
「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のギタリストとして活躍した三原綱木さんが、2026年9月11日に80歳で亡くなりました。
所属事務所の坂本エンターテインメントが9月15日に発表し、死因は腎臓がんだったことが明らかになっています。
三原綱木さんは2026年春ごろに腎臓がんが見つかり、かなり進行した状態で転移もあったと報じられています。3月に大阪でコンサートへ出演した後に体調を崩し、4月から東京都内の病院に入院していました。
グループサウンズを代表する名曲「ブルー・シャトウ」を生んだブルー・コメッツの一員である一方、後年は「三原綱木とザ・ニューブリード」を率い、NHK紅白歌合戦などで長年指揮・編曲を担当しました。
妻はタレントのケイ・アンナさん。夫婦には2男1女の3人の子供がいます。
三原綱木さんが80歳で死去|死因は腎臓がん
三原綱木さんが亡くなったのは2026年9月11日です。
所属事務所は9月15日、三原さんが病気療養中だったこととともに訃報を発表しました。ギタリスト、バンドマスター、指揮者として昭和から令和まで音楽界で活動してきた人物でした。
三原綱木さんは2026年9月11日午前9時2分に死去
坂本エンターテインメントの発表によると、三原綱木さんは2026年9月11日午前9時2分、腎臓がんのため亡くなりました。
年齢は80歳です。
日刊スポーツやスポーツ報知によると、亡くなった場所は東京都内の病院で、最期は家族に見守られていたとされています。
三原さんは1945年11月3日生まれだったため、81歳の誕生日を迎える約2か月前の死去となりました。
三原綱木さんの死因は腎臓がん
三原綱木さんの死因については、所属事務所が「腎臓癌」と正式に発表しています。
そのため、「三原綱木さんの死因は腎臓がんなのか」という点については、ネット上の推測ではなく所属事務所から公表された内容です。
がんの具体的な組織型や治療方法など、詳しい医療情報までは明らかにされていません。
三原綱木さんの腎臓がんはいつ判明?転移・入院までの経緯
三原綱木さんの病気については、訃報とともに闘病の経緯も報じられています。
2026年春ごろに腎臓がんが判明し、その時点ですでにかなり進行していたといいます。3月の仕事を最後に療養生活へ入りました。
2026年春ごろに腎臓がんが発覚
スポーツ報知が所属事務所への取材をもとに伝えたところでは、三原綱木さんの腎臓がんが分かったのは2026年春ごろでした。
発見された時点でがんはかなり進んでおり、転移も確認されていたと報じられています。
治療は行われましたが、その後も入院生活が続きました。
具体的にどの部位へ転移していたのかについては、公表されていません。
3月の大阪公演後に体調が悪化し4月から入院
日刊スポーツによると、三原綱木さんは2026年3月に大阪でライブへ出演した後、体調を崩しました。
その後、東京都内の病院へ入院し療養を続けていたとされています。スポーツ報知は入院時期を4月と伝えています。
そして9月11日、家族に見守られながら息を引き取りました。
三原綱木さんの最後の仕事は3月の大阪公演
三原綱木さんの最後の仕事は2026年3月に大阪で出演したコンサートだったと、所属事務所が明らかにしています。
前年の2025年10月には妻のケイ・アンナさんと『徹子の部屋』に出演。
80歳を目前にしながらもギターを弾き続け、「生涯現役」という思いを語っていました。
三原綱木さんの葬儀は家族葬|お別れの会も予定
三原綱木さんの葬儀については、本人の希望に沿って家族のみで行われました。
一方、長年応援してきたファンや音楽関係者が別れを告げる場については、後日設けられる予定です。
葬儀は故人の遺志で家族葬
坂本エンターテインメントによると、三原綱木さんの葬儀は故人の遺志によって家族葬で執り行われ、訃報が発表された9月15日の時点ですでに終えています。
詳しい葬儀の日程や会場などは公表されていません。
お別れの会は開催する方向
所属事務所は、後日「お別れの会」を企画すると発表しています。
日刊スポーツの取材でも、具体的な内容はまだ決まっていないものの、開催する方向で準備していることが伝えられました。
日時や場所については、今後の発表を待つことになります。
三原綱木さんのwiki風プロフィール|ギタリストとして10代から活動
三原綱木さんは、グループサウンズ全盛期を代表するギタリストの一人です。
10代でプロの世界へ入り、ブルー・コメッツ、郷ひろみさんのバックバンド、ニューブリードと、60年以上にわたり音楽の現場に立ち続けました。G・ステージの公式プロフィールには、高校時代にはすでにプロとして演奏していた経歴が記されています。
三原綱木さんのプロフィール
- 名前:三原綱木(みはら・つなき)
- 本名:三原綱木
- 生年月日:1945年11月3日
- 死亡日:2026年9月11日
- 年齢:80歳
- 職業:ギタリスト、歌手、作曲家、編曲家、バンドマスター
- 学歴:高千穂高校中退
- 主な所属:ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、三原綱木とザ・ニューブリード
- 妻:ケイ・アンナ
- 子供:2男1女
- 死因:腎臓がん
出身地については資料によって表記に差があり、メロディーレコーズやWEBザテレビジョンでは新潟県出身とされています。一方、今回の一部訃報では東京・三鷹市出身との記載もあります。公式プロフィールからは、三鷹第三小学校、三鷹第四中学校で育ったことが分かっています。
小学生からギターを学び高校時代にはプロへ
G・ステージの公式プロフィールによると、三原綱木さんは小学4年生からクラシックギターを習い、高校1年生からジャズギターを学びました。
高校ではジャズバンドに入り、すでにプロとして演奏するようになります。
大橋プロダクション所属の「ファイヤーボール」で約2年間活動した後、そのギター技術を評価され、1964年にブルー・コメッツへ加入しました。
三原綱木さんはジャッキー吉川とブルー・コメッツのギタリスト
三原綱木さんの名前を全国区にしたのが、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」です。
ジャッキー吉川さん、井上忠夫さん、小田啓義さん、高橋健二さん、三原綱木さんというメンバーで、1960年代のグループサウンズブームをけん引しました。
1964年にブルー・コメッツへ加入
三原綱木さんは1964年、先輩ギタリストの後任としてブルー・コメッツへ加わりました。
日本コロムビアによると、1966年に「青い瞳」でレコードデビュー。
翌1967年に発売された「ブルー・シャトウ」が大ヒットし、第9回日本レコード大賞を受賞しました。
三原さんの確かなギターテクニックは若い音楽ファンにも影響を与え、ブルー・コメッツ黄金期を支えるメンバーとなりました。
「ブルー・シャトウ」で日本レコード大賞
「ブルー・シャトウ」はブルー・コメッツの代名詞ともいえる楽曲です。
グループは「青い瞳」などのヒットを経て人気を拡大し、「ブルー・シャトウ」で日本レコード大賞を受賞。GSを代表する存在となりました。
NHK紅白歌合戦にも出演し、三原綱木さんは後年、今度は演奏者・指揮者として紅白の舞台を支える側に回ることになります。
三原綱木さんの経歴|郷ひろみからザ・ニューブリードまで
ブルー・コメッツを離れた後も、三原綱木さんの音楽人生は続きました。
デュオ活動、アイドルのバックバンド、ビッグバンドのバンドマスターと活動の形を変えながら、日本の歌謡界を演奏面から長く支えています。
田代みどりさんと「つなき&みどり」で活動
ブルー・コメッツを離れた後、三原綱木さんは歌手の田代みどりさんと「つなき&みどり」を結成しました。
1972年12月に発売した「愛の挽歌」は、オリコン週間ランキングで最高15位を記録しています。
ギタリストだけでなく歌手としても活動した時期でした。
1976年から郷ひろみさんのバックバンドを率いる
1976年からは、郷ひろみさんのバックバンドでリーダーを務めました。
G・ステージの公式プロフィールによると、この仕事は8年間続いています。
人気歌手を後方から支えるバンドリーダーとしての経験は、その後のビッグバンド活動にもつながっていきました。
1986年から「三原綱木とザ・ニューブリード」
1986年にはビッグバンド「ニューブリード」のバンドマスターとなり、後に「三原綱木とザ・ニューブリード」として活動しました。
『NHK歌謡コンサート』や『NHK紅白歌合戦』をはじめ、大規模な歌番組やステージで指揮・編曲を担当しています。
今回の訃報では、こうした指揮・編曲の仕事を32年間にわたって務めたとも紹介されています。
ギターを弾く表舞台のミュージシャンであると同時に、多くの歌手が安心して歌える演奏を作るバンドマスターでもありました。
三原綱木さんの妻はケイ・アンナ|結婚46年以上のおしどり夫婦
三原綱木さんの妻は、モデルやタレント、司会者などとして活躍したケイ・アンナさんです。
メロディーレコーズの公式プロフィールでも、三原綱木さんの配偶者としてケイ・アンナさんの名前が掲載されています。
三原綱木さんとケイ・アンナさんは1979年に結婚
ケイ・アンナさんの所属プロフィールによると、2人が結婚したのは1979年です。
2025年10月には結婚46年を迎え、夫婦そろってテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演しました。
番組では、三原さんが過去に経験した病気や、妻が支えてきた夫婦生活についても語られています。
訃報の約1年前まで、夫婦そろってテレビに出演していたことになります。
三原綱木さんの子供は2男1女|3人の父親だった
三原綱木さんとケイ・アンナさんの間には、3人の子供がいます。
ケイ・アンナさんの所属事務所J'SHAの公式プロフィールには、1979年の結婚後に「2男1女をもうけ」たと明記されています。
ケイ・アンナさんは第一子出産後に子育てへ
G・ステージのプロフィールによると、ケイ・アンナさんは1982年に第一子を出産し、その後は主婦業に専念しました。
テレビ朝日も2019年、ケイ・アンナさんについて、三原綱木さんと結婚して3人の子供をもうけ、子供たちが成長した後には孫もいると紹介しています。
子供たちの詳しい現在の生活については、一般人として過ごしている家族もいるため、公表されている情報には限りがあります。
三原綱木さんは過去に脳梗塞も|妻ケイ・アンナさんが支えた
三原綱木さんには、今回公表された腎臓がん以前にも複数の病気を経験した時期がありました。
2025年の『徹子の部屋』では、2023年に脳梗塞を発症したことなどを夫婦で明かしています。
2023年に脳梗塞で救急搬送
テレビ朝日によると、三原綱木さんは2023年に脳梗塞を起こし、夜中にトイレで倒れて救急搬送されました。
妻のケイ・アンナさんがすぐ対応し、その後は大きな後遺症を残さず、ギター演奏へ戻ることができたといいます。
それ以前には血栓による視力障害や、肺に水がたまる症状、糖尿病悪化による足の指の切断なども経験していました。
ただし、今回所属事務所から公表された直接の死因は腎臓がんです。
過去の脳梗塞や糖尿病が直接の死因だったという発表ではありません。
三原綱木さん死去|「ブルー・シャトウ」から紅白まで音楽界を支えた
三原綱木さんは2026年9月11日午前9時2分、腎臓がんのため80歳で亡くなりました。
2026年春ごろに腎臓がんが見つかった時にはすでに進行し、転移もあったと報じられています。3月の大阪公演が最後の仕事となり、4月から東京都内の病院で療養していました。
10代でプロギタリストとなり、1964年にジャッキー吉川とブルー・コメッツへ加入。「ブルー・シャトウ」の大ヒットと日本レコード大賞受賞を経験しました。
その後も郷ひろみさんのバックバンドや「三原綱木とザ・ニューブリード」で活動し、NHK紅白歌合戦などでは長年にわたり指揮・編曲を担当しています。
家庭では妻ケイ・アンナさんと1979年に結婚し、2男1女の父親となりました。
葬儀は本人の希望により家族葬ですでに執り行われています。所属事務所は今後、お別れの会を設ける予定としています。
「ブルー・シャトウ」のギターから歌手を支えるビッグバンドの指揮まで、三原綱木さんが残した音楽は、昭和・平成・令和をまたぐ長いキャリアそのものとなりました。

