
ジュディ・オングさんといえば、白い衣装の袖を大きく広げて歌う「魅せられて」の姿が印象的です。昭和を代表する歌手の一人ですが、実際には子役として芸能界に入り、女優、歌手、木版画家として60年以上にわたり活動してきました。公式プロフィールでも現在の肩書きは「歌手・女優・木版画家」とされています。
「ジュディ・オングは現在何歳?」「今は何をしている?」「何人で国籍はどこ?」「本名や家族、結婚歴は?」など、現在の姿とwiki的なプロフィールをまとめて知りたい人も多いのではないでしょうか。さらに、若い頃や寺尾聰さんとの関係、「魅せられて」の衣装や歌詞、木版画についても関心が集まっています。
結論からいうと、ジュディ・オングさんは2026年9月現在76歳で、芸能界を引退していません。むしろ2026年は歌手生活60周年を迎え、記念コンサートやベストアルバム、映画、テレビ出演など活動が続いています。ここからは現在の活動を最初に確認し、年齢、本名、国籍、家族、学歴、若い頃からの経歴まで一つずつ詳しく見ていきます。
ジュディ・オングの現在は?76歳で歌手生活60周年を迎えて活躍中
ジュディ・オングさんは1950年1月24日生まれで、2026年9月現在は76歳です。
「今は何をしているの?」という疑問への答えはとても明確で、現在も歌手、女優、木版画家として活動しています。2026年9月に公開された本人インタビューでも「76歳」「歌手デビュー60周年」と紹介されており、過去のヒット曲だけで活動しているわけではありません。
2026年は歌手生活60周年!記念コンサートを開催
2026年10月15日には、東京国際フォーラム・ホールAで歌手生活60周年記念コンサート
「DIVA60 The Legend of Judy Ongg」
が開催予定です。
ゲストには小林幸子さんと中村雅俊さんが出演予定。ジュディ・オングさん自身も公式サイトで、歌手、女優、木版画家として歩んできた60年間を振り返る節目のステージになることを伝えています。
さらに2026年10月14日には、初のオールタイム・ベストアルバム『Diva60 -The Legend of Judy Ongg-』の発売も予定されています。
現在76歳という年齢から「もう芸能活動はほとんどしていないのでは」と思う人もいるかもしれませんが、実際には60周年を機に大きなプロジェクトが動いています。
47年ぶりの台湾映画出演!2027年元日に日本公開
女優としても新たな動きがあります。
ジュディ・オングさんは台湾映画『陽光女子合唱團(Sunshine Women's Choir)』に出演。台湾映画への出演は47年ぶりと報じられました。
日本では『陽だまりの歌が聴こえる』の邦題で、2027年1月1日から全国公開されることが2026年9月4日に発表されています。
作品は女子刑務所で結成される合唱団を描いた物語で、ジュディ・オングさんはユーイン役として出演しています。
つまり「ジュディ・オングの現在」を調べると、「魅せられて」で知られる昭和のスターというだけでなく、2026年現在も新しい映画に出演する現役女優であることが分かります。
テレビやラジオにも現在進行形で出演
公式サイトを見ると、2026年夏だけでもNHK「うたコン」、NHK「ラジオ深夜便」、BSフジ「昭和歌謡パレード」などへの出演情報が並んでいます。
さらに2026年9月8日放送予定の「徹子の部屋」にも出演。番組紹介では歌手生活60周年に加え、99歳で亡くなった母親との最後の日々について語ることが予告されています。
コンサート、映画、テレビ、ラジオと活動が続いていることを考えると、「ジュディ・オングは今どうしている?」への答えは、76歳の現在も第一線で活動を続けているとなります。
ジュディ・オングのwiki風プロフィール!年齢・本名・身長・国籍は?
ジュディ・オングさんがどのような人物なのか、まずはwiki風に基本プロフィールを見てみましょう。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | ジュディ・オング | Judy Ongg |
| 中国名 | 翁倩玉 | ウォン・チェンユィなどと表記 |
| 現在の本名 | 翁ジュディ | 日本国籍取得後に改名 |
| 生年月日 | 1950年1月24日 | 2026年9月現在76歳 |
| 出身 | 台湾・台北市 | 3歳頃に来日 |
| 国籍 | 日本 | 日本国籍を取得 |
| 身長 | 153cm | タレントデータバンク掲載 |
| 職業 | 歌手・女優・木版画家 | 現在も活動中 |
| 学歴 | 東京中華学校、アメリカンスクール、上智大学など | 公開情報の範囲 |
| 代表曲 | 「魅せられて」 | 1979年日本レコード大賞 |
| 現在 | 歌手生活60周年 | 映画・音楽・テレビでも活動 |
公式サイトでは台湾生まれで3歳のときに来日し、11歳で映画デビュー、16歳で歌手デビューした経歴が紹介されています。身長はタレントデータバンクで153cmと掲載されています。
本名は「翁ジュディ」!中国名は翁倩玉
ジュディ・オングという名前を芸名だと思っている人も多いかもしれません。
中国名は
翁倩玉(ウォン・チェンユィ)
です。
一方、日本国籍を取得した際には一度「翁玉恵」という名前にしたものの、本人はその名前にしっくりこなかったといいます。
その後、戸籍名を変更し、現在の本名は「翁(おきな)ジュディ」になりました。
2023年の「徹子の部屋」では本人がこの経緯を説明しており、「ジュディ」という名前はアメリカンスクール時代に選んだ英語名だったことも明かしています。
つまり、現在の「ジュディ」は単なる芸名ではありません。長年親しまれてきた呼び名を、最終的に本人が戸籍上の名前として選んだことになります。
ジュディ・オングは何人?出身は台湾で現在の国籍は日本
台湾出身というプロフィールから、
「ジュディ・オングは何人?」
「国籍は台湾なの?」
「ハーフなの?」
と気になる人もいます。
ジュディ・オングさんは台湾・台北市生まれで、現在は日本国籍です。
3歳で来日し、日本で長く生活した後に日本国籍を取得しています。現在も日本と故郷の台湾を行き来する生活を送ってきたことがテレビ朝日の番組紹介でも伝えられています。
一方、「ハーフ」と公表している事実は確認できません。
幼少期には家庭で台湾語を使い、東京中華学校で中国語、日本の友人とは日本語、さらに英語も学んでいたと本人が語っています。
名前や雰囲気だけを見ると海外育ちの印象もありますが、実際には幼い頃から台湾と日本、さらに英語圏の文化が交わる環境で育ってきた人物なのです。
身長は153cm!「魅せられて」の衣装で大きく見える?
ジュディ・オングさんの身長は153cmと公表されています。
「魅せられて」で巨大な袖を広げて歌う姿はとても存在感があるため、映像を見てもっと身長が高いと思っていた人もいるかもしれません。
実際の身長以上に大きく見えるのは、姿勢や振り付け、大胆な衣装、ステージ上での表現力が組み合わさっているからでしょう。
ジュディ・オングの家族構成!父親・母親・兄・結婚歴は?
ジュディ・オングさんの家族について調べると、現在の人物像につながる興味深いエピソードが数多くあります。
特に父親と母親は、幼少期の教育や芸能界入りに大きく関わりました。また、兄も台湾で知られる建築家です。
父親は翁炳栄!台湾の「電波の父」と呼ばれた人物
父親は翁炳栄(おう・へいえい)さんです。
2026年9月のCREAインタビューで、ジュディ・オングさんは父親について、台湾で「電波の父」と呼ばれる存在だったと語っています。
父・翁炳栄さんは、中国広播公司の設立に関わり、中国語と英語の能力を生かして来日。日本ではGHQに関係する中国語放送の仕事にも携わりました。
父親は音楽好きでもあり、家庭にはフランク・シナトラなどのジャズのレコードがあったといいます。
後に歌手として活動するジュディ・オングさんにとって、幼い頃から音楽が身近にある家庭だったことは大きな背景の一つだったのでしょう。
一方、娘の芸能界入りには当初反対していました。
芸能活動をするなら学業もきちんと続けることを求めており、その考え方は後の学生生活にも影響しました。
母親は芸能界入りを後押し!99歳で死去
父親が慎重だったのに対し、母親は娘が「やってみたい」と思ったことを後押しする存在でした。
9歳のときに劇団ひまわりへ入る話が持ち上がった際も、母親が父親を説得したことで芸能活動への道が開けたと本人が振り返っています。
また、仕事上の大きな選択を迫られたときにも、最終的に自分が選んだ道を大切にするよう背中を押したのが母親でした。
2023年当時、母親は96歳で台湾に暮らしていることが報じられていました。その後、2026年9月8日放送予定の「徹子の部屋」の番組紹介では、99歳で亡くなったことが明らかになっています。
番組紹介によると、亡くなる直前には機材を母親のもとへ持ち込み、枕元で思い出の曲を歌うことができたそうです。
芸能界入りだけでなく、大きな決断の場面にたびたび母親の言葉が登場することからも、ジュディ・オングさんの人生において非常に大きな存在だったことが伝わってきます。
兄は建築家マーク・オングこと翁祖模
ジュディ・オングさんには兄が一人います。
兄は翁祖模(マーク・オング)さんで、台湾を中心に活動してきた建築家です。
ジュディ・オングさんは「徹子の部屋」で、台湾高速鉄道の台中駅などを兄が手がけたことを紹介しています。
さらに2024年には、ジュディ・オングさんの木版画と兄の建築・芸術作品による兄妹展「藝境畫篇O2」が台北で開催されました。公式プロフィールにもこの兄妹展が記載されています。
兄が建築家、妹が木版画家という点を見ると、表現方法は違っても、ものづくりに関わっている兄妹であることが分かります。
結婚歴は?現在の旦那や子供はいる?
ジュディ・オングさんには結婚歴があります。
人物資料では、1990年代に美術関係の仕事をしていた鈴木洋樹さんと結婚し、その後離婚したと紹介されています。ただし、結婚・離婚の正確な年には資料によって1991年、1992年、1997年、1998年など表記の違いがあります。
近年の本人公式プロフィールでは結婚歴の詳細を大きく扱っていないため、細かな年月については分けて考えたほうがよさそうです。
2026年9月現在、再婚したことを本人が公式に発表した情報は確認できません。そのため、現在の「旦那」にあたる人物が公表されているわけではありません。
子供についても、本人や公式プロフィールから「子供がいる」と確認できる公表情報は見当たりませんでした。
ジュディ・オングの学歴と若い頃!学生時代や寺尾聰との関係は?
ジュディ・オングさんの若い頃を見ると、現在の国際的なイメージがどのように作られてきたのかがよく分かります。
3歳頃から日本で暮らしていますが、家庭と学校で複数の言語を使い分け、子供の頃から芸能活動と学業を並行していました。
東京中華学校からアメリカンスクールへ
ジュディ・オングさんは幼い頃、東京中華学校へ通っていました。
本人によると、家庭では台湾語、学校では北京語、日本人の友人とは日本語を使い、さらに家庭教師から英語も教わっていたといいます。
その後はアメリカンスクールで学びました。
現在の本名にもなっている「ジュディ」という名前も、この英語教育の中で自分で選んだものです。
中国語、日本語、英語が日常的に存在する環境で育っていたことは、後に日本だけでなく台湾や香港、アメリカなどへ活動を広げるうえでも大きな強みになったはずです。
上智大学へ進学!芸能活動と学業を両立
ジュディ・オングさんは上智大学国際学部を卒業したと広く紹介されています。
上智大学の現在の国際教養学部は、1949年設立の「国際部」をルーツに持ち、英語による国際教育を続けてきた学部です。
大学時代にはすでに芸能人として仕事をしていました。
後から芸能界に入ったのではなく、小学生で芸能活動を開始し、映画やテレビ、歌手の仕事を続けながら大学まで進んだことになります。
父親が芸能活動を認める条件として学業を重視していたことを考えると、ジュディ・オングさんの学歴は単なる肩書きではなく、家庭の教育方針ともつながっています。
9歳で劇団ひまわり入り!11歳で映画デビュー
芸能界へ入ったきっかけは、自分のために受けたオーディションではありませんでした。
9歳の頃、友人に誘われて劇団ひまわりへついて行ったところ、多言語を話すジュディ・オングさん自身が注目され、入団することになったと本人が語っています。
その後、11歳でパール・バック原作の日米合作映画『大津波』に出演し、女優デビュー。
16歳になると歌手としてもデビューしました。
子役時代にはドラマやCMにも出演し、さらに中村メイコさんから敬語、山田五十鈴さんから着物の所作などを教わったと振り返っています。
若い頃から異なる分野の先輩に囲まれて仕事をしていた経験も、現在まで続く女優・歌手としての土台になったのでしょう。
寺尾聰との関係は?若い頃の交際説
「ジュディ・オング 寺尾聰」という組み合わせもよく知られています。
人物資料では、寺尾聰さんがジュディ・オングさんのアメリカンスクール卒業パーティーでエスコート役を務め、若い頃に交際していたとする記述があります。
一方、2026年現在のジュディ・オングさんの公式プロフィールや最近の本人インタビューでは、寺尾聰さんとの交際期間や破局理由について詳しく語られていません。
ネット上では「結婚を考えていた」「寺尾聰さんの『ルビーの指環』と関係がある」といった話まで見かけますが、こうした細部には本人が確認していない情報も混ざっています。
そのため、現時点では若い頃の交際相手として寺尾聰さんの名前が複数の人物資料に記載されているものの、破局理由などの詳細までは公式に確認できないという捉え方が最も正確です。
ジュディ・オングの曲・ドラマ・映画・版画など経歴を紹介
ジュディ・オングさんの経歴を「魅せられて」だけで終わらせると、その活動の幅をかなり見落としてしまいます。
歌手として数多くの曲を発表する一方、子役時代から女優としてドラマや映画に出演し、さらに木版画でも本格的な実績を残してきました。
「魅せられて」は29歳で大ヒット!レコード大賞も受賞
ジュディ・オングさん最大のヒット曲が、1979年発表の
「エーゲ海のテーマ~魅せられて」
です。
約200万枚を売り上げる大ヒットとなり、第21回日本レコード大賞を受賞しました。
1950年1月生まれのため、「魅せられて」がヒットした当時のジュディ・オングさんは29歳でした。2026年9月放送予定の「徹子の部屋」の番組紹介でも、「29歳の時『魅せられて』が大ヒット」と紹介されています。
日本レコード大賞だけでなくNHK紅白歌合戦でも歌われ、その後何十年も代表曲として定着しました。
「ジュディ・オングの歌」「ヒット曲」「代表曲」と聞けば、最初に「魅せられて」を思い浮かべる人が多いのも納得です。
「女は海」は曲名?「魅せられて」の歌詞と意味
「ジュディ・オング 女は海」と調べる人もいますが、「女は海」は独立した曲名ではなく、「魅せられて」の歌詞に登場する印象的なフレーズです。
「魅せられて」はエーゲ海を背景に、大人の女性の恋愛観や揺れ動く感情を描いた楽曲です。
阿木燿子さんの詞と筒美京平さんの曲に、ジュディ・オングさんの国際的な雰囲気と衣装が重なり、独特の世界観が生まれました。
歌詞だけを読むよりも、声、振り付け、衣装、ステージ演出を含めて一つの作品として記憶されている点が、この曲の強さではないでしょうか。
「魅せられて」の羽のような衣装はなぜ有名?
「魅せられて」と切り離せないのが、両腕を広げると鳥の羽のように見える巨大な白い衣装です。
2026年9月の本人インタビューでは、紅白歌合戦で使用した衣装について幅が約3mあったことも語られています。
153cmという身長に対して大きな衣装をまとい、両腕をいっぱいに広げる姿は強烈なインパクトがあります。
「ジュディ・オング 衣装」「羽」「服」と今も調べられること自体、楽曲と衣装が一体化した昭和歌謡史に残る演出だったことを示しています。
「魅せられて」以外の有名曲・ヒット曲も多い
ジュディ・オングさんには「魅せられて」以外にも多くの代表曲があります。
特に知られているのは、「たそがれの赤い月」「愛は生命」「花嫁の耳かざり」「リクエスト」「麗華の夢」「惑いの午後」「ひとひらの雪」「愛のめぐり逢い」などです。
Sony Musicのベスト盤にも、「魅せられて」をはじめ、「麗華の夢」「惑いの午後」「リクエスト」「花嫁の耳かざり」「ひとひらの雪」「愛のめぐり逢い」「愛は生命」などが収録されています。
「惑いの午後」はCMソング、「ひとひらの雪」は同名映画の主題歌、「愛のめぐり逢い」はテレビドラマのテーマ曲として使用されました。
さらに北京語や広東語で歌った作品もあり、日本だけで活動してきた歌手ではないことがディスコグラフィーからも分かります。
ドラマや時代劇にも多数出演!「ドクターX」出演歴も
ジュディ・オングさんは歌手のイメージが強いものの、芸能界でのスタートは女優でした。
11歳で映画『大津波』に出演して以降、長年にわたりドラマや映画にも出演しています。
出演歴としては「江戸を斬る」シリーズなどの時代劇をはじめ、「必殺仕事人」「ルーズヴェルト・ゲーム」「ドクターX」「銭の戦争」「嘘の戦争」などが紹介されています。
映画では『大津波』のほか、アメリカ映画『American Pastime』にも出演。
そして現在は、47年ぶりとなる台湾映画出演作『陽だまりの歌が聴こえる』の日本公開を控えています。
歌手活動が目立つ時期にも女優の仕事を続けてきたため、「歌手が後から演技を始めた」のではなく、女優と歌手の両方がジュディ・オングさんのキャリアの中心なのです。
25歳から始めた木版画!日展でも高く評価
ジュディ・オングさんについて、「版画」「木版画」「絵」といった言葉がよく調べられているのには理由があります。
木版画は単なる趣味ではありません。
25歳の頃に木版画と出会い、木版画家・井上勝江さんに師事。その後、日展への出品を重ねました。
公式プロフィールでは日展への多数の入選歴が紹介され、2005年には作品「紅楼依緑」で日展特選を受賞しています。
寺社や古民家など日本建築を題材にした作品も多く、実際に現地を訪ねて取材しながら制作してきました。
2024年には台湾・台北で建築家の兄・翁祖模さんとの兄妹展も開催しています。
「魅せられて」の歌手と、本格的な木版画家が同じ人物だと知って驚く人も多いかもしれません。ここはジュディ・オングさんをwikiプロフィールだけでは伝えきれない部分の一つです。
ジュディ・オングの性格・人柄は?愛犬や仕事への姿勢も
性格については、テレビで見えるイメージだけで断定することはできません。
ただし、60年以上の活動や本人のインタビュー、家族とのエピソードを見ると、仕事や人生に対する姿勢はある程度見えてきます。
自分で選んだ道を大切にする人
ジュディ・オングさんの人生では、何度も大きな選択がありました。
若い頃には、名前を変えることを条件に仕事を提示されたこともあったといいますが、「ジュディ・オング」の名前を大切にして活動を続けました。
さらに後には、日本国籍取得時に一度付けた日本名から、自分が長年使ってきた「ジュディ」へ戸籍名を変更しています。
1979年に「魅せられて」がヒットし始めた頃にも、海外作品への出演と歌手活動の間で大きな選択を迫られました。2026年の「徹子の部屋」の番組紹介では、その際に母親の言葉が背中を押したことが紹介されています。
一度選んだものをそのまま守るだけではなく、「選んだ道を自分で価値あるものにしていく」という姿勢が、60年間の活動にも表れているように感じられます。
台湾と日本の両方を大切にしてきた
ジュディ・オングさんは台湾で生まれ、日本で育ちました。
家庭では台湾語、学校では中国語、日本の生活では日本語、さらに英語を学ぶという環境にいたため、幼い頃から複数の文化が身近にありました。
現在も日本と台湾をつなぐ活動を続けており、2022年には日本と台湾の友好親善への貢献などが評価され、外務大臣表彰を受けています。
日本の歌手、台湾出身の芸能人、国際派女優、木版画家という一つの肩書きだけでは説明しにくいところも、ジュディ・オングさんの大きな特徴です。
犬・愛犬との関わりも深い
ジュディ・オングさんは犬との関わりでも知られています。
公式プロフィールでは、現在日本介助犬協会のサポート大使を務めていることが紹介されています。2026年8月にも公式サイトで「国際補助犬WEEK」に関する発信を行っています。
過去には愛犬との暮らしについてインタビューで語ってきたこともあり、「ジュディ・オング 犬」「愛犬」と気になった人にとって、犬との関わりは私生活だけにとどまりません。
長年の動物への関心が、現在は介助犬への理解を広げる活動にもつながっています。
ジュディ・オングの現在・wikiプロフィールまとめ
ジュディ・オングさんの現在とwiki風プロフィールについて、重要なポイントをまとめます。
- ジュディ・オングさんは1950年1月24日生まれで、2026年9月現在76歳
- 台湾・台北市生まれで3歳頃に日本へ来た
- 現在の国籍は日本で、本名は「翁ジュディ」
- 中国名は「翁倩玉」で、身長は153cm
- 2026年は歌手生活60周年を迎え、10月に記念コンサートを予定している
- 47年ぶりに台湾映画へ出演し、『陽だまりの歌が聴こえる』が2027年1月1日に日本公開予定
- 父・翁炳栄さんは台湾で「電波の父」と呼ばれ、母親は芸能界入りを後押しした
- 兄の翁祖模さんは台湾で活動する建築家
- 若い頃から芸能活動と学業を両立し、上智大学へ進学した
- 1979年、29歳のとき「魅せられて」が約200万枚の大ヒットとなり日本レコード大賞を受賞
- 「魅せられて」の羽のような衣装だけでなく、「愛は生命」「惑いの午後」「ひとひらの雪」など多くの曲を発表している
- 女優としてドラマや映画にも出演し、25歳から続ける木版画では日展特選も受賞している
ジュディ・オングさんを「魅せられてを歌っていた昔の歌手」というイメージだけで見ると、現在の姿とはかなり違います。
子役から始まり、歌手、女優、木版画家として活動し、日本と台湾の文化交流にも関わってきました。そして76歳となった2026年も、歌手生活60周年のコンサートや新しい映画など仕事が続いています。
60年以上の経歴がありながら、現在も新しい作品やステージに挑戦しているところこそ、ジュディ・オングさんが今も注目され続ける大きな理由といえそうです。

