
台湾出身の陽岱鋼さんは、北海道日本ハムファイターズや読売ジャイアンツで活躍したプロ野球選手です。俊足、強肩、長打力を兼ね備えた外野手として、盗塁王や4度のゴールデングラブ賞を獲得しました。
巨人退団後もアメリカやオーストラリアでプレーし、2024年からはオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属していました。その陽岱鋼さんが、2026年7月27日に同年シーズン限りで現役を引退すると正式に発表しました。
引退後はどうなるのでしょうか。ここでは、引退理由や今後の進路、台湾と日本から報じられている指導者転身の話、福岡第一高校から日本ハム、巨人、海外リーグ、オイシックスへと続いた経歴を紹介します。各球団での年別成績も確認していきましょう。
目次
陽岱鋼は2026年シーズン限りで引退!今後はどうなる?
陽岱鋼さんが引退するのは、発表日の2026年7月27日ではなく、同年シーズンの終了後です。球団は今後について「未定」としており、監督やコーチ、球団職員などへの就任はまだ正式発表されていません。
そのため、現時点で確定しているのは、2026年シーズン限りで選手生活を終えることまでです。引退後に日本で活動するのか、台湾へ戻るのかも決まっていません。
引退発表は2026年7月27日
オイシックス新潟は2026年7月27日、陽岱鋼さんが同年シーズン限りで現役を引退すると発表しました。
本人は球団を通じて、妻と3人の子供、ファン、指導者、チームメイト、スポンサーなどへの感謝をコメントしています。10代で台湾から日本へ渡ってから、21年間にわたってプロ野球選手としてプレーできたことも振り返りました。
また、日本ハムで2016年に日本一を経験したこと、巨人で5年間プレーしたこと、アメリカやオーストラリアへ挑戦したこと、オイシックスで3年間過ごしたことを大切な思い出として挙げています。
シーズンはまだ残っているため、発表後も選手として試合に出場する可能性があります。最後の出場試合や引退セレモニーの日程は、球団からの続報を確認する必要があります。
引退理由は年齢や体力面?公式には一つに限定されていない
球団の引退発表では、故障や成績不振など、引退理由を一つに限定した説明はありませんでした。
ただし、陽岱鋼さんは2026年3月の台湾メディアの取材で、20年以上にわたって野球を続けてきた疲労に触れ、40歳を超えてまで現役を続けるのは難しいという趣旨の発言をしています。現役生活の終わりと次の段階を以前から考えていたことが分かります。
1987年1月17日生まれの陽岱鋼さんは、引退発表時点で39歳でした。2026年は30試合に出場し、75打数15安打、打率.200、0本塁打、5打点を記録しています。
年齢や近年の成績は引退を考える背景の一つになったと受け取れますが、本人が「この理由だけで引退した」と説明したわけではありません。
ここで、オイシックス加入後の出場数や打撃成績がどのように変化したのかを確認してみます。
今回のデータは、NPB公式サイトに掲載された2024年、2025年、2026年のオイシックス個人打撃成績から、試合数、打席、打数、安打、本塁打、打点、打率、出塁率、長打率を抜き出して比較した実データ調査です。2024年と2025年はシーズン終了時の最終成績ですが、2026年は引退発表時点の途中成績であり、3年間を同じ試合消化条件で比較したものではありません。

2024年は72試合、215打席で打率.232でしたが、2025年は40試合、127打席で打率.196となりました。試合数は32試合、打席数は88打席減っています。
2026年は引退発表時点で30試合、86打席、打率.200です。シーズン途中のため、試合数を2024年や2025年の最終成績と単純に比べることはできませんが、近年は2024年より限られた出場機会の中でプレーしていたことが分かります。
出塁率は2024年の.353から2025年に.283、2026年途中時点で.302と推移しました。長打率は.298、.286、.200となっています。こうした数字は現役最終盤の状況を知る参考になりますが、グラフだけで引退理由を成績不振と断定することはできません。
引退後は指導者?台湾と日本の球団から打診
引退後の有力な選択肢として挙げられているのが、コーチなどの指導者への転身です。
台湾メディアは、台湾プロ野球の台鋼ホークスを率いる洪一中監督が、陽岱鋼さんに台湾で指導者を務めないかと声をかけたと報じています。陽岱鋼さん自身も、以前から日本の球団に指導者就任の意思を尋ねられたことがあると明かしました。
ただし、これは球団から関心を示された段階です。台鋼ホークスのコーチ就任や、日本の球団への入閣が決定したという発表ではありません。
陽岱鋼さんには、外野守備だけでなく、内野手から外野手へ転向した経験があります。日本ハムと巨人、北米独立リーグ、オーストラリア、NPBファーム・リーグでプレーしたため、若い選手へ伝えられる経験は多いでしょう。
今後の活動拠点は家族とも相談
陽岱鋼さんは2026年3月の取材で、今後の進路を考える際には妻と3人の子供の意見も尊重したいと話しています。
日本と台湾の両方に野球界とのつながりがあるため、今後の選択肢は指導者だけではありません。解説、野球教室、球団の育成部門、国際交流に関わる仕事などへ進むこともあり得ます。
一方で、球団が正式に発表している進路は「未定」です。本人や球団から新しい説明が出るまでは、指導者転身も複数ある選択肢の一つとして捉える必要があります。
8月1日に引退記者会見を予定
複数の報道によると、陽岱鋼さんは2026年8月1日に新潟市内で引退記者会見を行う予定です。
会見では、引退を決断した詳しい経緯や残りのシーズンへの思い、引退後の進路について本人から説明される可能性があります。
ただし、会見前の時点では今後の仕事は決まっていません。引退理由や指導者転身を先回りして断定せず、本人の説明を待つ必要があります。
陽岱鋼の経歴を日本ハムからオイシックスまで紹介
陽岱鋼さんの経歴は、日本ハムと巨人だけではありません。
巨人退団後も北米独立リーグやオーストラリアで現役を続け、2024年にはオイシックスへ加入しました。日本の一軍中継で見かける機会が減ったあとも、選手生活は続いていたのです。
台湾から福岡第一高校へ留学
陽岱鋼さんは1987年1月17日、台湾で生まれました。10代で日本へ渡り、福岡第一高校へ進学しています。
本人は引退発表のコメントで、高校時代に平松正宏さんから指導を受けたことが、プロ野球選手への道につながったと振り返りました。
2005年の高校生ドラフトで北海道日本ハムファイターズから1巡目指名を受け、2006年に入団。当初は「陽仲壽」の登録名で、内野手としてプロ生活を始めました。
日本ハムで内野手から外野手へ転向
プロ入り当初は遊撃手を中心とした内野手でしたが、一軍で出場機会を増やす過程で外野手へ転向しました。
2010年に109試合へ出場すると、2011年は141試合、2012年と2013年は全144試合に出場。俊足と広い守備範囲、強肩を生かし、日本ハムの主力外野手へ成長しました。
2013年には47盗塁を記録してパ・リーグ盗塁王を獲得。2014年には打率.293、25本塁打、85打点、20盗塁を残し、長打力と走力を兼ね備えた外野手として存在感を示しました。
ゴールデングラブ賞は2012年、2013年、2014年、2016年の計4回受賞しています。
2016年に日本一を経験して巨人へFA移籍
2016年は130試合に出場し、打率.293、14本塁打、61打点を記録。日本ハムの日本一にも貢献しました。
シーズン終了後に国内FA権を行使し、2016年12月19日に読売ジャイアンツとの契約締結が公示されています。
巨人1年目の2017年は87試合に出場し、打率.264、9本塁打、33打点。2018年には10本塁打を記録し、2019年も110試合に出場しました。
一方、2020年は38試合、2021年は7試合と一軍出場が減少しました。2021年が、陽岱鋼さんにとってNPB12球団の一軍公式戦に出場した最後のシーズンです。
巨人退団後はアメリカとオーストラリアへ挑戦
巨人を退団したあとも、陽岱鋼さんは現役を引退しませんでした。
2022年は北米独立リーグのレイクカントリー・ドックハウンズで79試合に出場し、打率.260、9本塁打、35打点を記録。その後はオーストラリアのブリスベン・バンディッツで31試合に出場し、打率.279、4本塁打、13打点を残しました。
2023年は北米独立リーグのハイポイント・ロッカーズでプレーし、97試合で打率.271、10本塁打、58打点を記録しています。球団の公式プロフィールでも、2022年のレイクカントリー、2023年のハイポイントを経てオイシックスへ加入した経歴が掲載されています。
日本の一軍公式戦で見かけなくなったことで、すでに引退したと思っていた人もいるかもしれません。しかし、実際には海外へ活動の場を移し、まとまった試合数に出場していました。
2024年にオイシックスで日本球界復帰
2024年、陽岱鋼さんはオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブへ加入しました。球団は2023年12月に契約合意を発表しています。
オイシックスは2024年からNPBのファーム公式戦へ参加しています。NPB12球団の一軍とは立場が異なりますが、陽岱鋼さんにとっては3年ぶりに日本の球界でプレーする機会となりました。
2024年は72試合に出場して打率.232、1本塁打、13打点を記録。2025年も40試合に出場し、2026年にオイシックスでの3シーズン目を迎えました。
陽岱鋼のNPB各球団での年別成績
陽岱鋼さんは、日本ハムで2007年から2016年まで、巨人で2017年から2021年まで一軍公式戦に出場しました。
年度別の表へ進む前に、15年間の出場数、本塁打、盗塁がどのように変化したのかをグラフで確認します。
今回のデータは、NPB公式サイトの個人年度別成績から、2007年から2021年までの一軍公式戦における試合数、本塁打、盗塁、打率、出塁率、長打率を年度ごとに抜き出した実データ調査です。OPSは各年度の出塁率と長打率を合計して算出しています。二軍成績や海外リーグ、オイシックス時代の成績は含めていません。

試合数を見ると、2007年から2009年までは55試合、44試合、15試合でしたが、2010年に109試合へ増加しました。2011年は141試合、2012年と2013年は144試合に出場しており、この時期に一軍の主力として定着したことが数字にも表れています。
本塁打と盗塁の推移を重ねると、2013年は18本塁打と47盗塁、2014年は25本塁打と20盗塁でした。盗塁数のピークを迎えた翌年に本塁打数が自己最多となっており、走力だけでなく長打力も高めた過程が分かります。
2016年は130試合に出場しましたが、巨人移籍後は2017年と2018年が87試合、2019年が110試合でした。その後は2020年の38試合、2021年の7試合と一軍出場が減っています。
以下はNPB公式サイトに掲載されている年度別打撃成績のうち、試合数、安打、本塁打、打点、盗塁、打率をまとめたものです。
| 年 | 球団 | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | 日本ハム | 55 | 26 | 0 | 10 | 3 | .239 |
| 2008 | 日本ハム | 44 | 16 | 2 | 4 | 1 | .144 |
| 2009 | 日本ハム | 15 | 2 | 0 | 0 | 0 | .182 |
| 2010 | 日本ハム | 109 | 62 | 2 | 31 | 8 | .245 |
| 2011 | 日本ハム | 141 | 147 | 6 | 36 | 19 | .274 |
| 2012 | 日本ハム | 144 | 153 | 7 | 55 | 17 | .287 |
| 2013 | 日本ハム | 144 | 162 | 18 | 67 | 47 | .282 |
| 2014 | 日本ハム | 125 | 138 | 25 | 85 | 20 | .293 |
| 2015 | 日本ハム | 86 | 91 | 7 | 36 | 14 | .259 |
| 2016 | 日本ハム | 130 | 145 | 14 | 61 | 5 | .293 |
| 2017 | 巨人 | 87 | 87 | 9 | 33 | 4 | .264 |
| 2018 | 巨人 | 87 | 62 | 10 | 37 | 2 | .245 |
| 2019 | 巨人 | 110 | 57 | 4 | 21 | 0 | .274 |
| 2020 | 巨人 | 38 | 15 | 1 | 6 | 1 | .238 |
| 2021 | 巨人 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | .143 |
| NPB通算 | 1,322 | 1,164 | 105 | 482 | 141 | .270 |
日本ハムでの通算成績は993試合、942安打、81本塁打、385打点、134盗塁です。巨人では329試合、222安打、24本塁打、97打点、7盗塁を記録しました。NPB公式の年度別記録を球団ごとに合計した数値です。
数字を比較すると、出場試合や安打、本塁打、盗塁の多くは日本ハム時代に積み上げています。特に2011年から2014年にかけては、試合出場、打撃、走塁のいずれでもチームの中心を担っていました。
全盛期は2013年から2014年
走塁面で最も目立ったのは、47盗塁でタイトルを獲得した2013年です。
この年は144試合に出場し、162安打、18本塁打、67打点を記録しました。出塁後の盗塁だけでなく、打者として長打も期待できる外野手だったことが分かります。
打撃成績の自己最高シーズンは2014年です。打率.293、25本塁打、85打点はいずれも主力打者として高い数字で、本塁打と打点はNPBでの自己最多となりました。
全盛期を一つの年だけで決めるのは難しいものの、走塁の2013年、打撃の2014年を中心とした時期が、陽岱鋼さんの代表的な活躍期間といえます。
個別のピークは2013年と2014年ですが、レギュラーとして安定して活躍した期間を広く捉えると、2011年から2016年までの6シーズンも重要です。
今回のデータは、NPB公式の年度別成績をもとに、キャリアを「定着前の2007~2010年」「全盛期の2011~2016年」「巨人前半の2017~2019年」「出場減少期の2020~2021年」の4期間へ独自に分類した実データ分析です。各期間の打率は年度別打率の単純平均ではなく、期間内の総安打数を総打数で割って算出しています。1年平均試合数、本塁打、打点、盗塁は期間内の通算数をシーズン数で割りました。この4区分は球団や本人が公式に定めた分類ではありません。

定着前の2007年から2010年は、1シーズン平均55.8試合、期間打率.219、平均1.0本塁打、3.0盗塁でした。
一方、2011年から2016年は平均128.3試合へ大きく増え、期間打率.282、平均12.8本塁打、56.7打点、20.3盗塁を記録しています。2013年や2014年だけではなく、6年間を通して高い出場数を維持したことが、主力としての全盛期を裏付けています。
巨人前半の2017年から2019年は平均94.7試合、期間打率.260、平均7.7本塁打、30.3打点でした。日本ハムの主力時代より盗塁数は減りましたが、打率は3年間の合計で.260を維持しています。
2020年から2021年は平均22.5試合となり、出場機会が大きく減りました。ただし、この区分は一軍公式戦だけを対象にしており、2021年には二軍で56試合に出場しています。
NPB通算100本塁打・100盗塁を達成
陽岱鋼さんのNPB通算成績は、1,322試合、1,164安打、105本塁打、482打点、141盗塁、打率.270です。
通算100本塁打と100盗塁の両方を達成しており、長打力と走力を兼ね備えていたことが数字に表れています。
さらに、外野手として4度のゴールデングラブ賞を受賞しました。打撃や走塁だけではなく、広い守備範囲と送球も評価された選手です。
通算成績だけでは、100本塁打と100盗塁をいつ達成したのかが分かりにくいため、年度別の数字を累積して確認しました。
今回のデータは、NPB公式の2007年から2021年までの年度別本塁打数と盗塁数を、各年の終了時点まで順番に加算した実データ調査です。二軍、海外リーグ、オイシックスでの数字は含まず、NPB一軍公式戦のみを対象としています。

盗塁は2013年終了時点で通算95個に達していました。2014年に20盗塁を加え、同年終了時点で115個となったため、この年に通算100盗塁を突破しています。
本塁打は日本ハム最終年の2016年終了時点で通算81本でした。巨人1年目の2017年に9本を加えて90本とし、2018年に10本を記録したことで、同年終了時点でちょうど通算100本塁打へ到達しました。
最終的には2020年までに105本塁打、141盗塁を記録し、2021年はどちらの数字も変わらずNPBでの一軍生活を終えています。
盗塁で先に100の大台を超え、その4年後に本塁打でも100へ到達した流れからは、俊足を武器に一軍へ定着し、その後に長打力も高めていったキャリアが見えてきます。
巨人退団後から引退までの年別成績
巨人退団後は、北米独立リーグ、オーストラリア、オイシックスで現役を続けました。
リーグごとに試合数やレベル、シーズンの仕組みが異なるため、NPB時代の数字と単純には比較できません。それでも、2021年の巨人退団後も毎年プレーしていたことが確認できます。球団の引退発表でも、2022年のアメリカとオーストラリア、2023年のハイポイント、2024年以降のオイシックスでの経歴が紹介されています。
| 年・シーズン | 所属球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2022年 | レイクカントリー・ドックハウンズ | 79 | .260 | 9 | 35 |
| 2022-23年 | ブリスベン・バンディッツ | 31 | .279 | 4 | 13 |
| 2023年 | ハイポイント・ロッカーズ | 97 | .271 | 10 | 58 |
| 2024年 | オイシックス新潟 | 72 | .232 | 1 | 13 |
| 2025年 | オイシックス新潟 | 40 | .196 | 2 | 4 |
| 2026年 | オイシックス新潟 | 30 | .200 | 0 | 5 |
※2026年は2026年7月27日の引退発表時点に確認できる成績です。シーズン終了までに試合数や成績が変わる可能性があります。オイシックスでの成績はNPB公式記録をもとにしています。
海外挑戦では2年連続で9本以上の本塁打
2022年のレイクカントリーでは9本塁打、2023年のハイポイントでは10本塁打を記録しました。
特に2023年は打率.271、10本塁打、58打点を残しており、30代後半になっても北米独立リーグで主力として出場しています。
NPB12球団を離れたあとにアメリカやオーストラリアへ渡り、環境の異なるリーグでプレーを続けたことも、陽岱鋼さんの経歴を語るうえで欠かせません。引退発表のコメントでも、日本以外でプレーした経験を忘れられない思い出として挙げています。
オイシックスでは3年間プレー
陽岱鋼さんは2024年から2026年まで、オイシックスで3年間プレーしました。
加入1年目の2024年は72試合に出場し、打率.232、出塁率.353を記録しています。2025年は出場数が40試合に減り、2026年は引退発表時点で30試合の出場でした。
全盛期と同じ成績ではありませんが、39歳まで公式戦のグラウンドに立ち続けました。巨人退団後にすぐユニホームを脱ぐのではなく、海外挑戦と日本球界復帰を経て、自分で現役生活の区切りを決めたことになります。
陽岱鋼の引退・今後・経歴・成績まとめ
- 陽岱鋼さんは2026年7月27日に現役引退を発表した
- 引退する時期は2026年シーズン終了後
- 引退発表時点の所属はオイシックス新潟
- 引退後の正式な進路は未定
- 台湾と日本の球団から指導者転身の意思を尋ねられたと報じられている
- 2026年8月1日に新潟市内で引退会見を行う予定
- 福岡第一高校から高校生ドラフト1巡目で日本ハムへ入団した
- 2013年に47盗塁でパ・リーグ盗塁王を獲得した
- 2014年に自己最多の25本塁打、85打点を記録した
- ゴールデングラブ賞を計4回受賞している
- NPB通算成績は1,322試合、1,164安打、105本塁打、141盗塁、打率.270
- 巨人退団後もアメリカ、オーストラリア、オイシックスで現役を続けた
陽岱鋼さんは2026年シーズンを最後に、21年間のプロ野球選手生活を終えます。引退後の進路はまだ決まっていませんが、日本と台湾の両方から指導者として期待されていることが報じられています。
日本ハム時代の華やかな活躍だけでなく、巨人退団後も海外へ渡り、39歳まで現役を続けた挑戦も陽岱鋼さんの大切な経歴です。次はどのような立場で野球に関わっていくのか、引退会見やシーズン終了後の発表が注目されます。

