
カーリング女子日本代表として、2018年平昌オリンピックで銅メダル、2022年北京オリンピックで銀メダルを獲得した吉田知那美(よしだ・ちなみ)さん。ロコ・ソラーレの中心選手として長く活躍し、試合中の明るい笑顔やチームメートとの掛け合いでも人気を集めてきました。2026年3月には12年間在籍したチームを退団し、新たな競技人生を歩み始めています。
そんな吉田知那美さんについて、Wiki風プロフィールや学歴・経歴はもちろん、旦那の河野恭介さんとの馴れ初め、子供の有無、父親の死因、母親や姉妹との関係が気になる人も多いのではないでしょうか。また、ロコ・ソラーレを退団した理由や、現在の所属チームについても注目されています。
この記事では、吉田知那美さんの年齢・身長・本名などの基本情報から、家族構成、学生時代、カーリングでの経歴、結婚生活まで詳しく紹介します。さらに、2026年現在の活動や移籍先、インスタグラムで見せる人柄についても解説していきます。
吉田知那美のWiki経歴・プロフィール!年齢や本名・身長・出身地は?
吉田知那美さんは、北海道北見市常呂町出身のプロカーリング選手です。
小学2年生からカーリングを始め、2014年ソチ、2018年平昌、2022年北京と3大会連続で冬季オリンピックに出場しました。
ロコ・ソラーレではサードを担当し、オリンピックで2つのメダルを獲得。2026年4月からはプロカーラーに転向し、新たなチームで活動しています。
吉田知那美は何者?基本プロフィール一覧
まずは、吉田知那美さんの基本プロフィールを見てみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 吉田知那美 |
| 読み方 | よしだ ちなみ |
| 結婚後の姓 | 河野 |
| 生年月日 | 1991年7月26日 |
| 年齢 | 35歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 北海道北見市常呂町 |
| 国籍 | 日本 |
| 身長 | 156cm |
| 体重 | 52kg(2018年当時) |
| 血液型 | A型 |
| 職業 | プロカーリング選手 |
| 所属チーム | TYPHOON CURLING CLUB |
| マネジメント | スポーツビズ |
| 出身中学校 | 北見市立常呂中学校 |
| 出身高校 | 北海道網走南ヶ丘高校 |
| 配偶者 | 河野恭介 |
| 主な実績 | 平昌五輪銅・北京五輪銀 |
身長156cm、体重52kgという数値は、JOCが公開した2018年平昌オリンピック当時のプロフィールによるものです。現在の体重を示した数値ではありません。
また、生年月日や血液型、出身校、現在の所属チームについては、スポーツビズの公式プロフィールでも確認できます。スポーツをチカラに。
吉田さんは、競技中の笑顔や明るいキャラクターで知られていますが、トップ選手として長年にわたって世界と戦ってきた実績があります。
試合を楽しむ姿と勝負への強いこだわりを両立させてきたことが、幅広い世代から支持される理由の一つなのでしょう。
吉田知那美の年齢は何歳?誕生日は7月26日
吉田知那美さんは1991年7月26日生まれで、2026年11月現在35歳です。
初めてオリンピックに出場した2014年のソチ大会では22歳でした。その後、26歳で平昌大会、30歳で北京大会に出場しています。
20代から世界のトップレベルで活躍し、30代になっても競技を続けてきました。
35歳となった現在は、オリンピック出場を目指す活動から、プロリーグを中心とした新しい競技生活へと移行しています。
吉田知那美の本名は河野知那美?結婚後も吉田姓で活動
吉田知那美さんは2022年7月に結婚しており、結婚後は「河野知那美」という名前も使用しています。
2026年5月には、本人が「河野知那美としてかなえたい夢がある」と語ったことが日刊スポーツで報じられました。
一方、カーリング選手としては、結婚後も「吉田知那美」の名前で活動しています。
吉田知那美という名前は、オリンピックでメダルを獲得した選手として広く知られており、現在のプロカーラーとしての活動でも引き続き使われています。
吉田知那美の出身地・国籍は?ハーフなの?
吉田知那美さんの出身地は、北海道北見市常呂町です。
常呂町は、日本有数のカーリングが盛んな地域として知られています。吉田さんだけでなく、妹の吉田夕梨花さんや、藤澤五月さん、鈴木夕湖さんなど、世界で活躍するカーリング選手を輩出してきました。
吉田さんは日本代表として国際大会に出場してきた選手で、カナダへの留学経験もあります。
ただし、海外生活を経験していることと、家族に外国のルーツがあることは別の話です。本人がハーフであると公表した確かな情報は確認できません。
吉田知那美の身長・体重は?スタイルや腹筋・筋肉も話題
吉田知那美さんの身長は156cmです。
JOCの平昌オリンピック公式プロフィールでは、当時の体重が52kgと記載されています。
カーリングは氷上でストーンを滑らせる競技ですが、正確な投球や力強いスイープには、体幹や下半身の安定性が欠かせません。
ストーンを投げる際には低い姿勢を保つ必要があり、ブラシで氷を掃くスイープでは上半身の筋力や持久力も求められます。
そのため、吉田さんの引き締まったスタイルや腹筋、脚の筋肉に注目する人もいるようです。
また、ボディビルや筋トレに関心を持つ人もいますが、吉田さんがボディビル競技に出場したという確かな情報は確認できません。
長年のカーリング生活を通じて身につけてきた身体能力が、競技中の安定した動きを支えているのでしょう。
吉田知那美の旦那は河野恭介!結婚相手との馴れ初めや子供は?
吉田知那美さんは2022年7月に、アルペンスキー元日本代表の河野恭介さんと結婚しました。
河野さんは現役引退後、アルペンスキーの指導者として活動しています。
二人はともに冬季スポーツに関わる仕事を続けており、海外遠征などで離れて暮らす期間が長いことも特徴です。
吉田知那美の夫・河野恭介はどんな人?年齢や経歴
吉田知那美さんの旦那である河野恭介さんは、元アルペンスキー日本代表選手で、現在は指導者として活動しています。
吉田さんと同じ1991年生まれで、2026年11月現在35歳です。
2018年に現役を引退した後、オーストリアなどで指導経験を積み、日本のアルペンスキー競技の強化にも関わってきました。
2026年11月2日の日刊スポーツでは、全日本スキー連盟のヘッドコーチとして活動していることが紹介されています。
河野さんは、選手時代から国際大会を経験しているため、アスリート特有の遠征生活や競技中心のスケジュールにも理解があります。
吉田さんもカーリング選手として年間の多くを海外で過ごしてきました。
異なる競技ではありますが、世界を舞台に活動してきた経験が共通している点は、二人の関係を知るうえで興味深いところです。
吉田知那美と旦那の馴れ初めは?2017年の研修会で出会った
吉田知那美さんと河野恭介さんが初めて出会ったのは、2017年に行われたアスリート向けの研修会でした。
2026年6月13日の文春オンラインのインタビューで、吉田さん本人が詳しい馴れ初めを語っています。
当時、2018年平昌オリンピックへの出場を目指す選手たちが、東京都北区にあるナショナルトレーニングセンターに集まっていました。
研修後の交流会で河野さんからロコ・ソラーレのメンバーに声をかけたことが、二人の最初の接点だったそうです。
ただし、吉田さんによると、出会った当初の河野さんに強い印象を持ったわけではありませんでした。
その後、SNSでつながり、互いの試合を応援する程度の関係が続きます。
転機となったのは、海外や日本国内で偶然顔を合わせる機会が重なったことです。
品川駅やロンドン、オーストリアなど、さまざまな場所で交流が生まれ、少しずつ親しくなっていきました。
吉田さんは、河野さんと話すうちに、安心して相談できる関係だと感じるようになったそうです。
最初から恋愛関係だったわけではなく、時間をかけて信頼関係が深まっていったことが分かります。
プロポーズは吉田知那美から!羽田空港で結婚を申し込んだ
吉田知那美さんは、2026年6月のインタビューで、プロポーズは自分からだったと明かしています。
交際を始めて約1年が経過したころ、東京での仕事を終えて北海道へ帰るため、羽田空港に向かいました。
河野さんに空港まで送ってもらい、搭乗口へ向かう直前、吉田さんが突然結婚を提案したそうです。
河野さんもその場で結婚に同意しましたが、吉田さんは飛行機の時間が迫っていたため、そのまま北海道へ向かいました。
その約1か月後、今度は河野さんが成田空港で大きな花束を用意し、改めてプロポーズしています。
つまり、二人は羽田空港と成田空港という、異なる空港でそれぞれ結婚を申し込んだことになります。
遠征や移動の多い二人ならではのエピソードですよね。
吉田さんが河野さんとの結婚を考えるようになった理由には、彼が自分の家族を大切にし、身近な人の良いところを自然に話す姿も関係していたといいます。
吉田知那美の結婚はいつ?2022年7月に入籍
吉田知那美さんと河野恭介さんは、2022年7月に結婚しました。
同年2月には、吉田さんが北京オリンピックで銀メダルを獲得しています。
競技人生で大きな成果を残した年に、私生活でも節目を迎えたことになります。
2026年7月には結婚4周年を迎え、吉田さんはインスタグラムで夫とのツーショットを公開しました。
二人は多拠点で生活することが多く、結婚後も常に一緒に暮らしているわけではありません。
それでも、お互いの仕事を尊重しながら夫婦関係を築いている様子が、本人の発信から伝わってきます。
吉田知那美に子供はいる?妊娠・出産の情報
吉田知那美さんは、2026年5月のインタビューで、当時は子供がいないことを明かしています。
2026年11月現在も、本人が妊娠や出産を正式に発表した確かな情報は確認できません。
吉田さんは2026年にロコ・ソラーレを退団した際、家族との時間をこれまで以上に大切にしたいという思いを語りました。
ただし、これは妊娠や出産を理由に退団したという意味ではありません。
本人の説明では、競技人生と家族との時間をどのように両立させるかを考えた結果、活動方法を変えることを決断しています。
吉田知那美と旦那は別居中?現在は野沢温泉での生活も
吉田知那美さん夫妻は、結婚後、ヨーロッパやカナダ、日本を行き来する多拠点生活を続けてきました。
仕事の関係で長期間離れて過ごすこともありますが、夫婦仲の悪化を理由とする別居とは異なります。
2026年6月のインタビューでは、長野県野沢温泉村にある河野さんの実家で生活を始めたことも紹介されました。
吉田さんは、夫の家族と生活するなかで、家庭ごとの習慣や考え方の違いを新鮮に感じたと語っています。
さらに、2026年11月2日には、結婚後の約4年間を振り返り、夫との写真をインスタグラムで公開しました。
吉田さんにとって結婚生活は、競技を続けるだけでは得られなかった新しい経験にもつながっているようです。
吉田知那美の家族構成!父親・母親・姉妹や実家は?
吉田知那美さんは、北海道北見市常呂町で育った3姉妹の次女です。
母親と姉、妹もカーリングに関わった経験があり、吉田家はカーリング一家として知られています。
一方、父親は娘たちとは少し違う距離感で競技を応援してきました。
2024年11月には父親が亡くなり、その経験が吉田さんの人生観にも影響を与えています。
吉田知那美の父親はどんな人?66歳で死去
吉田知那美さんの父親は、2024年11月27日に66歳で亡くなりました。
吉田さんは2025年2月に公開したネッツトヨタ北見の公式コラムで、父親との思い出を振り返っています。
父親は生前、毎朝コーヒーを淹れることを日課にしていたそうです。
父親が亡くなった後、吉田さんは母親とともにコーヒーを淹れるようになり、仏壇に供えてから自分も飲むという日常を紹介しています。
また、父親が好きだった音楽を流しながら過ごす時間についても語っていました。
父親の存在は、吉田さんにとって競技生活を支えてくれた家族というだけでなく、日々の暮らしのなかで大切に感じる存在だったことが伝わります。
吉田知那美の父親の死因は?希少な脳のがんだった
吉田知那美さんの父親は、脳腫瘍の一種で亡くなっています。
本人のコラムによると、2024年5月に病気が判明し、同年6月には手術を受けました。
その後も治療が続きましたが、11月27日に亡くなりました。
吉田さんは父親の病気について、希少な脳のがんだったと説明しています。詳しい病名を断定できる公開情報は限られていますが、診断から亡くなるまで約半年という短い期間でした。
父親が亡くなったとき、吉田さんはカナダへの遠征中で、最期に立ち会うことができませんでした。
競技を優先したことで家族の大切な瞬間に立ち会えなかった経験は、その後の人生を考える大きなきっかけになったと本人が語っています。
吉田知那美の父親はなぜ試合を見に来なかった?
吉田知那美さんの父親には、娘たちの試合を会場であまり観戦しなかったというエピソードがあります。
ネッツトヨタ北見の公式コラムによると、父親はもともとテニスや水泳を楽しんでおり、カーリングにも親しんだ経験がありました。
しかし、娘たちが出場する大会には積極的に足を運ばず、自宅のテレビで応援することが多かったそうです。
2016年にロコ・ソラーレが日本選手権で初優勝した際にも、父親は自宅で試合を観戦していました。
吉田さんの友人たちが一緒に応援していたところ、父親がキッチンで隠れて泣いていたことが分かったといいます。
会場に応援へ行かないからといって、娘たちの活躍に関心がなかったわけではありません。
感情を表に出さず、自分なりの方法で応援していた父親の姿が伝わるエピソードです。
吉田知那美の母親は元カーリング日本代表!
吉田知那美さんの母親も、カーリング経験者です。
吉田さんは自身のコラムで、母親が元日本代表選手だったことを明かしています。
さらに、母親は娘たちの競技生活を支えながら、家庭でも多くの経験をさせてくれたそうです。
吉田さんが2024年にロコ・ソラーレ退団の意向を母親へ伝えた際には、地元で家族の思い出があるレストランを訪れました。
母親は吉田さんの決断を聞き、これまでの努力を認めながら前向きに受け止めてくれたといいます。
2026年6月のインタビューでは、母親が以前から吉田さんの性格をよく理解しており、何かを報告するときにはすでに本人の決心が固まっていることを見抜いていたというエピソードも紹介されました。
カーリングを経験している母親だからこそ、競技を続ける難しさや、別の道を選ぶことの意味も理解できる部分があったのかもしれません。
吉田知那美は3姉妹の次女!姉と妹は誰?
吉田知那美さんは3姉妹の次女です。
姉も妹もカーリングに関わっており、それぞれの競技歴があります。
| 続柄 | 名前・経歴 |
|---|---|
| 長女 | 松村奈津美さん。元日本ジュニア代表 |
| 次女 | 吉田知那美さん。五輪銀・銅メダリスト |
| 三女 | 吉田夕梨花さん。五輪銀・銅メダリスト |
姉の松村奈津美さんは、元日本ジュニア代表のカーリング選手です。
また、姉の夫はカーリング選手の松村雄太さんで、吉田知那美さんは義兄とも競技を通じたつながりがあります。
吉田さんの公式コラムでは、姉を「なっちゃん」、妹を「ゆり」と呼んでおり、家族との親しみやすい関係が伝わってきます。
妹・吉田夕梨花とは仲良し?ロコソラーレでも共演
妹の吉田夕梨花さんは、1993年7月7日生まれのカーリング選手です。
知那美さんより約2歳年下で、ロコ・ソラーレではリードを担当してきました。
吉田夕梨花さんは5歳からカーリングを始め、母親や姉の影響を受けながら競技経験を積んでいます。
姉妹は同じチームで平昌オリンピックと北京オリンピックに出場し、2大会連続でメダルを獲得しました。
2026年3月には、幼少期と現在の姉妹写真を比較した投稿も話題になっています。
小さいころから同じ競技に取り組み、世界の舞台まで一緒に進んできた二人ですが、2026年には所属チームが別々になりました。
ただ、長年積み重ねてきた経験や家族としての関係は変わりません。
吉田知那美の実家は北海道北見市常呂町!金持ちなの?
吉田知那美さんの実家がある地域は、北海道北見市常呂町です。
常呂町はカーリングが盛んな地域で、地域の競技施設や指導者、仲間とのつながりが強いことでも知られています。
吉田さんは幼少期からカーリングに取り組み、学生時代には全国大会でも活躍していました。
実家が裕福なのではないかという疑問もありますが、両親の収入や資産について確かな情報は公表されていません。
一方、本人のコラムでは、父親が漁業関係者と長年交流し、仕事を通じて地域の人たちに支えられていたことが紹介されています。
実家の経済状況を推測するよりも、地域とのつながりや家族の支えが、吉田さんの競技人生に大きく関係してきた点が印象的です。
なお、現在の自宅の詳しい住所については公表されていません。
吉田知那美の学歴!出身小学校・中学校・高校・大学や留学歴は?
吉田知那美さんは、北見市立常呂中学校と北海道網走南ヶ丘高校を卒業しています。
高校卒業後は大学ではなく、カナダ・バンクーバーへ留学しました。
学生時代からカーリングに力を入れており、中学生のころには全国大会で強豪チームを破るなど、早くから実力を発揮しています。
吉田知那美の出身小学校はどこ?
吉田知那美さんは北海道北見市常呂町で育ち、小学2年生からカーリングを始めています。
ただし、出身小学校の正式名称については、所属先の公式プロフィールなどで確認できる情報が限られています。
カーリングが地域文化として根付いている常呂町では、幼少期から競技に親しめる環境があります。
吉田さんも小学生のころから氷上で練習を重ね、次第に競技へ本格的に取り組むようになりました。
出身中学校は北見市立常呂中学校
吉田知那美さんは、2007年3月に北見市立常呂中学校を卒業しています。
中学校時代には「ROBINS」というカーリングチームを結成しました。
特に注目されたのが、2006年の日本カーリング選手権です。
吉田さんたちのチームは、トリノオリンピックに出場した強豪「チーム青森」を破り、大きな話題になりました。
中学生チームがオリンピック代表経験者を破ったことは、全国でも注目される出来事でした。
この経験は、吉田さんが世界を目指すうえで、自信につながる大きな出来事だったといえます。
中学校の同級生には小野寺佳歩や吉村紗也香も
吉田知那美さんの中学校時代には、後に日本代表として活躍するカーリング選手たちとのつながりもありました。
小野寺佳歩さんや吉村紗也香さんとは、同じ学校で学んだ時期があります。
さらに、ロコ・ソラーレの藤澤五月さんの父親が、当時の数学の先生だったことも本人がテレビ番組で明かしています。
同じ地域や学校から、世界で活躍するカーリング選手が何人も誕生しているのは驚きですよね。
吉田さんにとって中学校は、勉強する場所というだけでなく、将来の仲間やライバルと出会う大切な場所でもありました。
出身高校は北海道網走南ヶ丘高校!偏差値は?
吉田知那美さんは、2010年3月に北海道網走南ヶ丘高等学校を卒業しました。
同校は北海道網走市にある道立高校で、JOCの公式プロフィールでも出身校として紹介されています。
高校時代もカーリングを続け、卒業後の進路では競技をさらに深く学ぶ道を選びました。
なお、学校の偏差値は年度や学科によって変わるため、現在の数値を吉田さんの在学当時の学力に当てはめることはできません。
高校時代の具体的な成績や部活動の詳細については、公式情報で確認できる範囲が限られています。
吉田知那美は大学に進学した?カナダへ留学
吉田知那美さんは、高校卒業後にカナダ・バンクーバーへ留学しました。
JOCやスポーツビズの公式プロフィールによると、留学中は語学とカーリングの技術を学んでいます。
大学への進学歴は公式プロフィールに記載されておらず、最終学歴は北海道網走南ヶ丘高校とされています。
カナダは世界でもカーリングが盛んな国です。
吉田さんは、競技の本場で技術を磨くとともに、海外での生活や異なる文化にも触れました。
若いころから国際的な環境で経験を積んだことは、その後の海外遠征やプロリーグへの挑戦にもつながっているのでしょう。
吉田知那美の経歴!フォルティウスからロコソラーレ、五輪メダリストになるまで
吉田知那美さんは、2011年に北海道銀行フォルティウスへ加入し、2014年ソチオリンピックに出場しました。
その後、ロコ・ソラーレへ移籍し、平昌・北京の2大会でメダルを獲得しています。
競技人生ではチームの移籍や役割の変化を経験しながら、トップレベルで活躍してきました。
2011年に北海道銀行フォルティウスへ加入
吉田知那美さんは2011年、北海道銀行フォルティウスに加入しました。
北海道銀行に入行し、仕事と競技を両立させながら、オリンピック出場を目指す生活を始めています。
当時のチームには、小笠原歩さんなど経験豊富な選手が所属していました。
吉田さんは実績のある選手たちとともに練習を重ね、国際大会で戦うための技術や経験を身につけていきます。
2014年ソチオリンピックで5位入賞
2014年のソチ冬季オリンピックでは、北海道銀行フォルティウスの一員として日本代表に選ばれました。
吉田さんは当初、控えにあたるフィフスとして参加していましたが、大会中に小野寺佳歩さんがインフルエンザにかかったため、試合に出場しました。
日本女子代表は5位に入賞し、吉田さん自身も初めてのオリンピックで貴重な経験を積んでいます。
世界の強豪と戦ったことは、その後の競技人生における大きな転機となりました。
2014年にロコ・ソラーレへ移籍!ネッツトヨタ北見にも入社
吉田知那美さんは、2014年6月にロコ・ソラーレへ加入しました。
同じ年には、ネッツトヨタ北見株式会社にも入社しています。
ロコ・ソラーレは、本橋麻里さんが設立したカーリングチームです。
吉田さんはサードとして活躍し、藤澤五月さん、鈴木夕湖さん、妹の吉田夕梨花さんらとともに国内外の大会へ出場しました。
2016年には日本カーリング選手権で優勝し、世界選手権でも銀メダルを獲得。
このころから、ロコ・ソラーレは世界の強豪と対等に戦うチームへと成長していきます。
なお、2014年の北海道銀行からの退団については、当時のチームでの役割や競技環境に関する報道がありますが、2026年のロコ・ソラーレ退団とは別の出来事です。
2018年平昌オリンピックで銅メダル!「そだねー」で人気に
2018年の平昌オリンピックでは、ロコ・ソラーレが日本女子カーリング史上初のオリンピックメダルを獲得しました。
吉田知那美さんはサードとして出場し、銅メダル獲得に貢献しています。
この大会では、選手たちの明るい掛け合いや、北海道の方言「そだねー」が注目されました。
試合中にコミュニケーションを取りながら、笑顔でプレーする姿が多くの視聴者の印象に残っています。
また、休憩中に軽食を取る「もぐもぐタイム」も話題になりました。
吉田さんの親しみやすいキャラクターが全国的に知られるようになったのも、この大会が大きなきっかけです。
2022年北京オリンピックで銀メダル獲得
2022年の北京オリンピックでは、ロコ・ソラーレが決勝に進出しました。
決勝ではイギリスに敗れたものの、日本女子カーリング史上初の銀メダルを獲得しています。
吉田知那美さんにとっては、2018年平昌大会に続く2大会連続のメダル獲得でした。
これまでのオリンピック成績は次のとおりです。
| 大会 | 所属 | 結果 |
|---|---|---|
| 2014年ソチ | 北海道銀行フォルティウス | 5位 |
| 2018年平昌 | ロコ・ソラーレ | 銅メダル |
| 2022年北京 | ロコ・ソラーレ | 銀メダル |
3大会連続でオリンピックに出場し、2大会でメダルを獲得したことは、日本女子カーリング界でも大きな実績です。
2026年ミラノ・コルティナ五輪には出場しなかった
吉田知那美さんは、2026年のミラノ・コルティナ冬季オリンピックには出場していません。
ロコ・ソラーレは2025年に日本代表決定戦へ挑みましたが、代表権を獲得することはできませんでした。
これにより、吉田さんの4大会連続オリンピック出場は実現しませんでした。
その後、2026年3月にロコ・ソラーレを退団し、プロリーグでの新しい競技生活へ進んでいます。
吉田知那美のロコソラーレ退団理由は?クビ・不仲説や引退の真相
吉田知那美さんは、2026年3月31日にロコ・ソラーレを退団しました。
退団の背景には、家族との時間を大切にしたいという思いと、新しい競技環境への挑戦があります。
本人は2026年のインタビューで、競技人生の今後について長い時間をかけて考えてきたことを明かしています。
ロコソラーレを退団した理由は家族との時間と新しい挑戦
吉田知那美さんがロコ・ソラーレを退団した理由には、複数の思いが重なっています。
大きかったのは、これまでのようにオリンピック出場を最優先にする生活から、家族との時間も大切にできる活動方法へ変えたいと考えたことです。
吉田さんは、長い遠征生活を続けるなかで、大切な家族と一緒に過ごせないことの重さを感じるようになったと語っています。
また、世界各国の選手が集まるプロカーリングリーグに挑戦することで、これまでとは異なる競技経験を積みたいという思いもありました。
2026年6月の文春オンラインのインタビューでは、父親との別れを通じて人生の優先順位を改めて考えるようになったことも説明しています。
長年の目標だったオリンピックから離れる決断は、競技への情熱を失ったためではありません。
むしろ、今後もカーリングに関わり続けるために、活動する場所や方法を変えたということが分かります。
父親の死が退団を決意する大きなきっかけに
吉田知那美さんの人生観を変えた出来事の一つが、2024年11月の父親との別れです。
父親の病気が判明した際、吉田さんは遠征先のカナダにいました。
競技を優先するか、家族のそばに戻るかという難しい選択を迫られた経験を、本人がインタビューで明かしています。
結果的に父親の最期に立ち会えなかったことは、吉田さんの心に大きな後悔を残しました。
その経験から、今後は家族との時間を後回しにしたくないという思いが強まったそうです。
競技人生で多くの結果を残してきた吉田さんにとって、何を大切にして生きていくかを考え直す転機になったといえます。
ロコソラーレをクビになった?メンバーとの不仲説は?
吉田知那美さんがロコ・ソラーレをクビになった、あるいはメンバーとの不仲が原因で退団したという確かな情報は確認できません。
2026年3月の退団発表では、ロコ・ソラーレ代表理事の本橋麻里さんが、吉田さんのこれまでの貢献に感謝を伝えています。
吉田さん自身も、藤澤五月さん、鈴木夕湖さん、妹の吉田夕梨花さんとの長年の経験を大切にしていることを語っています。
退団に際しては、将来50歳になったときに再び集まることにも触れていました。
こうした発言を見る限り、チーム内の対立を理由とする退団ではなく、新しい人生の選択として受け止められています。
吉田知那美は引退した?五輪卒業とプロ転向の違い
吉田知那美さんは、2026年にオリンピックを目指す競技生活から一区切りをつける意向を明かしました。
ただし、カーリング選手そのものを引退したわけではありません。
ロコ・ソラーレ退団後はプロカーラーへ転向し、海外のプロリーグに参戦しています。
これまでのように日本代表としてオリンピックを目指す活動と、プロリーグで競技を続けることは別のものです。
吉田さんはオリンピックでのメダル獲得だけが競技人生の幸せではないという考えも語っています。
今後は、競技で結果を残すことに加え、カーリングの普及や新しい競技文化にも関わっていく意向です。
吉田知那美の現在は?移籍先・所属チームやプロカーラーとしての活動
2026年11月現在、吉田知那美さんはプロカーリング選手として活動しています。
ロコ・ソラーレ退団後は、TYPHOON CURLING CLUBに所属し、2026年4月からプロリーグ「ロックリーグ」に参戦しました。
現在も競技を続けながら、メディア出演やカーリングの普及活動などにも取り組んでいます。
吉田知那美の移籍先はタイフーン・カーリングクラブ
吉田知那美さんの現在の所属チームは、TYPHOON CURLING CLUBです。
ロックリーグは、世界各国のトップカーラーが参加するプロリーグで、異なる国籍の選手たちが同じチームを組むことが特徴です。
吉田さんは2026年4月に始まった最初のシーズンで、チーム・タイフーンの主将を務めました。
海外の選手たちとチームを組み、互いの文化や考え方を理解しながら競技へ取り組む新しい環境に身を置いています。
2026年4月のロックリーグで準優勝
吉田知那美さんが主将を務めたチーム・タイフーンは、2026年4月のロックリーグ初シーズンで準優勝しました。
大会では、男子4人制、女子4人制、混合ダブルスの3種目を組み合わせてチームの勝敗を決める方式が採用されています。
決勝では、吉田さんが出場した女子4人制の試合に勝利しました。
しかし、男子4人制と混合ダブルスで敗れ、チームとしては準優勝となっています。
吉田さんは大会後、異なる国や文化の選手たちと互いを理解することの大切さをインスタグラムで語りました。
ロコ・ソラーレ退団後、最初の大会で決勝まで進んだことは、新しい競技人生の順調なスタートになったといえるでしょう。
吉田知那美は現在もネッツトヨタ北見のコラムを連載
吉田知那美さんは、ネッツトヨタ北見の公式サイトでコラムを連載しています。
コラムではカーリングに関する話だけでなく、家族との日常、夫婦生活、競技への思い、人生の転機などについても自身の言葉で紹介してきました。
2026年11月2日には、約4年間続けてきたコラムが第30話を迎えたことをインスタグラムで報告しています。
過去の文章を読み返すと、当時の出来事を鮮明に思い出せると語っていました。
競技の結果だけでなく、経験したことを言葉に残している点も、吉田さんの活動の特徴です。
吉田知那美のインスタグラム・YouTube・Xは?
吉田知那美さんのインスタグラムは「@chinami1991」です。
競技に関する投稿だけでなく、家族や夫との写真、私服姿、旅行中の様子なども公開しています。
2026年には、プロリーグでの活動や結婚生活についても発信しており、現在の様子を知ることができます。
一方、本人が運営する公式YouTubeチャンネルやX(旧Twitter)については、現時点で確実に本人名義と確認できる情報が限られています。
YouTubeでは、オリンピック関連の公式映像やインタビューなどで吉田さんの姿を見ることができます。
吉田知那美はNHKのカーリング解説でも活躍
吉田知那美さんは、競技経験を生かしてテレビ番組にも出演しています。
2026年2月には、NHKのミラノ・コルティナオリンピック関連番組に出演し、学生時代の同級生との関係などについて語りました。
3大会連続でオリンピックに出場し、2つのメダルを獲得した経験があるため、カーリングの技術面だけでなく、選手の心理や試合中のコミュニケーションについても詳しい人物です。
今後は競技を続けながら、テレビ出演や解説などを通じてカーリングの魅力を伝える活動も期待されています。
吉田知那美の性格・人柄は?かわいい・あざといと言われる理由
吉田知那美さんは、試合中の明るい笑顔や豊かな表情、チームメートとの親しみやすい掛け合いでも知られています。
一方、本人のインタビューやコラムでは、心配性な一面や家族を大切にする考え方も明かしています。
テレビで見せるキャラクターだけでは分からない人物像があることも、吉田さんの魅力の一つです。
吉田知那美がかわいい・美人と人気の理由
吉田知那美さんがかわいい、美人と評される背景には、笑顔や表情の豊かさがあります。
特に2018年平昌オリンピックでは、試合中の明るい掛け合いや笑顔が全国的に注目されました。
競技中は真剣な表情を見せる一方、チームメートとの会話では自然な笑顔を見せることも多く、そのギャップが印象に残った人もいるでしょう。
また、インスタグラムでは私服姿や旅行中の写真も公開しており、競技中とは異なる雰囲気を見ることができます。
吉田知那美はあざとい?テレビでのキャラクターと素顔
吉田知那美さんについては、明るい表情や愛嬌のある振る舞いから「あざとい」と感じる人もいるようです。
ただし、テレビに映る一場面だけで、実際の性格を判断することはできません。
カーリングでは、試合中のコミュニケーションが重要な役割を持っています。
吉田さんも、選手同士で声をかけ合いながらプレーし、チームの雰囲気を盛り上げる姿が印象的でした。
本人が意図的にかわいらしさを演出していると断定できる根拠はありません。
実は心配性?本人が語った意外な性格
吉田知那美さんは、2026年のインタビューで、自身には心配性な一面があることを明かしています。
久しぶりの人から電話がかかってくると、何か悪いことが起きたのではないかと不安になることがあったそうです。
一方、夫の河野恭介さんが海外の風景をビデオ通話で見せてくれるようになったことで、電話への苦手意識が和らいだとも語っています。
テレビでは明るく、物おじしない印象がありますが、本人の言葉からは慎重で繊細な一面も伝わってきます。
こうした姿を知ると、吉田さんの笑顔にも、長年の競技生活や私生活での経験が重なっていることが感じられます。
吉田知那美の名言や言葉に表れる考え方
吉田知那美さんは、競技成績だけでなく、人生や家族に対する考え方についても積極的に発信しています。
2026年のインタビューでは、オリンピックでメダルを獲得することだけが競技人生の幸せではないという思いを語りました。
また、ネッツトヨタ北見のコラムでは、失敗や悔しい経験も自分を成長させる大切なものだと受け止めていることが伝わってきます。
2025年の日本選手権で3位となった際には、負けたこと自体よりも、自分のプレーに対する悔しさが強かったと振り返っていました。
その悔しさを、次の努力につなげたいと考えていることも明かしています。
試合中の笑顔だけではなく、こうした勝負への真剣な姿勢も、吉田さんの人物像を知るうえで重要な部分です。
「にっこにっこにー」やラブライブとの関係は?
吉田知那美さんについては、アニメ『ラブライブ!』に登場する矢澤にこの決めぜりふ「にっこにっこにー」との関係も話題になることがあります。
これは、吉田さんが試合中などに見せた明るいリアクションと、アニメ作品の決めポーズを結びつけて語るファンがいるためです。
ただし、本人が『ラブライブ!』の熱心なファンであると公表した確かな情報は確認できません。
こうした話題も、カーリングの試合中に見せる吉田さんの豊かな表情や親しみやすさが注目されてきたことを示しています。
吉田知那美の顔が変わった?昔と現在の姿やスタイルの変化
吉田知那美さんは、2014年ソチオリンピックから2026年現在まで、10年以上にわたり全国的に知られている選手です。
そのため、若いころと現在の写真を比較して、顔立ちや雰囲気が変わったと感じる人もいるようです。
昔と現在では顔が変わった?整形の噂は?
吉田知那美さんは、2014年のソチオリンピック当時22歳でした。
2026年現在は35歳となっており、10年以上が経過しています。
その間に髪型やメイク、服装などが変わることは珍しくありません。
また、競技中の写真と私服姿の写真では、表情や撮影環境によって印象が大きく異なる場合もあります。
鼻や目、歯並びなどについても、写真だけで美容整形や施術の有無を判断することはできません。
本人が整形を公表した確かな情報は確認できていません。
吉田知那美は痩せた?筋肉や腹筋・スタイルの変化
吉田知那美さんは、長年にわたってトップレベルでカーリングを続けてきました。
カーリングでは、低い姿勢を保つ体幹の強さや、スイープで使う上半身の筋力が重要です。
吉田さんも競技生活を通じてトレーニングを重ねてきた選手ですが、現在の体重や体脂肪率については公式に確認できる情報が限られています。
そのため、昔と比べてどの程度痩せたのかを具体的な数値で示すことはできません。
また、インスタグラムでは私服やワンピース、スポーツウェアなど、競技中とは違ったファッションを見せることもあります。
メイクや髪型、服装の変化によって印象が変わることも、吉田さんが以前より綺麗になったと感じられる理由の一つでしょう。
吉田知那美のWiki経歴・学歴プロフィールと家族・現在のまとめ
最後に、吉田知那美さんのプロフィールや家族、経歴について重要なポイントを振り返ります。
- 吉田知那美さんは、北海道北見市常呂町出身のプロカーリング選手。
- 1991年7月26日生まれで、2026年11月現在35歳。
- 身長は156cm、血液型はA型で、結婚後は河野知那美という名前も使用。
- 2022年7月に元アルペンスキー日本代表の河野恭介さんと結婚。
- 2026年5月の本人発言では子供はいないと明かしている。
- 3姉妹の次女で、妹はカーリング選手の吉田夕梨花さん。
- 父親は2024年11月27日に66歳で亡くなり、母親は元カーリング日本代表。
- 出身中学校は北見市立常呂中学校、高校は北海道網走南ヶ丘高校。
- 高校卒業後はカナダ・バンクーバーに留学し、カーリングを学んだ。
- 2014年ソチ五輪5位、2018年平昌五輪銅メダル、2022年北京五輪銀メダルを獲得。
- 2026年3月31日にロコ・ソラーレを退団し、プロカーラーへ転向。
- 現在はTYPHOON CURLING CLUBに所属し、ロックリーグや競技普及活動に取り組んでいる。
吉田知那美さんは、ロコ・ソラーレの中心選手として日本女子カーリングの人気拡大に大きく貢献してきました。
一方、2026年には長年所属したチームを離れ、家族との時間や新しい競技への挑戦を大切にする道を選んでいます。
父親との別れや結婚後の生活を通じて、競技人生だけでなく、自分自身の人生全体を見つめ直したことも本人が語る大切な背景です。
オリンピックのメダリストという実績にとどまらず、新しい環境でもカーリングを続ける吉田知那美さん。これからのプロ選手としての活躍にも注目が集まりそうです。

