柿谷曜一朗の経歴・成績は?嫁・丸高愛実や家族構成も解説
柿谷曜一朗の経歴・成績は?嫁・丸高愛実や家族構成も解説

元サッカー日本代表の柿谷曜一朗さんは、卓越したトラップや得点感覚から「ジーニアス」「天才」と呼ばれた選手です。4歳からセレッソ大阪の育成組織でプレーし、16歳でプロ契約。徳島ヴォルティスへの移籍を転機に日本代表まで上り詰め、2014年のブラジルワールドカップにも出場しました。Jリーグ通算成績は473試合82得点です。

一方、柿谷曜一朗さんについては、サッカーの経歴や成績だけでなく「嫁は誰?」「妻との馴れ初めは?」「家族構成は?」「父親は医者?」「高校や大学はどこ?」「現在は何をしている?」といったプライベートや引退後の活動も気になるところです。妻はタレントの丸高愛実さんで、現在は2女1男の3人の子供がいます。

この記事では、柿谷曜一朗さんの嫁・丸高愛実さんや家族構成から、若い頃、学歴、セレッソ大阪・徳島・バーゼル・名古屋での経歴、日本代表やワールドカップでの成績、引退理由、引退試合、2026年現在の活動まで詳しく紹介します。

柿谷曜一朗の嫁は丸高愛実!馴れ初めや家族構成を解説

柿谷曜一朗さんの現在の家族構成は、妻の丸高愛実さんと3人の子供を合わせた5人家族です。

また、柿谷さん自身が育った家族については、父親・母親と姉が1人いることが確認できます。名古屋グランパス時代の公式プロフィールでは、兄弟構成を「2人(姉・自分)」と回答していました。

嫁・奥さんはタレントの丸高愛実

柿谷曜一朗さんの嫁、つまり妻は丸高愛実(まるたか・まなみ)さんです。

丸高愛実さんは1990年6月12日生まれ、東京都出身。2026年10月現在は36歳で、柿谷さんと同じ1990年生まれです。

エイベックスと週刊プレイボーイによる「TOP OF グラビア」でグランプリを獲得してデビューし、『ロンドンハーツ』などのバラエティ番組をきっかけに知名度を高めました。女優としてドラマや映画にも出演しており、現在も子育てや料理、ライフスタイルに関する発信を続けています。エイベックスの公式プロフィールでも「3児の母」と紹介されています。

柿谷さんと丸高さんが結婚したのは2016年12月8日です。当時所属していたセレッソ大阪からも正式に入籍が発表されています。

柿谷曜一朗と丸高愛実の馴れ初めは?

2人の馴れ初めについて、2026年2月のテレビ出演で詳しい経緯が明かされました。

きっかけは共通の友人です。丸高さんが大阪によく行くという話から食事をするようになり、柿谷さんは一目ぼれだったと話しています。

さらに交際を始めたタイミングは、柿谷さんが2014年にFCバーゼルへ移籍する直前だったそうです。柿谷さんによると、スイスへ向かう約4時間前に交際が始まったという印象的なエピソードも明かされています。

結婚発表時、柿谷さんは約2年半の交際期間について、スイスで苦しかった時期やセレッソ大阪復帰後にけがをした時にも丸高さんが支えてくれたとコメントしています。単に有名サッカー選手とタレントが結婚したというだけではなく、海外挑戦を含むキャリアの浮き沈みを一緒に経験してきた夫婦だったことが分かります。

子供は3人!長女・次女・長男の2女1男

柿谷曜一朗さんと丸高愛実さんには3人の子供がいます。

第1子は2018年11月20日に誕生した長女です。午前8時8分に生まれており、セレッソ大阪で柿谷さんが背負った象徴的な背番号「8」と重なったことでも話題になりました。

第2子となる次女は2021年6月28日に誕生しています。当時所属していた名古屋グランパスも誕生を公式に発表しました。

さらに2024年8月21日には第3子となる長男が誕生し、家族は5人になりました。現在は長女・次女・長男の2女1男です。

名古屋時代の公式プロフィールでは、休日の過ごし方を「娘と遊ぶ」、リラックスする瞬間を「子供の笑顔」と答えていました。ピッチ上で見せる自由奔放なイメージとは違い、家庭では父親として子供との時間を大切にしている一面も見えてきます。

父親は医者?母親や姉についても確認

柿谷曜一朗さんについては「父親は医者なのではないか」という情報も見かけます。

ただし、父親が医師だと確認できる本人発言やクラブ公式プロフィールなどの確かな情報は確認できません。そのため「柿谷曜一朗の父親=医者」と断定することはできません。

父親について本人が明かしているのは、アメリカンフットボールやバスケットボールを経験していたことです。母親は陸上競技の経験があり、柿谷さんは自身の運動能力について、両親から多少なりとも引き継いだものがあるかもしれないと語っています。幼少期には両親が水泳や野球など、さまざまなスポーツを経験できる機会を作ってくれたそうです。

名古屋グランパスのプロフィールでは「尊敬する人」に父・母を挙げており、姉が1人いることも本人回答として確認できます。

実家については大阪府出身で、都島区との縁が深いことは確認できますが、実家や現在の自宅の詳しい場所までは公表されていません。家族構成については、公開情報から見ると「両親・姉・本人」という家庭で育ち、現在は妻と3人の子供を持つ父親になったということになります。

柿谷曜一朗の経歴と成績!天才と呼ばれたサッカー人生

柿谷曜一朗さんの経歴は、セレッソ大阪の育成組織から始まり、徳島ヴォルティス、FCバーゼル、名古屋グランパスを経て、最後は再び徳島ヴォルティスでプレーするという流れです。

日本代表では18試合5得点。2014年のブラジルワールドカップにも出場しました。

まずは基本プロフィールを確認しておきましょう。

項目内容
名前柿谷曜一朗(かきたに よういちろう)
生年月日1990年1月3日
年齢36歳(2026年10月現在)
出身地大阪府
身長・体重176〜177cm・68kg
血液型B型
利き足右
主なポジションFW・攻撃的MF
妻丸高愛実
日本代表18試合5得点
W杯2014年ブラジル大会
現在元プロサッカー選手・起業家

身長については、徳島ヴォルティスの最終プロフィールでは176cm、現在マネジメントを担当するBALANCE FOOTBALLでは177cmと表記されています。時期や公式媒体によって1cmの違いがあります。

若い頃から「天才」!4歳でセレッソ大阪へ

柿谷曜一朗さんは4歳からセレッソ大阪の育成組織でサッカーを始めました。

セレッソ大阪U-12、U-15、U-18と昇格し、中学生の頃にはすでに高校生年代の選手に交じってプレーするほど高く評価されていました。

2006年、16歳の誕生日を迎えた高校1年生の時にセレッソ大阪とプロ契約。早い時期から年代別日本代表にも選ばれ、2006年のAFC U-17選手権ではMVPを獲得しています。セレッソ大阪の引退試合特設ページでも、AFC U-17選手権MVPやAFC優秀ユース選手など、若い頃から数多くの個人タイトルを獲得した経歴が紹介されています。

巧みなボールコントロールやトラップ、相手の予想を外すプレーから「ジーニアス」と呼ばれたのも納得できる経歴です。

遅刻を繰り返した若手時代と徳島移籍

一方、若い頃の柿谷さんには「天才」とは別に「問題児」「素行」というイメージもありました。

母校の追手門学院大手前中・高等学校が公開した校長ブログによると、若くしてプロになった一方で生活面には未熟さがあり、練習への遅刻を繰り返して徳島ヴォルティスへの移籍を経験したと紹介されています。本人も引退会見で、若い頃の自分を「問題児」と振り返りました。

2009年6月から徳島ヴォルティスへ期限付き移籍し、2011年までJ2でプレー。徳島では2009年に27試合4得点、2010年に34試合4得点、2011年に36試合6得点を記録しました。

若くして順調にスター街道を進んだだけではなく、一度セレッソを離れて出場経験を積んだことが、その後の復活につながる大きな転機になっています。

2013年は34試合21得点!全盛期を迎える

2012年にセレッソ大阪へ戻ると、柿谷さんの得点力が一気に開花します。

2012年はJ1リーグ30試合11得点。続く2013年は34試合21得点を記録し、キャリアハイとなるシーズンを送りました。

2013年にはJリーグベストイレブン、フェアプレー個人賞、最優秀ゴール賞を受賞。日本代表として出場した東アジアカップでも得点王に輝きました。

「柿谷曜一朗の全盛期」と聞いて2013年を思い浮かべるサッカーファンが多いのは、この21得点という成績と、日本代表への定着が同時に起きたシーズンだったからでしょう。

日本代表では18試合5得点!背番号11でW杯出場

柿谷曜一朗さんは2013年に日本代表へ入り、2014年までに国際Aマッチ18試合5得点を記録しました。

2013年の東アジアカップでは3得点を挙げて得点王となり、日本の大会初優勝にも貢献。その勢いのまま2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会メンバーに選ばれました。

ワールドカップでの日本代表背番号は11番です。

本大会ではコートジボワール戦とコロンビア戦に途中出場し、世界最高峰の舞台を経験しました。代表通算5得点という数字だけでなく、セレッソ大阪のアカデミーから育った選手が日本代表の11番を背負ってW杯に出場したことも、柿谷さんの経歴を語るうえで大きな実績です。

海外移籍でFCバーゼルへ

ワールドカップ後の2014年夏、柿谷さんはスイスのFCバーゼルへ完全移籍しました。

スイス・スーパーリーグでは通算18試合4得点、スイス・カップでは8試合4得点を記録。さらにUEFAチャンピオンズリーグにも3試合出場しています。

バーゼルでは日本時代ほど安定して出場時間を確保できませんでしたが、日本代表として最も注目された時期に海外へ挑戦したことは、キャリアの重要な節目です。

2016年にはセレッソ大阪へ復帰。2017年にはJリーグカップと天皇杯の2冠、2018年にはFUJI XEROX SUPER CUPを獲得しています。

セレッソから名古屋、最後は徳島へ

2021年には長く所属したセレッソ大阪を離れ、名古屋グランパスへ移籍しました。

名古屋1年目の2021年はJ1リーグ36試合5得点。古巣セレッソ大阪戦で決めたバイシクルシュートは、その年のJリーグ最優秀ゴール賞に選ばれています。

2023年には徳島ヴォルティスへ完全移籍。若手時代に大きな転機を迎えたクラブへ戻り、2023年はJ2で37試合7得点を記録しました。

2024年は29試合に出場し、このシーズンがプロサッカー選手として最後の年になりました。

柿谷曜一朗の通算成績・ゴール数

柿谷曜一朗さんの成績は、Jリーグだけでなく海外リーグやACL、日本代表まで幅広いものです。

主要大会の通算成績を見ると、19年間のキャリアの長さが分かります。

大会出場得点
Jリーグ473試合82得点
Jリーグカップ42試合13得点
天皇杯20試合1得点
AFCチャンピオンズリーグ18試合7得点
スイス・スーパーリーグ18試合4得点
スイス・カップ8試合4得点
UEFAチャンピオンズリーグ3試合0得点
日本代表18試合5得点

Jリーグ473試合の内訳は、J1が238試合52得点、J2が234試合30得点、J3が1試合0得点です。

得点数だけを見ると、毎年20得点を続けたタイプのストライカーではありません。しかし2013年の21得点や代表での活躍、海外移籍、タイトル獲得、キャリア後半のプレーメーカーとしての役割まで含めると、数字だけでは表し切れないプレースタイルを持った選手でした。

柿谷曜一朗の年俸や年俸推移は?

柿谷曜一朗さんについては「年俸」「年俸推移」「現在の年収」も関心を集めています。

ただし、クラブが公開している公式プロフィールや出場記録では、シーズンごとの契約年俸は公表されていません。

ネット上にはセレッソ大阪時代、バーゼル時代、名古屋グランパス時代などの推定年俸が掲載されていますが、クラブや本人が公表した確定額とは区別する必要があります。そのため、具体的な金額を確定情報として扱うことはできません。

柿谷曜一朗の学歴は?中学・高校や大学を確認

柿谷曜一朗さんは学校のサッカー部からプロを目指した選手ではなく、幼少期からセレッソ大阪のアカデミーで育った選手です。

学歴については、中学・高校時代とプロ入りの時期が重なっています。

出身中学・高校は追手門学院大手前

追手門学院大手前中・高等学校の公式ブログでは、柿谷曜一朗さんを同校の56期生として紹介しています。

本人が中学1年生の頃から年代別日本代表に選ばれており、当時の校長は中学2年、中学3年、高校1年の3年間にわたって担任を務めていたと明かしています。

高校1年生の3学期に16歳の誕生日を迎え、セレッソ大阪とプロ契約。そのタイミングで追手門学院大手前高校を離れたことも学校側が説明しています。

そのため「追手門学院大手前高校に在籍していた」ことは公式情報で確認できますが、同校で高校3年間を過ごして卒業したという意味ではありません。

大学には進学した?

柿谷曜一朗さんについては「大学」「明治大学」といった情報も見かけますが、本人や所属クラブの公式経歴で大学進学を確認できる情報はありません。

16歳ですでにプロ選手として活動しており、その後もセレッソ大阪や徳島ヴォルティスでプレーしています。

少なくとも、今回確認した公式プロフィールから「明治大学出身」と断定できる根拠はありません。学歴を見る場合は、大学名よりも高校在学中にプロ契約を結び、非常に早い段階でプロサッカーの世界へ進んだ点が大きな特徴です。

学生時代から年代別日本代表で活躍

柿谷さんは中学1年生の頃から年代別日本代表に呼ばれており、代表遠征で教室を空けることも少なくありませんでした。

母校の元担任によると、遠征から学校へ戻ると多くの友人に囲まれていた一方、いわゆる「優等生」タイプではなかったとも振り返られています。

若い頃の天才的なサッカーセンスと、プロ入り後に表面化した遅刻などの未熟さは切り離して考えるより、16歳という早さでプロの世界へ飛び込んだ経歴と一緒に見ると、後の徳島移籍や復活までの流れが分かりやすくなります。

柿谷曜一朗はなぜ引退?引退試合と2026年現在の活動

柿谷曜一朗さんは2024シーズン終了後に徳島ヴォルティスとの契約が満了し、2025年1月18日に現役引退を正式発表しました。

プロ生活は19年間。35歳でスパイクを脱いでいます。

引退理由はけがだけではなかった

柿谷さんの引退理由は、一つだけではありません。

引退会見では、キャリア後半にアキレス腱の痛みを抱えていたことに加え、数年前から「新しいステージ、新しい挑戦」をしたいという気持ちがあったことを明かしました。

他のJクラブから複数のオファーもあったものの、中途半端な気持ちでプレーを続けるのは違うと判断し、引退を決断したと説明しています。

つまり、契約先が見つからなかったことだけが理由ではなく、体の状態と今後の人生を考えたうえで本人が選んだ引退でした。

引退試合は大阪ダービー!豪華メンバーが集結

柿谷曜一朗さんの引退試合は2025年12月14日、ヨドコウ桜スタジアムで開催されました。

試合名は「YANMAR presents THE LEGEND DERBY YOICHIRO KAKITANI -LAST MAGIC-」。

セレッソ大阪OBを中心とする「OSAKA PINK」と、ガンバ大阪に縁のある選手を中心とする「OSAKA BLUE」が対戦する大阪ダービー形式でした。

出場メンバーには、香川真司さん、乾貴士さん、清武弘嗣さん、森島寛晃さん、大久保嘉人さん、山口蛍さん、遠藤保仁さん、本田圭佑さん、家長昭博さん、宇佐美貴史さんらが名を連ねています。試合はABEMAで無料生中継されました。

結果はOSAKA PINKが4対3で勝利。主役の柿谷さんは決勝点を含む2得点を挙げました。単なるセレモニーではなく、柿谷さん自身が希望した「真剣勝負」に近い引退試合になっています。

引退試合開催を発表した際、柿谷さんは「最後までついて来てくれた家族のために、もう一度サッカーをしている姿を見せたい」という思いも明かしていました。サッカーの経歴と家族の話が最後の大舞台でつながっている点も印象的です。

2026年現在は何してる?事務所や解説の仕事も

2026年現在、柿谷曜一朗さんは現役のJリーガーではありません。

BALANCE FOOTBALLのマネジメント選手ページでは、現在の肩書きを「元プロサッカー選手・起業家」としています。同社がスケジュール管理やメディア、スポンサー関連などのマネジメントを行っています。

引退会見では当初「サッカー系文化人として幅広く活動したい」と話しており、その言葉どおり、テレビ出演、サッカー解説、イベント、育成年代への活動など仕事の幅を広げました。

2026年にはテレビ東京『FOOT×BRAIN+』へアナリストとして出演したほか、JFAによるサッカー教室や、ワールドカップに向けた動画企画『柿谷・八木沙季の「キックオフまで待てない!」』でもパーソナリティを務めています。

セレッソ大阪のホームゲームにもOBとして来場し、トークイベントや試合解説を担当するなど、引退後も古巣とのつながりを続けています。

テックボールにも挑戦

柿谷さんは2025年に日本テックボール協会のプレイングアンバサダーに就任しました。

テックボールは湾曲した専用テーブルを使い、サッカーのように足や頭などでボールを扱う競技です。柿谷さんはPR役だけではなく実際に競技へ参加し、2025年の関東リーグ入替戦では1位となって2026シーズンの1部昇格を決めました。

2026年の関東リーグにも出場しましたが、ワールドカップ関連のメディア出演などとの日程調整がつかず入替戦を辞退しています。

現役引退後もボールを蹴ることから完全に離れたわけではなく、メディア、イベント、サッカー普及活動、新しい競技への挑戦と、複数の形でスポーツに関わっているのが現在の姿です。

性格は?若い頃の「問題児」から家族を持つ父親へ

柿谷曜一朗さんの性格については、若い頃の遅刻エピソードから「自由奔放」「問題児」というイメージを持つ人もいます。

実際、本人自身が引退会見で「若い時は問題児だった」と振り返っています。一方、35歳まで19年間プロを続け、日本代表、海外移籍、複数クラブでのタイトル獲得まで経験したキャリアを見ると、若い頃の一面だけで人物像を決めることはできません。

名古屋時代には尊敬する人として両親を挙げ、好きな食べ物を「妻が作ってくれるもの」、休日を「娘と遊ぶ」と回答していました。さらに引退試合では、家族にもう一度プレーする姿を見せたいという思いを語っています。

16歳で「天才」と呼ばれてプロ入りした少年が、徳島への移籍や海外挑戦、結婚、3人の子供の誕生を経験し、家族への感謝を口にして現役生活を終えたという流れまで見ると、柿谷曜一朗さんの経歴は得点数だけでは語り切れないものがあります。

柿谷曜一朗の経歴・成績・妻・家族構成まとめ

  • 柿谷曜一朗さんは1990年1月3日生まれ、大阪府出身の元サッカー日本代表
  • 4歳からセレッソ大阪で育ち、16歳でトップチームとプロ契約した
  • 若い頃は「天才」「ジーニアス」と呼ばれた一方、遅刻などを経験し徳島移籍が転機になった
  • 2013年にはJ1で34試合21得点を記録し、日本代表でも東アジアカップ得点王になった
  • 日本代表通算成績は18試合5得点で、2014年ブラジルW杯では背番号11を着けて出場した
  • FCバーゼル、セレッソ大阪、名古屋グランパス、徳島ヴォルティスでプレーし、Jリーグ通算473試合82得点
  • 嫁・妻はタレントの丸高愛実さんで、共通の友人を通じて知り合い2016年12月8日に結婚した
  • 子供は長女・次女・長男の3人で、現在は夫婦を含めた5人家族
  • 柿谷さん自身には姉が1人おり、父親はアメフトやバスケ、母親は陸上の経験者。父親が医者という確かな情報は確認できない
  • 中学から高校1年まで追手門学院大手前で学び、16歳でのプロ契約を機に同校を離れている
  • 2024シーズンを最後に現役を退き、2025年12月の引退試合では2得点を記録した
  • 2026年現在はBALANCE FOOTBALLのマネジメントのもと、メディア出演、解説、サッカー普及活動、テックボールなど幅広く活動している

柿谷曜一朗さんは、華麗なトラップやゴールで「天才」と呼ばれただけの選手ではありません。若い頃の失敗、徳島での転機、日本代表とワールドカップ、海外挑戦、そして妻の丸高愛実さんや3人の子供との家族生活まで、多くの変化を経験してきました。

現在は現役時代とは違う立場からサッカーやスポーツに関わっています。19年間の選手生活で培った経験を、今後どのような仕事や活動へつなげていくのかにも注目したい人物です。