
「電気を通すプラスチック」の研究で2000年にノーベル化学賞を受賞した化学者・白川英樹(しらかわ・ひでき)さんが亡くなったことが、2026年9月3日に明らかになりました。
白川さんは2026年8月24日午後6時24分、横浜市内の病院で死去。90歳でした。
共同通信系の報道では、死因は「転移性肝腫瘍と原発不明がん」と伝えられています。朝日新聞も、家族の説明として白川さんががんのため横浜市内の病院に入院していたと報じています。
白川さんは、それまで「プラスチックは電気を通さない」という常識を覆し、導電性高分子という新しい研究分野を切り開いた人物です。
アラン・ヒーガーさん、アラン・マクダイアミッドさんとともに「導電性ポリマーの発見と開発」で2000年のノーベル化学賞を受賞しました。
白川英樹さん死去|2026年8月24日に90歳で亡くなる
白川英樹さんが亡くなったのは2026年8月24日です。
訃報が大きく報じられたのは9月3日で、家族が取材に対して死去を明らかにしました。
横浜市内の病院で死去
共同通信系の報道によると、白川さんは8月24日午後6時24分、横浜市内の病院で亡くなりました。
90歳でした。
現在明らかになっている内容は次の通りです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 白川英樹 |
| 読み方 | しらかわ ひでき |
| 生年月日 | 1936年8月20日 |
| 年齢 | 90歳で死去 |
| 死去 | 2026年8月24日 |
| 死去した場所 | 横浜市内の病院 |
| 死因 | 転移性肝腫瘍・原発不明がんと報道 |
| 職業 | 化学者 |
| 主な肩書 | 筑波大学名誉教授 |
| 主な受賞 | 2000年ノーベル化学賞、文化勲章 |
| 喪主 | 妻・知預子さん |
葬儀・告別式については、すでに家族で執り行われています。
白川英樹さんの死因は?転移性肝腫瘍と原発不明がん
白川英樹さんの死因については、「転移性肝腫瘍と原発不明がん」と報じられています。
朝日新聞も、白川さんががんのため横浜市内の病院へ入院していたと伝えています。
死因は「転移性肝腫瘍・原発不明がん」
共同通信系の訃報では、
「転移性肝腫瘍と原発不明がんのため死去」
とされています。
「肝腫瘍」と聞くと肝臓そのものから発生した肝がんを想像するかもしれませんが、転移性肝がん・肝腫瘍は意味が異なります。
国立がん研究センターによると、転移性肝がんとは、肝臓以外の臓器で発生したがんが血液などを通じて肝臓へ転移したものです。肝臓そのものから発生する原発性肝がんとは区別されます。
原発不明がんとは?
もう一つ報じられているのが「原発不明がん」です。
国立がん研究センターは原発不明がんについて、十分な画像診断や病理診断などを行っても、最初にがんが発生した臓器である「原発巣」を特定できず、転移した病巣だけが確認されるがんと説明しています。
つまり、報道内容から確認できるのは、
- がんを患っていた
- 肝臓に転移性の腫瘍があった
- 原発巣を特定できない原発不明がんとされていた
というところまでです。
どのような治療を受けていたのか、いつがんが判明したのかなど、詳しい闘病経過は今回の訃報では明らかにされていません。
白川英樹さんは以前から病気だった?がんの公表時期は?
白川英樹さんについて、生前から大きくがん闘病が報じられていたわけではありません。
9月3日の朝日新聞は、家族の話として「がんのため横浜市内の病院に入院していた」と伝えています。
がんの診断時期や治療期間は明らかになっていない
今回確認できた訃報では、
- がんがいつ見つかったのか
- いつから入院していたのか
- 手術を受けたのか
- 抗がん剤治療を行っていたのか
といった詳しい治療歴は公表されていません。
そのため、「長年がんと闘病していた」などと期間を特定することはできません。
2024年にも白川さんは子供たちを対象とした科学教育活動へ参加しており、九州大学で行われた講座では、科学への好奇心や自身の研究経験について語っていました。
晩年まで科学の面白さを次世代へ伝える活動を続けていたことが分かります。
白川英樹さんは何歳?wikiプロフィール
白川英樹さんは1936年8月20日、東京都生まれです。
ノーベル財団の公式プロフィールにも、生年月日を1936年8月20日、出生地を東京とする記録があります。
白川英樹さんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 白川英樹 |
| 読み方 | しらかわ ひでき |
| 生年月日 | 1936年8月20日 |
| 出身 | 東京都生まれ、岐阜県高山市で育つ |
| 年齢 | 90歳で死去 |
| 職業 | 高分子化学者 |
| 学歴 | 東京工業大学理工学部化学工学科 |
| 学位 | 工学博士 |
| 主な勤務先 | 東京工業大学、ペンシルベニア大学、筑波大学 |
| 主な研究 | ポリアセチレン、導電性高分子 |
| ノーベル賞 | 2000年ノーベル化学賞 |
| 受賞理由 | 導電性ポリマーの発見と開発 |
| その他 | 文化勲章、文化功労者、日本学士院会員 |
| 死去 | 2026年8月24日 |
| 死因 | 転移性肝腫瘍・原発不明がんと報道 |
白川さんは東京都で生まれましたが、幼少期には台湾や旧満州で暮らし、その後、母親の故郷である岐阜県高山市で小学校から高校までを過ごしました。
白川英樹さんの学歴|高山高校から東京工業大学へ
白川英樹さんは高校時代まで岐阜県高山市で過ごし、その後、東京工業大学へ進学しました。
大学・大学院を通じて高分子化学を研究し、その経験が後のノーベル賞につながっていきます。
岐阜県立高山高校出身
日本大百科全書の人物紹介によると、白川さんは岐阜県立高山高校を経て東京工業大学へ進学しました。
幼いころから自然や昆虫に強い興味を持っていたことでも知られています。
後年、科学雑誌『子供の科学』のインタビューでは、自分が最初に触れた科学として高山の自然と科学雑誌を挙げていました。
1961年に東京工業大学を卒業
筑波大学による公式略歴では、白川さんは1961年に東京工業大学理工学部化学工学科を卒業しています。
その後も同大学大学院理工学研究科で化学工学を専攻し、1966年に工学博士を取得しました。
同年、東京工業大学資源化学研究所の助手となり、研究者としての本格的なキャリアをスタートさせています。
白川英樹さんは何をした人?「電気を通すプラスチック」を実現
白川英樹さんについて最も分かりやすく説明すると、
「電気を通さないと思われていたプラスチックに高い電気伝導性を持たせる研究を切り開いた人」
です。
この成果によって「導電性高分子」という新しい研究分野が大きく発展しました。
ポリアセチレンの薄膜を作ることに成功
白川さんが研究していた物質が「ポリアセチレン」です。
筑波大学によると、それまでポリアセチレンは溶けにくく、加工も難しかったため、詳しい研究が進みにくい物質でした。
白川さんは触媒を使ったアセチレンの重合によって、薄いフィルム状のポリアセチレンを合成する方法を見いだしました。
この「薄膜」を作れたことが、その後の重要な研究につながります。
ヨウ素などを加えると電気が流れることを発見
白川さんは米ペンシルベニア大学でアラン・マクダイアミッドさん、アラン・ヒーガーさんらと共同研究を行いました。
ポリアセチレンにヨウ素などを加える「ドーピング」を行うと、電気伝導度が劇的に高まることが分かりました。
ノーベル財団によると、ヨウ素と反応させることで電気伝導度は最大で約1000万倍に高まったとされています。
「プラスチックは絶縁体」という当時の常識を覆す研究成果でした。
白川英樹さんが2000年にノーベル化学賞
白川英樹さんは2000年、アラン・ヒーガーさん、アラン・マクダイアミッドさんとともにノーベル化学賞を受賞しました。
受賞理由は、
「導電性ポリマーの発見と開発」
です。
日本人としてノーベル化学賞を受賞
ノーベル財団の記録では、3人がそれぞれ賞の3分の1を受賞しました。
白川さんは当時、筑波大学名誉教授でした。
2000年10月の受賞発表は、日本国内でも大きなニュースとなりました。
導電性高分子は電子技術の発展にもつながった
導電性高分子は、その後、化学と物理学の双方に大きな研究分野を生み出しました。
ノーベル財団は応用例として、
- 帯電防止材料
- 電磁波を遮る材料
- 発光ダイオード
- 太陽電池
- ディスプレイ
- 分子エレクトロニクス
などにつながる研究分野を挙げています。
白川さんたちの研究は、一つの新素材の発見にとどまらず、「プラスチックを電子材料として利用する」という発想を広げるきっかけとなりました。
白川英樹さんの経歴|東京工業大学から筑波大学教授へ
白川英樹さんは大学院修了後、東京工業大学で研究を続けました。
その後アメリカで共同研究を行い、帰国後は筑波大学で研究・教育に携わっています。
1966年に東京工業大学助手
1966年に東京工業大学大学院を修了して工学博士となり、同大学資源化学研究所助手に就任しました。
ここでポリアセチレンの研究を進めます。
1976年にペンシルベニア大学へ
1976年には米ペンシルベニア大学の博士研究員となりました。
そこでマクダイアミッドさん、ヒーガーさんとの共同研究を進め、導電性ポリマー研究の重要な成果を生み出しました。
1979年から筑波大学
1979年に筑波大学物質工学系助教授となり、1982年には教授へ昇任しました。
2000年3月に筑波大学を退官し、名誉教授となっています。
奇しくも退官した同じ2000年にノーベル化学賞受賞が決まりました。
白川英樹さんの功績|文化勲章・日本学士院会員にも
白川英樹さんはノーベル化学賞以外にも、国内外で高く評価されています。
筑波大学や日本学士院の記録には、高分子化学の発展へ残した功績が詳しく紹介されています。
2000年に文化勲章
ノーベル化学賞を受賞した2000年には文化功労者に選ばれ、文化勲章も受章しました。
筑波大学の受賞歴では、
- 1983年 高分子学会賞
- 2000年 高分子科学功績賞
- 2000年 ノーベル化学賞
- 2000年 文化勲章・文化功労者
- 2001年 日本化学会特別顕彰
などが紹介されています。
2001年に日本学士院会員
2001年12月には日本学士院会員に選ばれました。
日本学士院も、ポリアセチレン薄膜へのドーピングによって電気伝導度が飛躍的に増加することを発見し、導電性高分子の科学と応用が発展する端緒を開いたと功績を紹介しています。
白川英樹さんは子供たちへの科学教育にも尽力
ノーベル賞受賞後の白川英樹さんは、自身の研究成果を語るだけでなく、子供たちへ科学の面白さを伝える活動にも力を入れていました。
全国各地で「導電性プラスチックを作ろう」といった実験教室を行っています。
ノーベル賞受賞者自身が実験を指導
徳島県が開催した実験教室では、白川さん自身が子供たちを指導し、ノーベル賞につながった導電性プラスチックを実際に作る機会を提供しました。
山梨大学との対談でも、白川さんは子供の理科離れに触れ、感性豊かな時期に実験の面白さや不思議さに触れてほしいとの考えを語っています。
研究そのものだけでなく、次の世代の科学者を育てる活動も晩年の大きな仕事となりました。
白川英樹さんの家族|妻は知預子さん
白川英樹さんの家族について、今回の訃報で名前が明らかになっているのは妻の知預子(ちよこ)さんです。
葬儀・告別式は家族ですでに済ませ、喪主は知預子さんが務めました。
妻・知預子さんが喪主
共同通信系の訃報では、
「喪主は妻知預子さん」
と明記されています。
一方、知預子さん自身は研究者や著名人として広く活動していた人物ではないため、年齢や職業など詳しいプロフィールは主要報道では紹介されていません。
今回も家族で葬儀を行っており、私生活については限られた情報のみが公表されています。
白川英樹さんに息子はいる?子供について公表情報は?
「白川英樹 息子」「白川英樹 子供」と調べる人もいるようですが、子供に関する公開情報は非常に限られています。
今回確認した筑波大学、日本学士院、ノーベル財団の公式プロフィールや9月3日の主要な訃報では、息子の名前や人数などは紹介されていません。
そのため、
- 息子が何人いるのか
- 息子の名前
- 息子の職業
- 子供が研究者なのか
といった内容について、現在確認できる公的な情報から断定することはできません。
家族について確実に確認できる情報としては、妻の知預子さんが今回の葬儀で喪主を務めたことが挙げられます。
白川英樹さん死去|死因・経歴やノーベル賞の功績、家族について分かっていること
2000年のノーベル化学賞受賞者で筑波大学名誉教授の白川英樹さんは、2026年8月24日午後6時24分、横浜市内の病院で亡くなりました。
90歳でした。
死因は「転移性肝腫瘍と原発不明がん」と報じられ、家族によると、がんのため入院していました。
白川さんは1936年8月20日に東京都で生まれ、岐阜県高山市で成長。
東京工業大学理工学部化学工学科を卒業し、同大学院で工学博士を取得した後、東京工業大学の助手、米ペンシルベニア大学の博士研究員、筑波大学助教授・教授を歴任しました。
最大の功績は、ポリアセチレンを薄膜化し、ヨウ素などを加えることで電気伝導度を飛躍的に高める研究を進め、「電気を通すプラスチック」の道を開いたことです。
アラン・ヒーガーさん、アラン・マクダイアミッドさんとの研究により、2000年に「導電性ポリマーの発見と開発」でノーベル化学賞を共同受賞しました。
同じ2000年には文化功労者となり、文化勲章も受章。2001年には日本学士院会員となっています。
晩年は研究者としての経験を子供たちへ伝える実験教室にも積極的に取り組み、科学への好奇心を次世代へつなぐ活動を続けました。
家族では妻の知預子さんが喪主を務めています。一方、息子を含む子供については、今回確認できた公式プロフィールや主要報道では詳しい人物情報は公表されていません。
「プラスチックは電気を通さない」という常識を覆し、新しい高分子科学の分野を切り開いた白川英樹さん。
その発見とノーベル化学賞につながった研究成果は、化学の歴史に大きな足跡として残ることになります。

