綿貫民輔さん死去|死因は老衰、病気は?99歳のwiki経歴・功績や妻・息子など家族を調査
綿貫民輔さん死去|死因は老衰、病気は?99歳のwiki経歴・功績や妻・息子など家族を調査

元衆議院議長で、自民党幹事長や建設大臣、国民新党初代代表などを歴任した綿貫民輔(わたぬき・たみすけ)さんが亡くなりました。

綿貫民輔さんは2026年8月18日に死去し、99歳でした。チューリップテレビによると、死因は老衰です。葬儀は本人の遺志により近親者だけで執り行われ、後日お別れの会が予定されています。

綿貫さんは1969年に衆議院議員へ初当選して以来13期連続で当選。建設大臣、自民党幹事長、第70代衆議院議長を務め、2005年には郵政民営化に反対して自民党を離党し、国民新党を結成して初代代表となりました。

政治家になる前にはトナミ運輸の社長を務めた経歴もあり、政治と地元経済の両面で長く活動してきた人物です。

綿貫民輔さん死去|8月18日に老衰のため99歳で亡くなる

綿貫民輔さんが亡くなったのは2026年8月18日です。

訃報が大きく報じられたのは8月24日で、地元・富山のチューリップテレビや富山テレビ、共同通信などが相次いで伝えました。

綿貫民輔さんは2026年8月18日に死去

チューリップテレビによると、元衆議院議長の綿貫民輔さんは8月18日に亡くなりました。

99歳でした。

富山テレビも、綿貫さんが18日に死去し、葬儀は近親者のみで執り行われたと報じています。

共同通信も8月24日、関係者への取材として綿貫さんの死去を伝えました。

葬儀は近親者のみ、お別れの会を予定

綿貫民輔さんの葬儀については、故人の遺志により近親者のみで執り行われました。

一般の参列者を受け入れる形の葬儀ではなかったようです。

チューリップテレビと富山テレビは、後日「お別れの会」が開かれる予定だと伝えています。

お別れの会の日程や会場などは、訃報が報じられた8月24日時点では詳しく明らかになっていません。

綿貫民輔さんの死因は老衰|病気や闘病は公表されていた?

綿貫民輔さんの死因は老衰と公表されています。

99歳という高齢でしたが、今回の訃報では特定の病気やがんなどが死因として発表されたわけではありません。

綿貫民輔さんの死因は老衰

チューリップテレビは、綿貫民輔さんが「老衰のため」亡くなったと報じています。

そのため、死因については公表されており、「老衰」です。

老衰とは一般に、高齢になり身体の機能が徐々に低下した結果として亡くなる場合に使われる死因です。

今回の発表では、特定の疾患が直接の死因だったとは説明されていません。

綿貫民輔さんに病気や闘病歴はあった?

綿貫民輔さんについて、今回の訃報では亡くなる直前に患っていた具体的な病名や、長期にわたる闘病生活などは公表されていません。

死因として伝えられているのは老衰です。

そのため、「何か大きな病気で亡くなった」とする情報は、現在の主要報道には出ていません。

97歳だった2024年には自身の銅像除幕式に出席

亡くなる約2年前の2024年8月には、故郷の富山県南砺市で綿貫民輔さんの銅像が建立されています。

チューリップテレビによると、当時97歳だった綿貫さん本人も姿を見せ、「心より感謝」と話していました。

高齢になってからも地元の行事に姿を見せていたことが分かります。

綿貫民輔さんは何歳?wikiプロフィール・生年月日や出身地

綿貫民輔さんは1927年4月30日生まれです。

2026年8月18日に99歳で亡くなりました。

出身は現在の富山県南砺市にあたる地域で、地元富山を政治基盤として長年活動しました。

綿貫民輔さんのwiki風プロフィール

項目内容
名前綿貫民輔
読み方わたぬき たみすけ
生年月日1927年4月30日
年齢99歳で死去
出身富山県
出身地域現在の富山県南砺市
学歴慶應義塾大学経済学部卒
職業政治家、実業家
衆議院議員13期
主な役職建設大臣、自民党幹事長、第70代衆議院議長
国民新党初代代表
民間企業トナミ運輸元社長
死去2026年8月18日
死因老衰

講談社の「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」では、1927年4月30日生まれで、富山県出身、慶應義塾大学卒と紹介されています。

綿貫民輔さんの学歴|慶應義塾大学経済学部を卒業

綿貫民輔さんは慶應義塾大学を卒業しています。

政治家になる前には民間企業で働き、その後、家業に関係する運送会社の経営にも携わりました。

慶應義塾大学経済学部を卒業

綿貫民輔さんの最終学歴は、慶應義塾大学経済学部卒です。

講談社の人物事典でも「慶大卒」と紹介されており、複数の公開プロフィールでは経済学部を卒業した経歴が掲載されています。

大学卒業後は鐘淵紡績で勤務した後、1953年に礪波運輸へ入社したとする経歴資料があります。

礪波運輸は後のトナミ運輸です。

綿貫民輔さんの経歴|トナミ運輸社長から国政へ

綿貫民輔さんは政治一筋で歩んできた人物ではありません。

20代で運送会社の経営に携わり、その後に富山県議会議員を経て国政へ進出しました。

20代で礪波運輸・トナミ運輸の社長に

公開されている経歴資料によると、綿貫民輔さんは1953年に礪波運輸へ入社し、1955年には社長となりました。

その後、社名変更後のトナミ運輸でも社長を務めています。

20代で会社経営を任され、その経験を持って政界へ進んだ人物でした。

富山県議を経て1969年に衆議院議員へ初当選

綿貫民輔さんは1959年に富山県議会議員へ初当選しました。

その後、1969年の衆議院選挙で国政へ進出しています。

講談社の人物事典によると、衆議院議員として当選した回数は13回です。

チューリップテレビも、1969年の初当選から13期連続で当選したと伝えています。

綿貫民輔さんの政治家としての功績|建設大臣・自民党幹事長・衆議院議長を歴任

綿貫民輔さんは40年にわたる国会議員生活の中で、政府や自民党、国会の要職を務めました。

中でも第70代衆議院議長を務めたことは、政治家としての代表的な経歴です。

国土庁長官・北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官を兼務

1986年、第3次中曽根内閣で国土庁長官を務めました。

当時は北海道開発庁長官と沖縄開発庁長官も兼務しています。

講談社の人物事典にも、この経歴が掲載されています。

1990年に建設大臣へ就任

1990年には第2次海部内閣で建設大臣を務めました。

道路や公共事業などに精通し、自民党内では道路政策に影響力を持つ政治家として知られました。

2026年の訃報を伝えた報道でも「道路族の重鎮」として紹介されています。

1991年に自民党幹事長

1991年には自由民主党の幹事長に就任しています。

党運営を担う幹事長まで務めたことからも、当時の自民党内で大きな影響力を持っていたことがうかがえます。

講談社のプロフィールにも、建設大臣に続いて1991年に自民党幹事長を務めたことが記されています。

第70代衆議院議長を2000年から2003年まで務める

2000年7月、綿貫民輔さんは第70代衆議院議長に就任しました。

2003年10月まで約3年3カ月にわたって議長を務めています。

国会会議録にも、当時「議長 綿貫民輔君」として本会議を進行していた記録が残されています。

綿貫民輔さんは郵政民営化に反対|国民新党の初代代表に

綿貫民輔さんの政治人生で大きな転換点となったのが、2005年の郵政民営化をめぐる自民党との対立です。

小泉純一郎政権が進めた郵政民営化法案に反対し、長年所属してきた自民党を離れることになりました。

2005年に郵政民営化法案へ反対

綿貫民輔さんは2005年、郵政民営化関連法案に反対しました。

当時の小泉政権は郵政民営化を最優先政策の一つとして進めており、反対した自民党議員は総選挙で公認されませんでした。

綿貫さんも自民党を離党します。

講談社の人物事典にも、郵政民営化法案に反対して自民党を離れた経緯が記載されています。

亀井静香さんらと国民新党を結成

2005年8月17日、綿貫民輔さんは亀井静香さんらと国民新党を結成しました。

初代代表に就任しています。

コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典」でも、郵政民営化への反対を背景に綿貫さんらが国民新党を立ち上げ、綿貫さんが初代代表となったことが紹介されています。

2009年の衆議院選挙で落選し、長く続いた国会議員生活に区切りがつきました。

綿貫民輔さんの家族構成|妻や息子は?

綿貫民輔さんは政治家として広く知られていますが、家族については妻や長男に関する情報も公開されています。

特に長男の綿貫勝介さんは、父親と同じくトナミ運輸の経営に携わった実業家でした。

綿貫民輔さんの妻は千恵子さん

人事興信録を出典としている公開家系資料では、綿貫民輔さんの妻は千恵子さんとされています。

妻は政治家や芸能人として活動していた人物ではなく、現在確認できる主要な訃報記事でも詳しいプロフィールは紹介されていません。

家族について公に知られている情報は、夫である綿貫民輔さんや企業経営に携わった長男を中心としたものです。

長男は元トナミHD社長の綿貫勝介さん

綿貫民輔さんの長男として知られているのが、綿貫勝介さんです。

勝介さんはトナミ運輸、トナミホールディングスで社長を務めました。

トナミホールディングスの公式資料によると、勝介さんは2005年にトナミ運輸代表取締役社長、2008年にトナミホールディングス代表取締役社長に就任しています。

長男・綿貫勝介さんは2022年に死去

綿貫勝介さんは父・民輔さんより先に亡くなっています。

トナミホールディングスは2022年12月26日、代表取締役社長だった綿貫勝介さんが12月23日に死去したと発表しました。

1959年2月10日生まれで、長年にわたりトナミグループの経営を担っていました。

父親の民輔さんに続き、長男の勝介さんも同社の経営を担ったことになります。

綿貫民輔さんに子供は何人?

人事興信録を出典とする公開家系資料では、綿貫民輔さんと妻・千恵子さんの間には、長男の勝介さんのほか娘が2人いるとされています。

ただし、娘たちは企業経営者や政治家として広く活動を公表している人物ではありません。

今回の訃報でも、個別の家族構成や遺族代表などについて詳しい発表は出ていません。

綿貫民輔さんの父親も政治家|トナミ運輸との深い関係

綿貫民輔さんの家庭は、政治と事業の双方に深い関わりがありました。

父親の綿貫佐民さんも政治家として活動し、トナミ運輸の前身となる会社の経営に携わっています。

父・綿貫佐民さんも衆議院議員

公開されている企業史や人物資料によると、綿貫民輔さんの父・綿貫佐民さんは富山県議を経て衆議院議員を務めました。

礪波運輸の経営にも関わっています。

民輔さん自身も若くして同社の経営に携わった後、県議から衆議院議員へ進んでおり、父と似た経歴をたどった面があります。

綿貫民輔さんの功績|政治と富山の発展に長く関わる

綿貫民輔さんは、国政で要職を歴任しただけでなく、地元富山との結びつきが非常に強い政治家でした。

衆議院議員を13期連続で務めたことからも、長期間にわたり地元を政治基盤としていたことが分かります。

衆議院議員を13期連続で務める

1969年の初当選から2009年まで国政に携わりました。

衆議院議員としての当選回数は13回です。

国土庁長官、建設大臣、自民党幹事長、衆議院議長と、政府・政党・国会それぞれの要職を経験しました。

地元南砺市には綿貫民輔さんの銅像も

2024年には、富山県南砺市の公園に綿貫民輔さんの銅像が建立されました。

チューリップテレビによると、当時97歳だった綿貫さんも式典に出席し、感謝を伝えています。

政治家を引退した後も、地元富山では長年の活動をたたえられる存在だったことがうかがえます。

綿貫民輔さん死去|死因・経歴・功績や家族について現在分かっていること

元衆議院議長の綿貫民輔さんは、2026年8月18日に99歳で亡くなりました。

死因は老衰と公表されており、特定の病気が直接の死因だったとの発表はありません。葬儀は故人の遺志により近親者のみで行われ、後日お別れの会が予定されています。

綿貫さんは1927年4月30日生まれ。富山県出身で、慶應義塾大学を卒業した後、トナミ運輸の経営に携わり、富山県議を経て1969年に衆議院議員へ初当選しました。

その後13期連続で当選し、国土庁長官、建設大臣、自民党幹事長、第70代衆議院議長などを歴任しています。

2005年には郵政民営化に反対して自民党を離党し、亀井静香さんらと国民新党を結成。初代代表を務めたことも、綿貫民輔さんの政治人生を象徴する出来事の一つでした。

家族では、妻は千恵子さんとする公開資料があり、長男はトナミ運輸・トナミホールディングスの社長を務めた綿貫勝介さんです。勝介さんは2022年に父に先立って亡くなっています。

実業家として物流会社の経営に携わり、政治家として40年にわたって国政を歩んだ綿貫民輔さん。

99年の生涯を通じ、富山と国政の双方に大きな足跡を残しました。