
元日本医師会副会長で、参議院議員や厚生労働副大臣を務めた医師の羽生田俊(はにゅうだ・たかし)さんが亡くなりました。
羽生田俊さんは2026年8月25日、群馬県前橋市内の病院で死去。78歳でした。
時事通信や共同通信は、羽生田さんが「病気のため」亡くなったと報じています。一方、具体的な病名については訃報の中で明らかにされていません。
羽生田さんは眼科医として地域医療に携わった後、日本医師会常任理事、副会長を歴任。2013年に参議院議員へ初当選し、参議院厚生労働委員長や厚生労働副大臣などを務めました。2026年春には旭日重光章を受章しています。
羽生田俊さん死去|2026年8月25日に78歳で亡くなる
羽生田俊さんが亡くなったのは2026年8月25日です。
医師、医師会幹部、国会議員として長年にわたり日本の医療政策に関わってきただけに、医療界にも大きな訃報となりました。
前橋市内の病院で死去
時事通信によると、羽生田俊さんは8月25日、病気のため前橋市内の病院で亡くなりました。
78歳でした。
共同通信も、前橋市出身の羽生田さんが25日に病気のため死去したと伝えています。
日付と年齢を確認すると、
- 死去:2026年8月25日
- 年齢:78歳
- 死去した場所:前橋市内の病院
- 死因:病気と報道
- 具体的な病名:公表されていない
となります。
葬儀の喪主は長男・羽生田直人さん
時事通信によると、葬儀・告別式は8月30日午前10時30分から、前橋市の前橋メモリードホールで行われます。
喪主は長男の羽生田直人(なおと)さんです。
日刊薬業も、羽生田さんが25日に78歳で亡くなり、29日に通夜、30日に告別式が予定されていると伝えています。
羽生田俊さんの死因は?病気のため死去も病名は非公表
羽生田俊さんの死因については、「病気のため」と報道されています。
ただし、「何の病気だったのか」という具体的な病名までは、2026年8月27日時点で公表されていません。
死因は「病気」と報道
時事通信は羽生田さんについて「25日、病気のため前橋市の病院で死去」と伝えています。共同通信も同様に「病気のため」と報じました。
そのため、病気が死去の理由だったことは主要報道から確認できます。
一方で、がん、心疾患、脳血管疾患など具体的な疾患名は明らかになっていません。
羽生田俊さんの病名は?
羽生田俊さんについて「病名は何だったのか」と気になる人も多いと思います。
しかし、今回確認できた時事通信、共同通信、日刊薬業の訃報では具体的な病名は掲載されていません。
したがって、現時点で特定の疾患を「羽生田俊さんの死因」とすることはできません。
今後、日本医師会や遺族などから追加発表があれば、詳しい病状が明らかになる可能性があります。
羽生田俊さんは何歳?wikiプロフィールを確認
羽生田俊さんは1948年3月28日生まれです。
首相官邸の厚生労働副大臣時代の公式プロフィールにも、生年月日と群馬県出身であることが掲載されています。
羽生田俊さんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 羽生田俊 |
| 読み方 | はにゅうだ たかし |
| 生年月日 | 1948年3月28日 |
| 年齢 | 78歳で死去 |
| 出身地 | 群馬県前橋市 |
| 職業 | 医師・政治家 |
| 診療科 | 眼科 |
| 学歴 | 群馬県立前橋高校、東京医科大学医学部 |
| 医療機関 | 羽生田眼科医院 |
| 日本医師会 | 常任理事、副会長 |
| 国政 | 参議院議員2期 |
| 主な役職 | 参議院厚生労働委員長、厚生労働副大臣 |
| 主な受章 | 藍綬褒章、旭日重光章 |
| 死去 | 2026年8月25日 |
| 死因 | 病気。具体的病名は非公表 |
羽生田さんは医師として約半世紀、医療団体や政治の世界でも長期間活動した人物でした。
羽生田俊さんの学歴|前橋高校から東京医科大学医学部へ
羽生田俊さんは地元群馬で学生時代を過ごし、その後、東京医科大学医学部へ進学しました。
大学卒業後は群馬大学医学部附属病院の眼科学教室に入り、眼科医としての道を歩んでいます。
群馬県立前橋高校出身
羽生田さんは群馬県立前橋高校の出身として知られています。
同校の卒業生情報でも、羽生田俊さんについて「前橋高等学校→東京医科大学医学部」と紹介されています。
地元前橋で育った後、医学の道を選んだことになります。
1973年に東京医科大学医学部を卒業
首相官邸の公式プロフィールによると、羽生田さんは1973年3月に東京医科大学医学部を卒業しました。
同年6月には群馬大学医学部附属病院眼科学教室へ入局しています。
羽生田眼科医院の公式プロフィールにも、
- 1973年 東京医科大学卒業
- 1973年 医師免許取得
- 1973年 群馬大学附属病院眼科学専攻生
- 1985年 医学博士
という経歴が掲載されています。
羽生田俊さんの経歴|眼科医から日本医師会副会長へ
羽生田俊さんの原点は眼科医です。
前橋市の羽生田眼科医院で地域医療に携わる一方、前橋市医師会、群馬県医師会、日本医師会へと活動の場を広げました。
1978年に羽生田眼科医院3代目院長
羽生田眼科医院の公式サイトによると、羽生田さんは1978年に同医院の3代目院長となりました。
羽生田眼科医院は1909年に初代・羽生田俊次さんが開業した歴史ある眼科医院です。
俊さんは眼科医として診療する一方、1987年に前橋市医師会理事、1993年に群馬県医師会理事となりました。
2000年に日本医師会常任理事
2000年には日本医師会常任理事に就任しました。
医療政策や医師の職業倫理、地域医療、医療安全など、日本の医療制度に関わる幅広い分野で活動しています。
日本医師会の記録には、羽生田さんが常任理事として「医師の職業倫理指針」の改訂などに携わったことも残っています。
2010年に日本医師会副会長
2010年には日本医師会副会長へ就任しました。
厚生労働省の「終末期医療のあり方に関する懇談会」などでも、日本医師会副会長として委員を務めています。
東日本大震災後には、日本医師会災害医療チーム「JMAT」に関する取り組みにも関わりました。
羽生田俊さんの政治家としての経歴|参議院議員を2期
日本医師会で長く医療政策に携わった羽生田俊さんは、2013年に国政へ進出しました。
医師としての経験を生かし、医療・社会保障政策を中心に活動しています。
2013年の参院選で初当選
羽生田さんは2013年の参議院議員選挙で、自民党の比例代表候補として初当選しました。
日本医師会の記録によると、24万9818票を獲得しています。
2019年の参議院選挙でも当選し、参議院議員を2期務めました。
参議院厚生労働委員長を歴任
2016年には参議院厚生労働委員長へ就任しました。
国会会議録にも、委員長として厚生労働委員会の議事を進行した記録が残っています。
医師出身の国会議員として、医療提供体制、診療報酬、医師の働き方、社会保障制度などを中心に政策へ関わりました。
2022年に厚生労働副大臣
2022年8月、第2次岸田改造内閣で厚生労働副大臣に就任しました。
首相官邸の公式プロフィールにも、2022年8月から厚生労働副大臣を務めたことが記されています。
日本医事新報社も当時、日本医師会副会長を経験した眼科医として、羽生田さんの厚生労働副大臣就任を報じました。
羽生田俊さんの功績|医療政策と地域医療をつないだ
羽生田俊さんの特徴は、診療所の医師、日本医師会幹部、国会議員、厚生労働副大臣という複数の立場を経験したことです。
現場の医師としての経験を、国の医療政策へ届ける役割を長年担ってきました。
医師の働き方改革にも関与
自民党では「医師の働き方改革に関するプロジェクトチーム」の座長を務めました。
2018年には病院団体などから意見を聞き、若手医師とベテラン医師、病院や地域によって勤務環境が異なることなどを踏まえて議論しています。
その後、医師の時間外労働に上限を設ける制度は2024年に本格施行されました。
羽生田さんは制度導入前の議論段階から関与していた政治家の一人です。
日本医師会で医療安全や職業倫理にも取り組む
日本医師会常任理事時代には、医師の職業倫理、医療事故、終末期医療などについても取り組みました。
2008年には「医師の職業倫理指針」の改訂版を発表しています。
医療提供体制だけでなく、「医師がどのような倫理観を持って患者と向き合うべきか」という分野にも携わっていました。
羽生田俊さんは2026年春に旭日重光章を受章
羽生田俊さんは亡くなる約4カ月前の2026年春、旭日重光章を受章しました。
長年の公務への功績が評価されたものです。
元厚生労働副大臣として旭日重光章
日本医師会は2026年春の叙勲について、羽生田俊さんが「元厚生労働副大臣」として旭日重光章を受章したことを発表しています。
内閣府によると、2026年春の叙勲は4月29日付で発令され、旭日重光章の受章者は9人でした。
羽生田さんにとって、医師会活動や国政での長年の歩みが評価された晩年の大きな出来事となりました。
2009年には藍綬褒章も受章
羽生田眼科医院の公式プロフィールによると、羽生田さんは2009年にも藍綬褒章を受章しています。
医療・社会福祉分野で長年公共の利益に貢献してきた実績が評価されてきたことが分かります。
羽生田俊さんの家族|長男は眼科医の羽生田直人さん
羽生田俊さんの家族については、羽生田眼科医院の公式サイトから父親や長男などが確認できます。
羽生田家は4代にわたって眼科医院を受け継いできた医師の家系です。
長男・羽生田直人さんが4代目院長
羽生田俊さんの長男は羽生田直人さんです。
今回の葬儀でも喪主を務めることが時事通信によって報じられています。
羽生田眼科医院の公式サイトによると、直人さんは1976年6月27日生まれ。
2002年に東京医科大学を卒業し、群馬大学医学部眼科学教室などを経て、2014年に羽生田眼科医院の4代目院長となりました。
父の俊さんと同じ東京医科大学を卒業し、眼科医の道を歩んでいます。
父・羽生田進さんも医師で元衆議院議員
羽生田俊さんの父は羽生田進さんです。
羽生田眼科医院の公式プロフィールによると、進さんは慶應義塾大学医学部卒の眼科医で、羽生田眼科医院2代目院長を務めました。
さらに群馬県医師会長を経て1972年に衆議院議員へ初当選し、科学技術政務次官なども務めています。
俊さんは「医師から国会議員へ」という父と共通する道を歩んだことになります。
妻などその他の家族は?
羽生田俊さんの妻については、今回確認できた首相官邸のプロフィールや訃報、羽生田眼科医院の公式プロフィールでは詳しい人物情報が掲載されていません。
長男・直人さんについては医師として公的なプロフィールが公開されていますが、それ以外の家族の氏名や現在の生活については公表情報が限られています。
家族について確認できる範囲では、父の進さん、長男の直人さんをはじめ、代々医療に携わってきた家系だったことが分かります。
羽生田俊さん死去|死因・経歴や功績、家族について現在分かっていること
元日本医師会副会長で元参議院議員の羽生田俊さんは、2026年8月25日、前橋市内の病院で亡くなりました。78歳でした。
死因については「病気のため」と報じられていますが、具体的な病名は8月27日時点で明らかにされていません。
羽生田さんは1948年3月28日生まれ。
前橋高校から東京医科大学医学部へ進み、1973年に卒業後、群馬大学医学部附属病院眼科学教室へ入局しました。
1978年には羽生田眼科医院3代目院長となり、前橋市医師会、群馬県医師会、日本医師会で活動。2000年に日本医師会常任理事、2010年に副会長を務めました。
2013年に参議院議員へ初当選し、2期にわたり国政へ参加。
参議院厚生労働委員長などを経て、2022年には厚生労働副大臣に就任しました。
2026年春には、長年の公務への功績から旭日重光章を受章しています。
家族では、長男の羽生田直人さんが眼科医として羽生田眼科医院4代目院長を務めており、今回の葬儀では喪主を務めます。
眼科医として地域の患者と向き合い、日本医師会では医療界を代表して政策に携わり、さらに国会議員・厚生労働副大臣として国の医療行政にも関わった羽生田俊さん。
医療現場と政治の双方を経験した人物として、その歩みと功績が改めて振り返られています。

