
「虎酔(こすい)」の俳号で阪神タイガースを題材にした俳句を長年詠み続けた俳人・木割大雄(きわり・だいゆう)さんが亡くなりました。
スポニチアネックスによると、木割大雄さんは2026年8月30日、兵庫県尼崎市内の病院で死去。87歳でした。
死因は誤嚥性肺炎と報じられています。
木割さんは2026年4月から体調を崩して入院生活を続けていました。そして亡くなる前日の8月29日には、熱烈に応援してきた阪神タイガースに優勝へのマジックナンバーが今季初めて点灯しています。
「虎酔」として詠んだタイガース俳句は約2000句。
さらに元阪神投手の江夏豊さんへ俳句を勧めた人物でもあり、俳人だけでなく「下町のプロデューサー」として関西の文化・芸能活動にも幅広く関わってきました。
木割大雄さん死去|誤嚥性肺炎で87歳
木割大雄さんが亡くなったのは2026年8月30日です。
今年4月から体調を崩して入院しており、最期は兵庫県尼崎市内の病院で迎えました。
木割大雄さんは2026年8月30日に死去
スポニチアネックスによると、木割大雄さんは8月30日、入院先の尼崎市内の病院で亡くなりました。
87歳でした。
現在分かっている情報を確認すると、
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 木割大雄 |
| 読み方 | きわり・だいゆう |
| 死去 | 2026年8月30日 |
| 年齢 | 87歳 |
| 死因 | 誤嚥性肺炎 |
| 入院 | 2026年4月から |
| 死去した場所 | 兵庫県尼崎市内の病院 |
| 喪主 | 妻・繁子さん |
となります。
通夜・葬儀は9月2日と3日
通夜は9月2日午後7時、葬儀・告別式は9月3日午前11時から、尼崎市内で執り行われる予定です。
喪主は妻の繁子さんが務めます。
家族だけの非公開葬という発表ではなく、日時や会場も訃報で伝えられています。
木割大雄さんの死因は誤嚥性肺炎|病気や入院の経緯は?
木割大雄さんの死因は「誤嚥性肺炎」と公表されています。
また、亡くなる約4カ月前の2026年4月から体調を崩し、入院生活を送っていました。
死因は誤嚥性肺炎
スポニチアネックスは、木割大雄さんが「誤嚥性肺炎のため」亡くなったと伝えています。
誤嚥性肺炎とは、食べ物や唾液などが誤って気管へ入り、それに含まれる細菌などが肺へ到達することで起こる肺炎です。
特に高齢になると飲み込む力や咳をする力が低下し、発症リスクが高くなることがあります。
ただし、木割さんがどのような経緯で誤嚥性肺炎を発症したのか、入院中の詳しい治療内容までは公表されていません。
2026年4月から入院していた
木割さんは2026年春から体調を崩していました。
訃報では4月に入院し、その後も入院生活を続けていたことが明らかになっています。
「4月から誤嚥性肺炎だったのか」「別の病気で入院していたのか」といった詳しい病状については報じられていません。
そのため、4月の入院理由と今回の誤嚥性肺炎を同一の病気だったと決めつけることはできません。
木割大雄さんは若い頃に肺結核|療養中に俳句と出会う
木割大雄さんの人生を大きく変えた病気が、若い頃に患った肺結核でした。
この肺結核の療養生活の中で俳句と出会ったことが、その後半世紀以上続く俳人としての人生につながりました。
肺結核の療養所で俳句を始める
木割さんは若い頃に肺結核を患い、療養所で生活していました。
スポニチアネックスによると、その療養所で俳句と出会ったことが俳人としての原点となっています。
講演者プロフィールでも、木割さんは20代で俳句と出会ったと紹介されています。
今回の死因である誤嚥性肺炎とは別ですが、病気をきっかけに人生の進路が大きく変わった人物だったことが分かります。
赤尾兜子に師事
木割大雄さんは1971年から、前衛俳句の第一人者として知られる赤尾兜子さんに師事しました。
俳誌「渦」に入り、本格的に俳句の世界へ進んでいます。
定型や季語だけに縛られない前衛俳句の影響を受け、その後の木割さん独自の句風へとつながっていきました。
木割大雄さんは何歳?wikiプロフィール
木割大雄さんは1938年11月、兵庫県西宮市で生まれました。
1958年に尼崎市へ移り、その後は長年、阪神地域を拠点に俳句や文化活動を続けています。
木割大雄さんのwiki風プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 木割大雄 |
| 読み方 | きわり だいゆう |
| 生年月 | 1938年11月 |
| 年齢 | 87歳で死去 |
| 出身地 | 兵庫県西宮市 |
| 居住・活動拠点 | 兵庫県尼崎市など |
| 職業 | 俳人・文化プロデューサー |
| 俳号 | 虎酔 |
| 師匠 | 赤尾兜子 |
| 主な題材 | 阪神タイガース、沖縄、命、日常 |
| 主な著書 | 『虎酔俳句集』『俺』『南のくにに雪だるま』など |
| 妻 | 繁子さん |
| 死去 | 2026年8月30日 |
| 死因 | 誤嚥性肺炎 |
1958年に尼崎市へ移住し、その後は地域文化を支える人物としても活動しました。
木割大雄さんの学歴は?
木割大雄さんについては、「どこの高校・大学を卒業したのか」と学歴が気になる人もいるかもしれません。
しかし、今回確認できた訃報や講演者プロフィールなどでは、具体的な学校名は紹介されていません。
高校・大学など具体的な学歴は確認できず
木割さんについて公開されているプロフィールは、
- 1938年に兵庫県で生まれた
- 20代で俳句と出会った
- 肺結核の療養生活を経験した
- 1971年から赤尾兜子に師事した
- 商社勤務後に書店を経営した
といった内容が中心です。
高校や大学名など具体的な学歴については、信頼できる公開資料から確認できませんでした。
学歴ではなく、療養生活や商社勤務、書店経営などの実体験を経て俳句の世界へ入った人物だったことが経歴の大きな特徴です。
木割大雄さんの経歴|商社勤務から俳人・書店経営へ
木割大雄さんは、最初から俳人一本で生活していたわけではありません。
若い頃には商社で勤務し、その後退職して書店を経営しながら俳諧生活に入りました。
商社を退職して書店を経営
肺結核の療養中に俳句と出会った木割さんは、赤尾兜子さんに師事しながら本格的に作品を作るようになりました。
その後、勤務していた商社を退職。
書店経営をしながら俳句を中心とする生活へ移っています。
俳人としての活動だけでなく、地域文化や芸能のイベントを企画するようになった背景には、こうした異色の経歴もありました。
木割大雄さんの「虎酔」|阪神タイガースを約2000句詠む
木割大雄さんを広く知らしめた活動が、阪神タイガースを題材にした「虎俳句」です。
「虎酔」という俳号を使い、スポニチ紙上で13年間にわたり阪神を詠み続けました。
1984年から13年間スポニチで連載
木割さんは1984年から1996年までの13年間、スポニチ大阪本社発行版で連日、阪神タイガースを題材にした俳句を掲載しました。
試合がある日だけではありません。
シーズンオフや春季キャンプの時期も詠み続け、作品数は約2000句に達したとされています。
単なる「野球好きの俳人」ではなく、阪神タイガースの歴史そのものを俳句で記録した存在でした。
2023年の阪神優勝も俳句に
2023年に阪神がリーグ優勝を果たした際にも、木割さんは俳句を詠んでいます。
スポニチでは、大山悠輔選手が優勝決定時に涙を流した姿を題材とした一句が紹介されました。
80代になっても阪神への思いを俳句として表現し続けていたことが分かります。
亡くなる前日に阪神のマジックが点灯
2026年8月29日、阪神には優勝へのマジックナンバーが今季初めて点灯しました。
木割さんが亡くなったのは、その翌日の30日です。
長年阪神タイガースを見守り、詠み続けてきた木割さんが、最後にマジック点灯を見届ける形となりました。
木割大雄さんと江夏豊|俳句を勧めた師匠だった
木割大雄さんと阪神タイガースのつながりを語るうえで、元投手・江夏豊さんとの関係も外せません。
木割さんは江夏さんに俳句を勧め、俳句の師匠にもなりました。
江夏豊さんに俳句を勧める
スポニチによると、木割さんは元阪神の江夏豊さんに俳句を勧めています。
木割さん自身が江夏さんの俳句の師匠でもありました。
剛速球で知られた伝説的投手と前衛俳人という一見意外な組み合わせですが、「阪神」と「俳句」が二人を結びつけました。
『江夏豊の俳句』も出版
木割さんの著書には『江夏豊の俳句』もあります。
江夏さんの俳句を木割さんが紹介・評価する内容で、阪神ファンと俳句ファンの双方から注目されました。
阪神タイガースをスポーツだけでなく文学・文化へ広げた点も、木割さんならではの活動でした。
木割大雄さんの代表作・著書は?
木割大雄さんは俳句集をはじめ、多くの著書を残しています。
国立情報学研究所のCiNii Booksにも『虎酔俳句集』『南のくにに雪だるま』などが登録されています。
主な著書
木割さんの代表的な著書には、
- 『虎酔俳句集』
- 『江夏豊の俳句』
- 『南のくにに雪だるま』
- 『俺―木割大雄句集』
- 『俳句の小径 カバトまんだら通信』
などがあります。
特に『虎酔俳句集』は、阪神タイガースを俳句という形式で記録した木割さんを象徴する作品です。
句集『俺』も代表作の一つで、木割大雄という俳人自身の世界観を知る作品として残されています。
木割大雄さんの功績|「下町のプロデューサー」として文化活動
木割大雄さんの活動は俳句だけではありませんでした。
阪神地域や神戸を中心に落語、音楽、舞踏、人形劇など数多くの文化イベントを企画し、「下町のプロデューサー」と呼ばれていました。
キリンビール尼崎工場で「麒麟亭」を開催
1989年から8年間、木割さんはキリンビール尼崎工場で「麒麟亭」というイベントを開催しました。
落語や文楽、クラシック、人形劇、上方講談など、ジャンルを限定せずさまざまな文化人・芸能人を招いたイベントでした。
俳句だけに閉じこもらず、地域で文化を楽しめる場所をつくり続けていたことになります。
落語会やコンサートも多数企画
木割さんは阪神・神戸地域を中心に、
- 落語会
- コンサート
- 舞踏会
- 花展
- 講演会
など幅広い催しを手がけました。
芸能界や放送界にも交流が多く、「文化を作る側」の人物でもありました。
伊丹市「ことば科」で子供たちに俳句を指導
木割大雄さんは、子供への俳句教育にも長年取り組みました。
2006年から兵庫県伊丹市の教育特区「ことば科」で特別講師を務めています。
「ことば・いのち」を小中学生に伝える
伊丹市の学校では、小中学生へ俳句を教えながら「ことば」や「いのち」について伝えていました。
また、尼崎市立七松小学校などでも俳句指導を行っています。
同校は2019年、木割さんを招き、5年生が俳句とともに命の大切さを学んだことを紹介しています。
木割さん自身のブログでは、これまで俳句を教えた学校は40校を超え、市町村では10以上に及んだと振り返っていました。
季語に縛られず自由に詠ませる指導
木割さんの子供向け俳句指導には特徴がありました。
季語や伝統的な形式を最初から厳しく教えるのではなく、子供が感じたことを自由な5・7・5で表現することを重視しています。
俳人を育てることよりも、「自分の言葉を持つこと」そのものを大切にしていたことが、本人の文章からもうかがえます。
木割大雄さんの妻・家族は?
木割大雄さんの家族について、今回の訃報で具体的に名前が公表されているのは妻の繁子さんです。
葬儀では繁子さんが喪主を務めます。
妻は木割繁子さん
木割大雄さんの妻は繁子さんです。
今回の訃報では「喪主は妻・繁子さん」と明記されています。
一方、妻の年齢や職業など詳しいプロフィールについては報じられていません。
著名人として活動している人物ではないため、公開されている情報も限られています。
子供など詳しい家族構成は?
木割大雄さんに子供がいるのか、息子や娘が何人いるのかについては、今回確認できた主要な訃報や公開プロフィールでは具体的に紹介されていません。
家族について確実に確認できるのは、妻・繁子さんがいることまでです。
一般人である家族について、出典が明確ではないネット情報から名前や職業を特定することはできません。
木割大雄さん死去|死因・経歴・代表作や家族について現在分かっていること
阪神タイガースを「虎酔」の俳号で詠み続けた俳人・木割大雄さんは、2026年8月30日、兵庫県尼崎市内の病院で亡くなりました。
87歳でした。
死因は誤嚥性肺炎です。
2026年4月から体調を崩して入院生活を送っており、亡くなる前日の8月29日には阪神タイガースに今季初めて優勝マジックが点灯しました。
木割さんは1938年11月、兵庫県西宮市生まれ。
若い頃に肺結核を患い、療養所で俳句と出会いました。その後、前衛俳句の第一人者・赤尾兜子さんに師事し、商社勤務や書店経営を経ながら俳人として活動しました。
1984年から1996年まで「虎酔」の俳号でスポニチに阪神俳句を連載し、作品は約2000句。
元阪神・江夏豊さんに俳句を勧め、その師匠も務めました。
代表的な著書には『虎酔俳句集』『江夏豊の俳句』『南のくにに雪だるま』『俺―木割大雄句集』などがあります。
また「下町のプロデューサー」として落語会やコンサートなどを企画し、伊丹市などの小学校では長年にわたり子供たちへ俳句や「ことば・いのち」を教えてきました。
家族では妻の繁子さんがおり、今回の葬儀では喪主を務めます。
阪神タイガース、俳句、地域文化、そして子供たちへの言葉の教育。
木割大雄さんが87年の生涯で残した活動は、俳句の枠を超えて阪神地域の文化そのものにも深く刻まれています。

