
2026年8月31日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)のトップ、韓鶴子(ハン・ハクチャ)氏に韓国のソウル中央地裁が懲役2年の一審判決を言い渡し、改めて人物像にも注目が集まっています。
「韓鶴子はどんな人なのか」「どんな経歴で旧統一教会のトップになったのか」「大学はどこなのか」と気になった人も多いのではないでしょうか。
韓鶴子氏は1943年2月10日生まれで、2026年8月現在83歳です。現在の北朝鮮にあたる朝鮮半島北部で生まれ、朝鮮戦争前後の混乱期に母親らと韓国側へ移りました。
その後、1950年代に旧統一教会と接点を持ち、1960年、17歳で23歳年上の教団創設者・文鮮明氏と結婚しました。
文氏の妻として長年教団活動に携わり、1990年代からは女性団体や国際的な平和運動の表舞台にも登場。文氏が2012年に亡くなった後は教団の指導者として前面に立つようになり、現在は世界平和統一家庭連合のトップとして知られています。
韓鶴子のプロフィール!年齢・出身地は?
まず韓鶴子氏の基本的なプロフィールを見てみます。
現在確認できる主な情報は次の通りです。
- 名前:韓鶴子
- 読み方:ハン・ハクチャ
- 韓国語表記:한학자
- 生年月日:1943年2月10日
- 年齢:83歳(2026年8月現在)
- 出身:平安南道安州付近、現在の北朝鮮
- 職業・立場:宗教指導者
- 団体:世界平和統一家庭連合(旧統一教会)
- 夫:文鮮明氏(1920~2012)
- 子供:14人と教団側資料などで紹介
- 現在:世界平和統一家庭連合の指導者
UPF(天宙平和連合)の公式プロフィールでは、韓氏は1943年、現在の北朝鮮に位置する平安南道安州で生まれたと紹介されています。旧暦では1月6日、新暦では2月10日にあたるとされています。
韓鶴子の生い立ちは?現在の北朝鮮で生まれ韓国へ
韓鶴子氏の幼少期は、朝鮮半島の分断や朝鮮戦争と重なっています。
教団系資料によると、母親の洪順愛氏は宗教活動に熱心な人物で、韓氏も幼いころから宗教的な環境で育ったとされています。
1943年に平安南道安州で誕生
韓氏が生まれたのは1943年です。
当時は日本統治下の朝鮮半島で、出生地は現在の北朝鮮・平安南道安州市周辺にあたります。
1945年の終戦後、朝鮮半島は南北に分断され、北側では共産主義政権のもと宗教活動への統制が強まっていきました。
母親・祖母と朝鮮半島南部へ移住
UPFの公式略歴では、1948年に母親と祖母が北朝鮮当局に拘束された後、家族が故郷を離れ、南側へ移動したと説明されています。
その後、朝鮮戦争の影響もあり、
ソウル
↓
大邱
↓
済州島など
↓
春川
↓
再びソウル
と各地を移りながら成長したとする教団側の記録があります。
韓国のChannel Aも、韓氏が戦争中に各地を転々とした後、春川などで学校生活を送ったと紹介しています。
韓鶴子の学歴は?通った学校を調査
韓鶴子氏の「学歴」については、一般的な芸能人や政治家のプロフィールほど広く公表されているわけではありません。
ただし、教団が保存している歴史資料から、中学校と看護学校についてかなり具体的な記録が残っています。
1956年から女子中学校へ
教団系の歴史資料によると、韓氏は1956年4月、ソウルの女子中学校へ入学し、1959年3月に卒業しています。
英語資料では「Seong Jeong Girls' Middle School」「Seonjeong Middle School」などと表記されています。
同資料では、中学時代には絵を描くことや読書を好み、生徒会に関係する活動にも参加していたと紹介されています。
ただし、こうした性格評価や学校生活の細部は教団側が保存・公開している資料に基づく内容です。
韓鶴子は看護学校に進学!大学には行った?
中学校卒業後、韓鶴子氏は看護師を目指して学校へ進みました。
1959年3月、ソウルにあった「聖ヨセフ看護学校(St. Joseph's Nursing School)」へ入学したとされています。
聖ヨセフ看護学校へ入学
教団の歴史資料では、韓氏は戦争で負傷した人や病気の子供たちを目にした経験から、医療の仕事を志したと説明されています。
1959年春、現在のカトリック大学看護系教育機関の前身とされる聖ヨセフ看護学校へ進み、寄宿舎で生活していました。
韓氏自身の回想録でも、戦争後のソウルで負傷者や病気の子供を見た経験から医療分野を志し、1959年に看護学校へ入学したとしています。
看護学校は卒業していない
ここは「韓鶴子 学歴」で特に間違えやすい部分です。
韓氏は看護学校へ入学しましたが、1960年に文鮮明氏と結婚したため、課程を修了しなかったと教団系資料に記録されています。
そのため、
「カトリック大学看護学部を卒業した」
という経歴ではありません。
現在確認できる範囲では、一般的な意味での大学卒業歴も確認されていません。
「Dr.韓鶴子」と呼ばれるのは博士課程を卒業したから?
海外の教団関連サイトを見ると「Dr. Hak Ja Han Moon」と表記されていることがあります。
これを見ると「大学院で博士号を取ったの?」と思うかもしれません。
しかし、通常の大学院博士課程を修了したという意味ではありません。
複数の名誉博士号を授与されている
韓氏に関係する団体のプロフィールでは、
- 1990年:Bloomfield College 名誉人文学博士
- 1995年:University of Bridgeport 名誉人文学博士
- 2002年:鮮文大学 名誉文学博士
など、複数の名誉博士号を受けたと紹介されています。
したがって、「Dr.」という呼称と、韓氏本人の通常の学校教育としての学歴は分けて見る必要があります。
韓鶴子はいつ旧統一教会に入った?
韓鶴子氏が文鮮明氏と初めて会ったのは、10代前半のころだったとされています。
教団側の記録では、韓氏の母親が1950年代半ばに文鮮明氏が率いる教団へ入信し、韓氏も母親とともに教会へ通うようになりました。
13歳ごろに文鮮明と初対面
教団資料によると、韓氏が文鮮明氏に初めて会ったのは1956年ごろ、13歳の時だったとされています。
世界平和統一家庭連合の前身にあたる「世界基督教統一神霊協会」は1954年に文氏によって設立されていました。
韓氏自身が後に文氏の妻となるのは、初対面から約4年後です。
韓鶴子と文鮮明は1960年に結婚!当時17歳
韓鶴子氏の人生を大きく変えたのが、1960年の文鮮明氏との結婚です。
当時、韓氏は17歳。
文鮮明氏は40歳で、2人には23歳の年齢差がありました。主要報道でも、韓氏が17歳で文氏と結婚した経歴が紹介されています。
17歳で看護学校から教団指導者の妻へ
1960年4月、韓氏は文鮮明氏と結婚しました。
教団ではこの結婚を特別な宗教的意味を持つ「聖婚」と位置づけ、文氏を「真のお父様」、韓氏を「真のお母様」と呼んできました。
これはあくまで世界平和統一家庭連合内部の教義に基づく呼称です。
韓氏は結婚を機に看護師を目指す進路から離れ、文氏とともに教団活動を行うようになりました。
韓鶴子と文鮮明の子供は14人
韓氏と文鮮明氏の間には、14人の子供が生まれたと教団資料や複数の報道で紹介されています。
文春オンラインは7男7女の計14人と報じています。
旧統一教会では文氏・韓氏夫妻を「真の父母」と位置づけ、その子供たちにも宗教上特別な位置づけを与えてきました。
一方、文氏の晩年から死後にかけては、一部の息子たちが教団から離れて独自の団体を作るなど、後継をめぐる対立も表面化しました。
韓鶴子の経歴!1990年代から表舞台へ
結婚後しばらくは文鮮明氏とともに行動する立場として知られていた韓氏ですが、1990年代になると本人名義で国際活動を行う機会が増えていきます。
特に大きかったのが女性団体の設立です。
1992年に世界平和女性連合を設立
1992年4月、韓氏は世界平和女性連合(Women's Federation for World Peace=WFWP)を設立しました。
WFWPの公式サイトでも、1992年に韓氏によって韓国・ソウルで設立されたと紹介されています。
その後は女性や家庭、平和をテーマに各国で講演。
UPFの公式プロフィールによると、1993年には米国、日本、韓国などを回る大規模な講演ツアーを行い、米議会周辺や国連でも講演しています。
2005年にはUPFを文鮮明と共同設立
2005年には、文鮮明氏とともにUniversal Peace Federation(UPF、天宙平和連合)を設立しました。
UPF自身も、2005年に文氏と韓氏が共同で設立した団体だと説明しています。
このころまでに韓氏は、単に「文鮮明氏の妻」という立場ではなく、教団系の国際組織を代表する人物として活動するようになっていました。
韓鶴子はいつから旧統一教会の総裁・トップになった?
「韓鶴子はいつから総裁なの?」という点は少し分かりにくい部分です。
文鮮明氏が存命中から韓氏は共同総裁・共同創設者のような立場で活動していました。
しかし、現在のように韓氏が単独で教団トップとして前面に立つ大きな転機は、2012年の文氏死去です。
2012年9月に文鮮明が死去
文鮮明氏は2012年9月3日、肺炎の合併症などにより92歳で死亡しました。
当初は息子たちも教団や関連組織で重要な地位にあり、誰が最終的に後継者になるのか注目されました。
当時のVOAは、文氏の死後、韓氏が教団の正式なトップになる見通しだと伝えています。
文鮮明死去後に韓鶴子が前面へ
2013年1月の韓国「週刊京郷」は、文氏死去後、息子たちではなく韓鶴子氏が教団の前面に立ち、内部組織の再編などを進めていると報じました。
現在、Reutersなどの国際報道も韓氏を「Unification Church leader(統一教会の指導者)」と表現しています。
したがって、
文鮮明氏存命中:共同指導者的な立場
2012年9月以降:文氏死去を受けて教団トップとして前面に
という流れで見ると分かりやすいでしょう。
旧統一教会は現在「世界平和統一家庭連合」
旧統一教会の正式名称についても確認しておきます。
一般に「統一教会」「旧統一教会」と呼ばれていますが、現在の正式名称は「世界平和統一家庭連合」です。
英語ではFamily Federation for World Peace and Unification(FFWPU)と表記されます。
Reutersも、韓氏が率いる団体について正式名称をFamily Federation for World Peace and Unificationと紹介しています。
日本では2015年に名称変更が認証され、以降「世界平和統一家庭連合」という名称が使われています。
韓鶴子はどんな人?教団内と外部からの見方は分けて見る必要
韓鶴子氏について調べると、「真のお母様」「Mother of Peace」といった表現が多く出てきます。
これらは主に教団や関連団体が用いている宗教的・広報的な呼称です。
UPFなどは、韓氏について女性・家族・国際平和活動に取り組んできた人物として紹介しています。
一方、外部報道では、旧統一教会を長年率いてきた宗教指導者として、教団の資金集めや政治との関係、組織運営をめぐる問題とともに取り上げられることが多くなっています。
2026年8月31日にはソウル中央地裁が、政治家への資金提供や金建希・元大統領夫人側への高級品提供などをめぐる事件で韓氏に懲役2年を言い渡しました。韓氏側は不正行為を指示していないと否定してきました。
そのため人物像を見る際には、
- 教団・関連団体が説明する宗教指導者としての経歴
- 第三者報道が伝える教団運営や社会的問題
- 裁判所が認定した事実
を分けて見る必要があります。
韓鶴子の経歴を時系列で見ると?
韓鶴子氏の主な経歴を年代順に見ると、現在の立場までの流れが分かりやすくなります。
1943年
現在の北朝鮮・平安南道安州付近で誕生。
1940年代後半~1950年代
母親、祖母と朝鮮半島南部へ移動。
朝鮮戦争の影響で複数の地域を移りながら成長したとされています。
1956年
ソウルの女子中学校へ進学。
同じころ、文鮮明氏と初めて会ったと教団資料に記録されています。
1959年
女子中学校を卒業し、聖ヨセフ看護学校へ入学。
1960年
17歳で40歳だった文鮮明氏と結婚。
看護学校の課程から離れ、教団活動へ入ります。
1992年
世界平和女性連合を設立し、国際的な講演活動を本格化。
2005年
文鮮明氏とUPFを共同設立。
2012年
文鮮明氏が死去。
韓氏が旧統一教会の指導者として前面に立つようになります。
2026年
83歳。
世界平和統一家庭連合の指導者を務める一方、8月31日には韓国のソウル中央地裁で政治資金・贈収賄関連の罪について懲役2年の一審判決を受けました。
韓鶴子の経歴・学歴まとめ
韓鶴子氏は1943年2月10日、現在の北朝鮮・平安南道安州付近で生まれました。
幼少期に母親や祖母と朝鮮半島南部へ移り、朝鮮戦争期には各地を転々としながら成長したとされています。
学歴について教団資料から確認できるのは、1956年から1959年までソウルの女子中学校へ通い、その後、聖ヨセフ看護学校へ進学したことです。
ただ、1960年に文鮮明氏と結婚したため看護学校は修了しておらず、一般的な大学卒業歴は確認されていません。
一方、後年には複数の大学から名誉博士号を授与されており、海外で「Dr. Hak Ja Han」と表記されるのは、こうした経歴による部分があります。
17歳で文鮮明氏と結婚した後は、14人の子供を育てながら教団活動に携わり、1992年には世界平和女性連合を設立。2005年には文氏とUPFを共同設立しました。
そして最大の転機となったのが2012年9月の文鮮明氏の死去です。
文氏の死後、韓氏が教団の前面に立つようになり、現在は世界平和統一家庭連合のトップとして活動しています。
「韓鶴子の経歴」を見ると、北朝鮮地域で生まれた少女が看護師を目指していた10代から、17歳で文鮮明氏と結婚し、約半世紀にわたり教団活動に関わった後、2012年以降は自らが組織の最高指導者として前面に立つまでの流れが見えてきます。

