
『水戸黄門』『暴れん坊将軍』など数多くの時代劇で悪役を演じた俳優・田口計さんが、2026年1月27日に93歳で亡くなっていたことが分かりました。
9月7日に週刊女性PRIMEが訃報を伝え、9月10日にはスポニチアネックスが、田口計さんの死因が誤嚥性肺炎だったと報じています。神奈川県内の病院で亡くなったとされています。
田口計さんといえば、「お主も悪よのう」という言葉が似合う悪代官・悪徳商人役の印象が強い俳優です。
一方で、東京大学文学部英文学科を卒業し、映画・ドラマだけでなく舞台、声優、海外作品の吹き替えでも活躍していました。晩年までシャンソンを楽しむなど、画面上の悪役とは違う穏やかな素顔も家族によって明かされています。
田口計さんが死去|2026年1月27日に93歳で亡くなる
田口計さんは2026年1月27日に亡くなりました。
死去から半年以上がたった9月に訃報が広く報じられ、長年にわたって時代劇を支えた名悪役の死を知ることとなりました。
田口計さんの死亡日は2026年1月27日
スポニチアネックスによると、田口計さんは2026年1月27日、神奈川県内の病院で亡くなりました。
1933年1月10日生まれだったため、93歳の誕生日を迎えてから約2週間後のことでした。
本名は岩田克彦(いわた・かつひこ)さんです。
田口計という芸名で70年以上にわたって俳優・声優として活動し、特に昭和から平成の時代劇で存在感を放ちました。
田口計さんの葬儀は本人の希望で行われなかった
田口計さんについては、一般的な形での葬儀は行われなかったと報じられています。
週刊女性PRIMEによると、本人の生前の希望を受け、長男と次男の2人が火葬に立ち会いました。
スポニチアネックスも、本人の希望によって葬儀は行われなかったと伝えています。
大規模なお別れの会などについても、現時点で新たな発表は伝えられていません。
田口計さんの死因は誤嚥性肺炎|過去には胃がんも
田口計さんの死因は、2026年9月10日の報道で誤嚥性肺炎だったことが明らかになりました。
また、約10年前には胃がんが見つかり、治療を受けていたことも家族への取材から分かっています。
ただ、胃がんは治療後に体調が落ち着いていたとされ、今回公表された直接の死因は誤嚥性肺炎です。
田口計さんの死因は誤嚥性肺炎と公表
スポニチアネックスは2026年9月10日、田口計さんについて「誤えん性肺炎のため」亡くなったと報じました。
亡くなった場所は神奈川県内の病院とされています。
誤嚥性肺炎は、食べ物や唾液などが誤って気管に入り、そこに含まれる細菌などが肺に入ることで起こる肺炎です。
特に高齢になると飲み込む力が低下することがあり、発症につながる場合があります。
これは誤嚥性肺炎一般についての説明であり、田口計さんが亡くなるまでにどのような症状や治療経過をたどったのかについて、詳しい内容までは公表されていません。
田口計さんは約10年前に胃がんが見つかっていた
田口計さんには過去の病気として胃がんの治療歴がありました。
週刊女性PRIMEが次男への取材をもとに報じた内容では、約10年前、舞台を控えていた時期に胃がんが見つかりました。
その後は治療を受け、体調も落ち着いていたとされています。妻と旅行や食事を楽しむなど、穏やかな生活を送っていた時期もありました。
今回の訃報で公表された死因は誤嚥性肺炎であり、胃がんが直接の死因だったという発表ではありません。
2025年秋に体調を崩して救急搬送されていた
晩年の体調についても、家族から状況が明かされています。
週刊女性PRIMEによると、2025年秋に自宅で体調不良を訴えて救急搬送されました。
その後、妻も体調を崩して入院し、夫婦で同じ病室に入っていた時期もあったといいます。
田口計さんはその後、介護付き施設へ移りました。
身体全体の衰えが進み、救急搬送から約3か月後となる2026年1月27日に亡くなりました。
田口計さんのwiki風プロフィール|本名や東大卒の学歴は?
田口計さんは長野県出身で、本名は岩田克彦さんです。
東京大学文学部英文学科という学歴を持つ一方、大学在学中から映画の世界に入り、俳優としての道を歩み始めました。
田口計さんのプロフィール
田口計さんのプロフィールは次の通りです。
- 名前:田口計(たぐち・けい)
- 本名:岩田克彦
- 生年月日:1933年1月10日
- 死亡日:2026年1月27日
- 年齢:93歳
- 出身地:長野県南佐久郡臼田町(現在の佐久市)
- 職業:俳優・声優
- 学歴:東京大学文学部英文学科卒業
- 芸能活動開始:1955年
- 趣味・特技:シャンソン、料理、英会話、テニス、陶芸、カメラ
田口計さんは俳優だけにとどまらず、舞台の演出や翻訳、声優・ナレーションなど幅広い分野で活動しました。
田口計さんは東京大学文学部英文学科卒業
田口計さんの経歴で目を引くのが、東京大学文学部英文学科卒業という学歴です。
長野県野沢北高校を卒業した後、東京大学へ進学しました。
大学在学中の1955年、山本薩夫監督の映画『愛すればこそ』に出演し、映画俳優としてデビューしています。
英文学を学んでいた経験や英語力は、その後の海外映画・ドラマの吹き替えなどにも生かされました。
田口計さんの若い頃からの経歴|1955年に映画デビュー
若い頃の田口計さんは、後年知られる「悪代官」のイメージとは異なり、二枚目の役を演じることもありました。
映画からテレビ、舞台、声優へと活動領域を広げ、長期間にわたって芸能界で仕事を続けています。
若い頃は大学在学中に銀幕デビュー
田口計さんが俳優としてデビューしたのは1955年です。
東京大学在学中に『愛すればこそ』へ出演したのを皮切りに、映画『第五福竜丸』『秋津温泉』『日本の首領 野望篇』『俺の空』『白昼の死角』など、多数の作品に出演しました。
1958年ごろからテレビ出演も増え、時代劇や刑事ドラマを中心に幅広い役柄を演じるようになります。
1962年には劇団新劇場を立ち上げ、俳優だけでなく演出や翻訳、舞台活動にも携わりました。
二枚目から名悪役へ
田口計さんは当初、二枚目の役を演じることも多かったとされています。
その後、海外ドラマ『刑事コロンボ』で犯人役の吹き替えを担当したころを境に、敵役や悪役の仕事が増えていったと紹介されています。
低く落ち着いた声と知的な雰囲気が、悪代官や悪徳商人、企業幹部、組織の黒幕といった役柄にもよく合い、名脇役として知られる存在になりました。
田口計さんの出演作|「水戸黄門」「暴れん坊将軍」で悪役として活躍
田口計さんの出演作は非常に多く、映画、テレビドラマ、舞台を合わせると長いキャリアに及びます。
特に『水戸黄門』『大岡越前』『暴れん坊将軍』などの時代劇で見せた悪役が、多くの視聴者の記憶に残っています。
「水戸黄門」では悪代官や悪徳商人役で多数出演
田口計さんはTBS系『水戸黄門』に何度もゲスト出演しています。
毎回同じ人物を演じるのではなく、悪代官や悪家老、悪徳商人など、その回ごとの悪役として登場することが多くありました。
出演回数についてはプロフィール資料などで29回とする記録もあり、シリーズを代表する名悪役の一人として知られています。
悪役が最後に黄門さま一行によって成敗されるという時代劇の定番展開の中で、田口計さんは何度も強い印象を残しました。
「暴れん坊将軍」にも数多く出演
テレビ朝日系『暴れん坊将軍』にも多数出演しています。
資料上では1978年から2000年にかけて32回のゲスト出演歴が記録されており、こちらでも悪徳商人や悪役を演じる機会が多くありました。
『水戸黄門』『大岡越前』『暴れん坊将軍』といった代表的な時代劇に何度も登場したことで、「時代劇の悪役といえば田口計さん」という印象が定着していきました。
「お主も悪よのう」の生みの親ともいわれる
田口計さんを語るうえで外せない言葉が、
「お主も悪よのう」
です。
現在では時代劇の悪代官と悪徳商人を象徴するようなフレーズですが、田口計さんは同じく悪役で知られた川合伸旺さんとともに、カンロのど飴のCMに出演した際、このセリフを考案したとされています。
スポニチアネックスも今回の訃報で、田口計さんをこの名ぜりふの「生みの親」として紹介しました。
実際の時代劇で毎回決まって使われていたセリフというより、悪代官・悪徳商人という時代劇のイメージを凝縮した言葉として広まったものでした。
田口計さんは声優・吹き替えでも活躍|低音の声を生かした
田口計さんは俳優として顔を知られていましたが、声優としても長いキャリアを持っています。
テレビ放送における外国映画の吹き替えが広まり始めた時代から活動し、多くの海外スターの日本語吹き替えを担当しました。
ケーリー・グラントやマーロン・ブランドなどを吹き替え
田口計さんは、落ち着いた低音を生かして、
ケーリー・グラント、マーロン・ブランド、リチャード・バートン、ジャック・ニコルソンなど、海外の著名俳優の吹き替えを担当したとされています。
俳優としての演技力に加え、東大英文学科で学んだ経歴も持つ田口計さんにとって、海外作品との関わりはもう一つの大きな仕事でした。
アニメ『スーパージェッター』への声の出演などもあり、実写作品だけではない幅広さを持っていました。
田口計さんのCM出演|悪役だけでなく晩年まで活動
田口計さんはテレビCMにも出演しています。
時代劇で築いた悪役イメージを生かしたCMがある一方、晩年にはその印象とは違う穏やかな姿も見せていました。
カンロのど飴CMでも悪徳商人役
田口計さんは川合伸旺さんとともに、カンロのど飴のCMに悪役として出演したことがあります。
ここで生まれたとされるのが「お主も悪よのう」というフレーズでした。
時代劇で長年悪役を演じてきた2人だからこそ成立したCMで、田口計さんのキャラクターを象徴する仕事の一つとなりました。
2012年には秋田県薬剤師会のCMにも出演
週刊女性PRIMEは、2012年に田口計さんが秋田県薬剤師会の「処方箋があるから」というCMへ出演していたことも紹介しています。
70代後半になっても俳優として仕事を続けており、長い芸能生活を送っていたことが分かります。
田口計さんの妻はどんな人?晩年まで夫を支えた
田口計さんには妻がいましたが、名前や詳しいプロフィールは広く公表されていません。
一方、今回の訃報に伴う家族取材から、夫婦仲や晩年の生活について新たなエピソードが伝えられました。
妻は田口計さんのシャンソンを応援していた
田口計さんは趣味でシャンソンを楽しみ、仲間とグループを作って定期的にライブも行っていました。
週刊女性PRIMEの取材で次男は、母親が父のシャンソンをとても気に入り、熱心に応援していたと明かしています。
夫婦で旅行へ出かけたり、一緒に食事を楽しんだりすることもあり、長年寄り添って生活していた様子が伝えられています。
晩年は妻と同じ病室で過ごした時期も
2025年秋に田口計さんが体調を崩して入院した後、妻も体調不良で入院しました。
その際には、夫婦が同じ病室で過ごしていた時期もあったと報じられています。
悪役として映像作品で見せていた姿とは対照的に、家庭では妻や子供たちに囲まれて生活していたことが分かります。
田口計さんの息子は?長男と次男の2人が火葬に立ち会う
田口計さんの子供については、少なくとも長男と次男がいることが今回の報道で分かっています。
本人の希望で葬儀を行わなかったため、火葬には2人の息子が立ち会いました。
次男が父・田口計さんの晩年を明かした
週刊女性PRIMEでは、次男の淳さんが父の晩年について取材に答えています。
田口計さんがシャンソンのライブをもう一度行いたがっていたことや、晩年には足元が不安定になり、声も出にくくなっていたことなどを明かしました。
また、次男には娘がおり、田口計さんにとって孫娘にあたります。
幼いころには孫娘とフランス語でシャンソンを歌ったこともあったといい、俳優としてではなく祖父としての一面も伝えられています。
妻や息子たちは芸能活動そのものよりも田口計さんの私生活にかかわる存在でもあるため、家族の詳細については公になっていない部分も多くあります。
田口計さん死去|誤嚥性肺炎で93歳、名悪役として残した功績
田口計さんは2026年1月27日、誤嚥性肺炎のため93歳で亡くなりました。
死去は9月に入ってから広く報じられ、9月10日には具体的な死因も明らかになりました。
約10年前には胃がんが見つかりましたが、治療後は体調が落ち着き、妻との旅行や食事、趣味のシャンソンを楽しむ生活を送っていました。
1933年に長野県で生まれ、東京大学文学部英文学科へ進学。大学在学中の1955年に映画デビューし、『水戸黄門』『大岡越前』『暴れん坊将軍』など数多くの作品で悪代官や悪徳商人を演じました。
「お主も悪よのう」の名ぜりふの生みの親ともいわれ、時代劇ファンにとって田口計さんの悪役は忘れにくい存在となっています。
その一方で、声優・吹き替え、舞台の演出や翻訳にも携わり、私生活ではシャンソンを愛する穏やかな人物だったことが、家族の言葉から伝わってきます。
70年以上にわたって映画・テレビ・舞台・声の仕事を続けた田口計さん。数多くの作品に残された悪役ぶりと独特の声は、これからも往年の時代劇や映画を通して触れることができます。

