
ベトナム戦争の最前線を撮影し、戦争とそこに暮らす人々の姿を長年伝えてきた報道写真家・石川文洋(いしかわ・ぶんよう)さんが亡くなりました。
共同通信などの報道によると、石川文洋さんは2026年8月23日午前2時39分、悪性リンパ腫のため長野県茅野市の病院で死去しました。88歳でした。
石川さんは1960年代からベトナム戦争を取材し、その後もカンボジア、サラエボ、ソマリア、アフガニスタン、故郷の沖縄などへカメラを向け続けました。
亡くなった直後の2026年8月24日には、石川さんの半生を描いた映画『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』の河邑厚徳監督も追悼コメントを寄せています。
石川文洋さん死去|8月23日に悪性リンパ腫で88歳の生涯を閉じる
石川文洋さんが亡くなったのは2026年8月23日です。
晩年まで写真撮影や取材を続け、2025年にはベトナム戦争終結50年を迎えたベトナムを再訪していました。
石川文洋さんは2026年8月23日に死去
共同通信によると、石川文洋さんは8月23日午前2時39分、長野県茅野市の病院で亡くなりました。
88歳でした。
出身は沖縄県那覇市で、晩年の自宅は長野県諏訪市にありました。
テレビ信州も、諏訪市を拠点に取材や執筆を続けていた石川さんが、茅野市内の病院で亡くなったと伝えています。
石川文洋さんの葬儀は家族葬
共同通信は、石川文洋さんの葬儀について家族葬が行われると報じています。
読売新聞は告別式を行わないと伝えており、大規模な一般向け葬儀ではなく、近しい人たちを中心に見送られる形となっています。
お別れの会などについては、8月24日時点で新たな発表は確認されていません。
石川文洋さんの死因は悪性リンパ腫|病気で5カ月前から入院
石川文洋さんの死因については「悪性リンパ腫」と公表されています。
また、地元メディアのテレビ信州は、亡くなる約5カ月前から悪性リンパ腫で入院していたことも伝えています。
石川文洋さんの死因は悪性リンパ腫
毎日新聞や共同通信など複数の主要メディアが、石川文洋さんの死因を悪性リンパ腫と報じています。
ネット上で病名が推測されているケースではなく、訃報の中で明らかになった情報です。
石川さんは亡くなるまでの約5カ月間、悪性リンパ腫のため入院していたとテレビ信州が報じています。
具体的にいつ診断されたのか、治療内容や病状の変化などについては詳しく伝えられていません。
過去には心筋梗塞も経験していた
石川文洋さんは、過去に心筋梗塞を経験していたことも明らかになっています。
2026年公開予定のドキュメンタリー映画『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』の作品紹介では、68歳の秋に心筋梗塞を発症し、心臓の筋肉が壊死したことが紹介されています。
その後も石川さんは活動を続け、80歳を迎えてから北海道・宗谷岬から沖縄・那覇まで約3500キロを歩く日本縦断にも挑戦しました。新日本出版社によると、2018年7月に出発し、2019年6月に那覇へ到着しています。
ただ、今回の死因として発表されているのは悪性リンパ腫であり、過去の心筋梗塞が死去に直接関係したとの発表はありません。
石川文洋さんは何歳?wikiプロフィール・生年月日や学歴
石川文洋さんは1938年3月10日生まれで、2026年8月23日に88歳で亡くなりました。
沖縄県那覇市で生まれ、幼少期に家族と本土へ移り、千葉県で育っています。
石川文洋さんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 石川文洋 |
| 読み方 | いしかわ ぶんよう |
| 生年月日 | 1938年3月10日 |
| 年齢 | 88歳で死去 |
| 出身地 | 沖縄県那覇市 |
| 育った地域 | 千葉県 |
| 学歴 | 東京都立両国高校定時制卒業 |
| 職業 | 報道写真家・戦場カメラマン |
| 元勤務先 | 毎日映画社、朝日新聞社 |
| 主な取材地 | ベトナム、カンボジア、ボスニア、ソマリア、アフガニスタン、沖縄など |
| 晩年の居住地 | 長野県諏訪市 |
| 死去 | 2026年8月23日 |
| 死因 | 悪性リンパ腫 |
生年月日については講談社の「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」で1938年3月10日と紹介されています。
石川文洋さんの学歴は東京都立両国高校
石川文洋さんは東京都立両国高校の定時制を卒業しています。
イミダスの公式著者プロフィールによると、那覇市で生まれ、4歳のころ家族と本土へ移り、その後は千葉県で育ちました。東京都立両国高校定時制卒業後、毎日映画社に勤務しています。
大学へ進学したという経歴ではなく、高校卒業後から映像や写真に関わる仕事へ進んでいます。
石川文洋さんの経歴|ベトナム戦争を撮った戦場カメラマン
石川文洋さんの名を広く知らしめたのが、ベトナム戦争の最前線で撮影した膨大な写真です。
戦場の兵士だけでなく、戦争に巻き込まれた民間人や子供たちの日常にもカメラを向け、その後の報道写真に大きな足跡を残しました。
毎日映画社から香港を経てベトナムへ
高校卒業後、石川さんは毎日映画社に勤務しました。
その後1964年に日本を離れ、香港の写真スタジオで働いた後、ベトナムへ渡ります。
映画『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』の紹介によると、日本を出た際に所持していたのはわずか27ドルだったとされています。
1965年からベトナム戦争の最前線を撮影
沖縄県立博物館・美術館によると、石川文洋さんは1965年に南ベトナムの首都サイゴンへ移り、フリーランスの戦場カメラマンとして取材を開始しました。
1968年12月まで現地に滞在し、米軍や南ベトナム政府軍に同行しながらベトナム戦争を撮影しました。
最前線だけでなく、空爆や戦闘によって生活を破壊された民間人の姿も記録しています。
1969年から朝日新聞社のカメラマンに
ベトナムから帰国した石川文洋さんは、1969年から朝日新聞社出版局写真部に勤務しました。
1984年まで約15年間在籍し、その間にもベトナムやカンボジアなどを取材しています。
1979年にはポル・ポト政権崩壊後のカンボジアへ入り、大量虐殺の実態を現地で撮影しました。
1984年に朝日新聞社を退社した後は再びフリーの報道写真家として活動しています。
石川文洋さんの功績|ベトナム戦争の写真が世界に残る
石川文洋さんは「戦場カメラマン」と呼ばれることが多い一方、本人の活動は戦争の激しい場面だけを撮るものではありませんでした。
戦争の中で暮らす普通の人々、故郷・沖縄、災害被災地などにも長年カメラを向けています。
ベトナム戦争の写真が戦争証跡博物館で常設展示
石川文洋さんがベトナムで撮影した写真は、1998年にホーチミン市の戦争証跡博物館へ寄贈され、常設展示されることになりました。
読売新聞によると、同博物館には個人として初めて石川さんの常設展示室が設置されています。
長い年月を経ても、石川さんの写真がベトナム戦争を後世へ伝える記録として残っていることになります。
日本写真協会年度賞やJCJ特別賞を受賞
石川文洋さんは報道写真家として数多くの賞を受賞しました。
主なものには、
- 日本写真協会年度賞
- 日本雑誌写真記者協会賞
- 日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞
- ベトナム政府・文化通信事業功労賞
などがあります。
特にベトナム戦争を長年記録した功績は、日本だけでなくベトナムでも評価されました。
カンボジア・サラエボ・ソマリア・アフガニスタンも取材
ベトナムだけが石川さんの取材現場ではありません。
読売新聞によると、カンボジアの大量虐殺をはじめ、サラエボ、ソマリア、アフガニスタンなどの戦地にも足を運んでいます。
国内では雲仙・普賢岳の噴火災害や、沖縄県名護市辺野古をめぐる基地問題にもカメラを向けました。
石川文洋さんの写真とは?戦場だけでなく「人」を撮り続けた
石川文洋さんの写真には、兵士や戦闘そのものだけではなく、その土地で暮らす人たちが数多く写されています。
沖縄県立博物館・美術館にも、1966年にベトナムで撮影された「大人の戦争を見つめる少女の瞳」などの作品が収蔵・紹介されています。
約60年分のネガを故郷・沖縄へ寄贈する意向を表明
琉球新報は2023年、石川文洋さんが1965年以降の約60年間に撮影した写真のネガフィルムを、故郷の沖縄県へ寄贈する意向を示していると報じました。
ベトナム戦争だけでなく、復帰前後の沖縄や世界各地で撮影した記録が含まれています。
石川さんにとって写真は、その瞬間のニュースだけではなく、何十年後の人々へ当時の出来事を伝える記録でもありました。
石川文洋さんの映画|『石川文洋を旅する』『戦場のボヘミアン』
石川文洋さんの人生は、複数のドキュメンタリー映画でも描かれています。
2014年には『石川文洋を旅する』が公開され、2026年11月には新たな映画『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』の公開が予定されています。
映画『石川文洋を旅する』は2014年公開
『石川文洋を旅する』は、大宮浩一監督が石川さんの人生を追った109分のドキュメンタリー映画です。
2014年6月21日に劇場公開されました。75歳になった石川さんとベトナム、沖縄を訪れ、戦場カメラマンになった経緯や沖縄への思いを追っています。
ベトナム戦争から50年という節目に、石川さん自身が過去の取材地を訪れる姿が記録されています。
映画『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』は11月28日公開予定
2026年11月28日には、河邑厚徳監督による新しいドキュメンタリー映画『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』が公開予定です。
上映時間は88分で、石川さんが2025年にベトナム戦争終結50年の式典に合わせてホーチミンを再訪した姿なども収められています。
俳優の滝藤賢一さんがモノローグ、山根基世さんがナレーションを担当しています。
石川さんは映画の公開を前に亡くなったことになります。
河邑厚徳監督が石川文洋さんを追悼
訃報を受け、河邑厚徳監督もコメントを発表しました。
ORICON NEWSによると、河邑監督は石川さんの死を「巨木を失った悲しみ」と表現し、何度も命の危機に直面しながら戦場から生還してきた石川さんを悼んでいます。
石川さん自身が出演する映画だけに、11月28日の公開時には改めてその人生や写真に注目が集まりそうです。
石川文洋さんの日本縦断|65歳と80歳で長距離を徒歩踏破
戦場カメラマンとしての活動だけでなく、石川文洋さんは高齢になってから長距離の徒歩旅行にも挑戦しています。
65歳、そして80歳という年齢で日本列島を歩いた経験を著書や写真として残しました。
65歳で約3300キロを日本縦断
石川さんは65歳だった2003年、北海道・宗谷岬から沖縄まで日本海側を中心に約3300キロを徒歩で移動しています。
その記録は『日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦』として出版されました。
80歳で再び約3500キロを歩く
15年後の80歳になると、今度は太平洋側を中心とする日本縦断へ挑戦しました。
新日本出版社によると、2018年7月に北海道・宗谷岬を出発し、2019年6月に沖縄県那覇市へ到着。約11カ月で3500キロを歩いています。
東日本大震災の被災地なども歩きながら写真を撮影し、その記録は『80歳、歩いて日本縦断』として出版されました。
石川文洋さんの家族構成|妻や息子はいる?
石川文洋さんは作品や活動歴について数多くの情報を公開していましたが、家族の個人情報については多くを明らかにしていません。
今回の訃報でも、妻や子供の名前などは主要報道で伝えられていません。
石川文洋さんには妻や子供がいた?
スポーツ報知が2017年のインタビューを振り返った記事では、石川さんが46歳で朝日新聞社を退社した当時について「妻子持ち」だったと紹介されています。
そのため、少なくとも当時、妻と子供がいたことはうかがえます。
ただ、妻の名前や年齢、職業などについて、今回確認できた主要な公開プロフィールには記載されていません。
石川文洋さんに息子はいる?
石川文洋さんについて「息子」という関連情報も気になるところですが、今回確認できた主要報道や公的なプロフィールでは、子供が息子なのか娘なのか、人数や名前などは明らかになっていません。
報道で「妻子持ち」だったことは確認できますが、「息子は〇〇さん」と紹介できる公表情報は現時点では見当たりません。
家族は一般人とみられ、訃報でも個人名を出さず、家族葬が行われることだけが報じられています。
石川文洋さん死去|死因・経歴・功績や家族について現在分かっていること
報道写真家・石川文洋さんは2026年8月23日、悪性リンパ腫のため長野県茅野市の病院で亡くなりました。88歳でした。
テレビ信州によると、亡くなる約5カ月前から悪性リンパ腫で入院していました。
石川さんは1938年3月10日に沖縄県那覇市で生まれ、東京都立両国高校定時制を卒業後、毎日映画社などを経て写真の世界へ進みました。
1965年から1968年までベトナム戦争を取材。1969年から1984年まで朝日新聞社に勤務し、その後は再びフリーの報道写真家として、カンボジアやサラエボ、ソマリア、アフガニスタン、沖縄などを撮り続けました。
ベトナムで撮影した写真はホーチミン市の戦争証跡博物館で常設展示され、日本ジャーナリスト会議特別賞やベトナム政府の文化通信事業功労賞なども受賞しています。
家族については、過去の報道から妻と子供がいたことはうかがえるものの、妻の名前や子供の人数、息子の存在など具体的な家族構成は公表されていません。
そして2026年11月28日には、河邑厚徳監督による『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』が公開される予定です。
ベトナム戦争から沖縄、世界各地の紛争、災害、そして日本縦断まで、石川文洋さんがカメラで残した記録は、亡くなった後も多くの人に戦争と平和、人々の暮らしを伝え続けることになりそうです。

