死の真相を探るため学校内裁判を開く物語で、成島さんは多数の中学生をオーディションで選抜し、長期間のワークショップを行って撮影しました。

若手俳優を育てながら作品を作り上げる成島監督の演出スタイルが注目された作品でもあります。

成島出さんの『銀河鉄道の父』『52ヘルツのクジラたち』

闘病から復帰した後も、成島出さんは話題の小説を次々と映画化しました。

晩年の代表作として挙げられるのが、『銀河鉄道の父』と『52ヘルツのクジラたち』です。

『銀河鉄道の父』

2023年公開の『銀河鉄道の父』は、門井慶喜さんの直木賞受賞小説を映画化した作品です。

役所広司さんが宮沢賢治の父・政次郎、菅田将暉さんが宮沢賢治を演じました。

成島さんはインタビューで、宮沢賢治を以前から映画にしたいと考えていたものの、父親の視点から描いた原作と出会ったことで映画化への道筋が見えたと語っています。

『52ヘルツのクジラたち』

2024年には町田そのこさんの本屋大賞受賞作『52ヘルツのクジラたち』を映画化しました。

杉咲花さんを主演に、志尊淳さん、宮沢氷魚さん、小野花梨さんらが出演しています。

映画公式サイトは成島さんについて、『八日目の蟬』から『銀河鉄道の父』まで多岐にわたるジャンルで高く評価される作品を送り出してきた監督と紹介しています。

同作が、現時点で確認できる成島出さんの最後の長編監督作品となります。

成島出さんの功績|『八日目の蟬』で日本アカデミー賞最優秀監督賞

成島出さんの大きな功績は、社会問題や家族、命といった重い題材をエンターテインメントとして多くの観客へ届けたことです。

脚本家としても監督としても、多数の映画に携わりました。

日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞

『八日目の蟬』で成島さんは第35回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞しました。

同作品は最優秀作品賞を含め計10部門で最優秀賞を獲得しています。

日本アカデミー賞公式サイトには、受賞時の成島さんが喜びを語った記録も残っています。

『ふしぎな岬の物語』はモントリオール世界映画祭でも受賞

2014年の『ふしぎな岬の物語』では、吉永小百合さんとタッグを組みました。

同作は第38回モントリオール世界映画祭で審査員特別賞グランプリとエキュメニカル審査員賞を受賞しています。

国内だけではなく海外の映画祭でも評価された作品です。

脚本家として『日本沈没』『クライマーズ・ハイ』も

成島さんは監督業だけでなく脚本家としても多くの作品を残しました。

所属事務所のプロフィールでは、2006年の『日本沈没』、2008年の『クライマーズ・ハイ』などが主な脚本作品として挙げられています。

監督と脚本の両面から日本映画を支えた人物だったことが分かります。

成島出さんの家族は?妻や子供について公表されている?

成島出さんの家族については、作品や映画活動ほど詳しい情報が公表されていません。

今回の所属事務所による訃報でも、妻や子供の名前など具体的な家族構成は明らかにされていません。

妻や子供について公式プロフィールに記載なし

所属事務所や映画公式サイトに掲載されている成島出さんのプロフィールは、出身地、映画監督・脚本家としての経歴、作品歴などが中心です。

結婚していたのか、妻がいるのか、子供がいるのかについては、今回確認できた公式プロフィールでは紹介されていません。

そのため、出典のはっきりしないネット情報から家族の名前や職業などを特定することは避けるべきでしょう。

父親は特攻隊の生き残りだったと本人が明かす

一方、成島さんは自身の父親についてインタビューで語ったことがあります。

『銀河鉄道の父』公開時のインタビューで、父親は大正生まれで、17歳のときに志願して特攻隊に入り、戦争を生き延びた人物だったと明かしています。

成島さんは、父親が戦争を生き延びたことで自分が生まれたとも振り返っています。

戦争を扱った『聯合艦隊司令長官 山本五十六』などを監督した背景を考えるうえでも、本人の家族史として印象的なエピソードです。

成島出の死因は?65歳で死去した現在分かっていること

映画監督・脚本家の成島出さんは2026年8月24日に亡くなりました。65歳でした。

所属事務所が8月28日に発表し、葬儀はすでに親族のみで執り行われています。お別れの会も本人の遺志によって予定されていません。

最も気になる死因については、現時点で公表されていません。

成島さんが2017年に小細胞肺がんを発症し、1年以上にわたる闘病生活を経験したことは本人が公表しています。治療後は映画監督として復帰しました。

ただし、過去の肺がんが今回の死因だったという発表はありません。

成島さんは山梨県出身。大学時代から自主映画を制作し、1986年の『みどり女』がぴあフィルムフェスティバルに入選しました。

1994年に脚本家としてデビューし、2000年代から映画監督として本格的に活躍。『孤高のメス』『八日目の蟬』『ソロモンの偽証』『いのちの停車場』『銀河鉄道の父』『52ヘルツのクジラたち』など多くの作品を残しています。

中でも『八日目の蟬』は、第35回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞をはじめ10部門で最優秀賞を受賞しました。

自身が肺がんを経験してからも映画の現場へ戻り、「命」や「家族」、社会の中で声を上げにくい人々を描き続けた成島出さん。

65歳での訃報を受け、その作品と日本映画界に残した功績が改めて振り返られています。