
元日本赤軍メンバーの岡本公三容疑者が2026年7月23日、政治亡命先のレバノンで死亡しました。78歳でした。
訃報をきっかけに、「岡本公三容疑者は何をした人物なのか」「テルアビブ空港乱射事件とはどのような事件だったのか」と気になった人も多いと思います。
岡本公三容疑者は、1972年5月30日にイスラエルのロッド空港で起きた銃乱射事件の実行犯3人のうちの一人です。空港の利用客に向けて自動小銃を乱射し、手榴弾を使用したとされ、事件では多数の旅行者が死亡しました。
目次
岡本公三容疑者は何をした?ロッド空港乱射事件の概要
事件後にイスラエル当局に拘束され、終身刑を言い渡されましたが、1985年の捕虜交換で釈放されました。その後はレバノンで生活し、日本の警察当局から国際手配されていました。(AP News)
岡本公三容疑者が関与したのは、1972年にイスラエルで起きた「テルアビブ・ロッド空港事件」です。
現在のベングリオン国際空港に到着した岡本公三容疑者ら3人が、ターミナル内で自動小銃を乱射し、手榴弾を使用しました。
警視庁は、岡本公三容疑者について、他の日本赤軍メンバーとともに一般旅行者ら約100人を無差別に殺傷した人物として掲載しています。(東京都警視庁)
事件が起きたのは1972年5月30日
テルアビブ・ロッド空港事件が起きたのは、1972年5月30日です。
岡本公三容疑者を含む日本人3人は、ローマ発の航空便でイスラエルのロッド空港へ到着しました。
米国務省の「正義への報酬」プログラムによると、3人は空港で預けていた荷物を受け取った後、荷物に隠していた自動火器や弾薬、手榴弾を取り出しました。
その後、空港ターミナル内にいた旅行者らに向けて発砲し、手榴弾を投げたとされています。国連の1972年版年鑑にも、航空便で到着した日本人3人が空港の利用客に向けて無差別に発砲したことが記録されています。
岡本公三容疑者ら3人が自動小銃を乱射
事件を実行したのは岡本公三容疑者を含む日本人3人でした。
3人は利用客が集まる空港ターミナルで自動小銃を発砲し、手榴弾も使用しました。空港にいた人々は突然の襲撃を受け、多数の旅行者や空港関係者が巻き込まれています。
実行犯3人のうち、岡本公三容疑者以外の2人は事件現場で死亡しました。岡本公三容疑者は負傷しながらも生き残り、イスラエル当局に拘束されました。
事件では26人死亡と報じられている
テルアビブ・ロッド空港事件の被害について、AP通信や米国務省の「正義への報酬」プログラムは、26人が死亡し、多数が負傷したと伝えています。
一方、警察庁の警察白書やTBS NEWS DIGでは、旅行者ら24人が死亡し、76人が重軽傷を負ったとされています。
警視庁は死者と負傷者を合わせて「一般旅行者ら約100人を無差別に殺傷した」と記載しており、被害人数の表記には資料によって違いがあります。
現在の海外報道では「26人死亡」と伝えられることが多く、日本の公的資料や一部報道では「24人死亡、76人負傷」とされています。いずれの資料でも、多数の民間人が巻き込まれた無差別襲撃だったことは共通しています。
テルアビブ空港乱射事件とロッド空港乱射事件は同じ?
岡本公三容疑者が起こした事件は、報道によって「テルアビブ空港乱射事件」「ロッド空港乱射事件」「テルアビブ・ロッド空港事件」と呼ばれています。
名称は異なりますが、いずれも1972年5月30日に起きた同じ事件を指しています。
事件当時の空港名と現在の空港名が異なることや、空港がテルアビブ近郊にあることから、複数の呼び方が使われています。
事件当時の名称はロッド国際空港
事件が発生した当時、現場となった空港は「ロッド国際空港」と呼ばれていました。
イスラエル中部の都市ロッドの近くにあり、最大都市テルアビブの国際空港として利用されていたため、日本では「テルアビブ・ロッド空港」とも表記されています。
警視庁は「テルアビブ・ロッド空港事件」、警察庁の警察白書は「テルアビブのロッド国際空港」と記載しています。
現在はベングリオン国際空港
ロッド国際空港は1973年、イスラエル初代首相のダビド・ベングリオンにちなみ、「ベングリオン国際空港」へ名称が変更されました。
そのため、現在の報道では「ロッド空港(現ベングリオン国際空港)」と紹介されることがあります。
「テルアビブ空港乱射事件」「ロッド空港乱射事件」「ベングリオン国際空港で起きた事件」は、すべて岡本公三容疑者らが関与した1972年の事件を示しています。
岡本公三容疑者と日本赤軍・PFLPの関係
岡本公三容疑者は、警視庁や主要報道で日本赤軍のメンバーとされています。
空港襲撃は日本赤軍の日本人メンバーだけで計画されたものではなく、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)との連携によって実行されたと伝えられています。
PFLPはパレスチナ解放を掲げて活動してきた組織で、岡本公三容疑者を事件後も長期間にわたって支援していました。
空港襲撃は日本赤軍とPFLPの共同作戦
AP通信は、1972年の空港襲撃について、日本赤軍とPFLPによる共同作戦だったと報じています。
米国務省の「正義への報酬」プログラムも、襲撃がPFLPとの連携のもとで実行され、PFLPが実行犯の訓練や計画に関与したと説明しています。
日本人を実行役とすることで、空港の警備当局からパレスチナ系武装組織との関係を疑われにくくする狙いがあったとも伝えられてきました。
岡本公三容疑者らはローマから航空機でイスラエルへ入り、到着後に襲撃を実行しました。
実行犯3人のうち岡本公三容疑者だけが生存
事件に加わった日本人3人のうち、現場から生きて拘束されたのは岡本公三容疑者だけでした。
他の2人は襲撃中に死亡し、岡本公三容疑者は負傷した状態でイスラエル当局に逮捕されています。
岡本公三容疑者の逮捕によって、実行犯が日本人だったことや、PFLPとの関係が明らかになりました。
警視庁はその後も岡本公三容疑者を「テルアビブ・ロッド空港事件の犯人」として国際手配ページに掲載していました。
岡本公三容疑者は逮捕後どうなった?終身刑から捕虜交換まで
岡本公三容疑者は事件現場で拘束された後、イスラエルで裁判を受けました。
イスラエルの軍事法廷で有罪判決を受け、終身刑を言い渡されています。
しかし、刑期を終える前の1985年、イスラエルとパレスチナ武装組織との捕虜交換によって釈放されました。
イスラエルの軍事法廷で終身刑
岡本公三容疑者は、1972年6月にイスラエルの軍事法廷で有罪となり、終身刑を言い渡されました。
AP通信によると、岡本公三容疑者はイスラエルの刑務所で約12年間服役しています。
事件では多数の民間人が死亡しており、岡本公三容疑者は空港内で襲撃に加わった実行犯として裁かれました。
1985年の捕虜交換で釈放
岡本公三容疑者は1985年、イスラエルとパレスチナ武装組織との大規模な捕虜交換で釈放されました。
米国務省の「正義への報酬」プログラムによると、パレスチナ武装組織に拘束されていたイスラエル兵2人との交換で、岡本公三容疑者を含む1100人以上の収監者が釈放されています。
終身刑が取り消されたわけではなく、外交・軍事交渉による捕虜交換の対象として刑務所を出ることになりました。
釈放後は中東地域にとどまり、最終的にレバノンを生活拠点としました。
岡本公三容疑者が国際手配された経緯
イスラエルで終身刑を受けた岡本公三容疑者は、捕虜交換後も日本で身柄を確保されることはありませんでした。
日本の警察当局は、テルアビブ・ロッド空港事件に関与したとして岡本公三容疑者を国際手配しました。
レバノン政府が岡本公三容疑者に政治亡命を認めたため、日本への引き渡しは実現しませんでした。
日本では殺人などの疑いで国際手配
TBS NEWS DIGは、岡本公三容疑者について、1972年の空港乱射事件を巡り、殺人などの疑いで国際手配されていたと報じています。
警視庁の国際手配ページにも、氏名や生年月日、身体的特徴とともに、テルアビブ・ロッド空港事件で一般旅行者ら約100人を殺傷したことが掲載されていました。
岡本公三容疑者はレバノンに滞在していることが知られていましたが、日本の捜査当局が身柄を確保することはできませんでした。
1997年にレバノン当局が岡本公三容疑者を逮捕
岡本公三容疑者は1997年、他の日本赤軍メンバー4人とともにレバノン当局に逮捕されました。
共同通信によると、逮捕理由は旅券偽造容疑で、その後、有罪判決を受けています。
AP通信は、岡本公三容疑者らが長年にわたりレバノンに不法滞在していたとして、同国東部で拘束されたと伝えました。
この逮捕によって岡本公三容疑者の身柄が日本へ引き渡されるかが注目されましたが、実際にはレバノン国内で服役することになりました。
2000年にレバノンへの政治亡命が認められた
岡本公三容疑者らは2000年にレバノンで刑期を終えました。
他の日本赤軍メンバー4人は国外退去となり、日本へ送還されましたが、岡本公三容疑者にはレバノンへの政治亡命が認められました。
警察庁の平成12年版警察白書にも、レバノン政府が岡本公三容疑者を除く4人を国外退去処分とし、岡本公三容疑者には政治亡命を認めたことが記されています。
日本政府は身柄の引き渡しを求めていましたが、レバノン側は応じず、岡本公三容疑者は同国で生活を続けました。
岡本公三容疑者はレバノンで死亡
岡本公三容疑者は2026年7月23日、政治亡命先だったレバノンで死亡しました。78歳でした。
岡本公三容疑者を支援していたPFLPが死亡を発表し、ベイルートまたはベイルート郊外で亡くなったと報じられています。
日本で国際手配されていましたが、死亡するまで日本へ引き渡されることはありませんでした。
PFLPが岡本公三容疑者の死亡を発表
PFLPは2026年7月23日、岡本公三容疑者が死亡したと発表しました。
AP通信は、岡本公三容疑者が長期間にわたって病気を患っていたとするPFLPの説明を伝えています。
TBS NEWS DIGや共同通信によると、死亡場所は政治亡命先だったレバノンの首都ベイルート郊外です。
岡本公三容疑者は事件から約54年後、イスラエルで言い渡された終身刑の途中で釈放され、日本の裁判を受けないまま亡くなりました。
レバノンではPFLPの支援を受けて生活
岡本公三容疑者はレバノンで政治亡命を認められた後、PFLPや現地の支援者に保護されながら生活していました。
公の場へ姿を見せることは少なかったものの、2022年5月にはロッド空港乱射事件から50年となる日に、ベイルートの墓地で開かれた集会に出席しています。
現地ではパレスチナ解放運動に加わった人物として支持する人々がいる一方、日本では多数の旅行者を殺傷した事件を巡って国際手配された人物でした。
岡本公三容疑者は何をした人物だったのか
岡本公三容疑者は、1972年5月30日にイスラエルのロッド空港、現在のベングリオン国際空港で起きた銃乱射事件の実行犯です。
日本人メンバー3人で空港ターミナルを襲撃し、自動小銃の乱射や手榴弾の使用によって多数の旅行者を死傷させました。
事件後はイスラエル当局に逮捕され、終身刑を言い渡されましたが、1985年の捕虜交換で釈放されています。
その後、レバノンでの逮捕や服役を経て、2000年に政治亡命が認められました。日本ではテルアビブ・ロッド空港事件を巡り、殺人などの疑いで国際手配が続いていました。
岡本公三容疑者は2026年7月23日、亡命先のレバノンで78歳で死亡しました。1972年の事件から死亡するまで、日本の捜査当局が身柄を確保することはありませんでした。

