古城大翔のwikiプロフィール!なぜ花巻東?父親・中学や経歴、大学進学と怪我も調査
古城大翔のwikiプロフィール!なぜ花巻東?父親・中学や経歴、大学進学と怪我も調査

花巻東高校の4番・主将として、2026年夏の甲子園でも注目を集めた古城大翔(ふるき・だいと)選手。高校通算34本塁打を記録した右の強打者で、父親が日本ハムや巨人でプレーした元プロ野球選手・古城茂幸さんということでも知られています。2026年夏には1年夏から5季連続で甲子園に出場し、5季すべてで4番を務めました。学制改革後ではPL学園・清原和博さん以来41年ぶりという記録です。

特に気になるのが、「古城大翔はなぜ神奈川県出身なのに花巻東へ進学したのか」という点ではないでしょうか。実は、大谷翔平選手への強い憧れに加え、父・古城茂幸さんと花巻東・佐々木洋監督が大学時代のチームメートだったという縁がありました。

この記事では、古城大翔選手が何者なのか、wiki風プロフィールや父親・母親・兄弟などの家族構成、小学校・中学校時代、花巻東を選んだ理由、高校通算本塁打や甲子園での経歴を紹介します。さらに、「ベンチ外」と気にされるようになった右足の怪我や、2026年8月に明らかになった最新の進路についても詳しく見ていきます。

古城大翔は誰・何者?wikiプロフィール

古城大翔選手は、岩手県の強豪・花巻東高校で4番と主将を務めた内野手です。

180cm・94kgの恵まれた体格から鋭い打球を放つ右投げ右打ちのスラッガーで、一塁手や三塁手としてプレー。神奈川県で育ちながら大谷翔平選手への憧れから花巻東へ進み、1年生から全国舞台を経験してきました。

古城大翔の基本プロフィール

まずは、現在確認できる基本情報を見てみましょう。

項目内容
名前古城大翔
読み方ふるき・だいと
生年月日2008年6月4日
年齢18歳(2026年8月現在)
出身地神奈川県
身長180cm
体重94kg
投打右投げ右打ち
ポジション内野手
主な守備位置一塁・三塁
高校花巻東高校
出身中学横浜市立早渕中学校
中学時代都筑中央ボーイズ
父親古城茂幸さん
高校通算本塁打34本
2026年夏花巻東主将・4番

週刊ベースボールONLINEの選手データでは、生年月日は2008年6月4日、身長180cm、体重94kgとされています。スポーツナビの2026年夏の甲子園選手データでも180cm・94kg、右投げ右打ちと紹介されています。

名字の「古城」は「こじょう」ではなく「ふるき」と読みます。「古城大翔」は「ふるき・だいと」です。

高校通算34本塁打!木製バットを使う右の強打者

古城大翔選手の大きな特徴は、恵まれた体格と力強いフルスイングです。

2026年夏の甲子園時点で高校通算34本塁打。さらに、高校野球では金属バットを使用する選手が多い中、古城選手は木製バットで公式戦の打席に立ってきました。本人も自分の強みについて、思い切り振った時の打球の強さを挙げています。

2025年秋の明治神宮大会では木製バットで高校通算25号となる本塁打を放ち、全国舞台でも長打力を証明しました。高校卒業後の大学野球や、その先のプロを考えても、早い段階から木製バットに対応してきた経験は古城選手ならではの強みになりそうです。

古城大翔はなぜ花巻東?神奈川から岩手へ進学した理由

「古城大翔 wiki」とあわせて特に知りたいのが、古城大翔選手がなぜ花巻東高校を選んだのかという部分です。

古城選手は岩手県出身ではなく、神奈川県で育ちました。それでも地元の強豪校ではなく、遠く離れた岩手県の花巻東へ進学しています。

理由をたどると、大谷翔平選手への憧れと、父・古城茂幸さんと佐々木洋監督のつながりという2つの大きな背景が見えてきます。

理由①大谷翔平に憧れ「高校は花巻東一本」

古城大翔選手は小学生のころから、花巻東OBの大谷翔平選手に強く憧れていました。

2017年、古城選手が9歳ごろのことです。当時、日本ハムで投打の二刀流として活躍していた大谷選手を見て、漫画の世界のような選手だと衝撃を受けたといいます。そして高校進学について、本人は「花巻東一本に決めていました」と語っています。

MLB公式サイトの特集でも、小学校低学年のころから大谷選手を追い続けていたことが紹介されています。古城選手にとって大谷選手は、単に好きなプロ野球選手というだけではなく、「同じ花巻東で野球を学びたい」と思わせた存在だったことが分かります。

神奈川から岩手へ進学し、親元を離れて野球に打ち込むのは簡単な決断ではありません。それでも「花巻東一本」と早くから決めていたところに、大谷選手への憧れの強さが表れています。

理由②父・古城茂幸と佐々木洋監督が国士舘大学の同級生

もう一つ大きかったのが、父親と花巻東の佐々木洋監督との縁です。

父・古城茂幸さんと佐々木洋監督は、国士舘大学野球部で同学年のチームメートでした。佐々木監督は大学入学当初、慣れない環境で不安を抱えていた際に、最初に声をかけてくれた同級生が古城茂幸さんだったと振り返っています。

MLB公式サイトでも、父・茂幸さんと佐々木監督が大学時代の同級生だった関係が、古城選手の花巻東進学につながったことが紹介されています。

ただし、「父親のコネで花巻東の4番になった」という話ではありません。佐々木監督は、1年春から古城選手を起用した理由について、実力を高く評価し、「誰もが認める実力」だったと語っています。

つまり花巻東を選んだ背景には、本人の大谷翔平選手への憧れと、父親と佐々木監督の長年の信頼関係が重なっていたということです。進学後にポジションをつかんだのは、古城選手自身のプレーによるものでした。

古城大翔の父親は元巨人・古城茂幸!母親や兄弟は?

古城大翔選手の家族で最もよく知られているのが、父親の古城茂幸(ふるき・しげゆき)さんです。

大翔選手はメディアでも「元巨人・古城茂幸さんの次男」と紹介されることが多く、親子二代の野球選手として注目されてきました。

父親・古城茂幸は日本ハムと巨人で16年間プレー

古城茂幸さんは中央学院高校から国士舘大学へ進み、1997年のドラフト5位で日本ハムに入団。その後は巨人へ移籍し、内野の複数ポジションを守れる選手として長く活躍しました。

プロでは日本ハムと巨人で計16年間プレーし、現役引退後も巨人でコーチなどを務めています。2026年はハヤテベンチャーズ静岡のヘッド兼野手総合コーチを務めています。

父・茂幸さんは現役時代、巧みなバットコントロールや小技も持ち味にしたタイプでした。一方、大翔選手は体格を生かして豪快に振る右の長距離打者です。

プレースタイルはかなり異なりますが、父は幼いころから大翔選手に野球を教え、高校進学後は長打力を伸ばすことも助言してきました。2025年の明治神宮大会で大翔選手が豪快な本塁打を放った際には、父も「びっくりしました。凄い」と成長を喜んでいます。

母親はどんな人?兄が1人いる

母親については一般の方とみられ、氏名や年齢、職業など詳しいプロフィールは公表されていません。

ただ、古城選手本人は1年生だった2024年夏、岩手大会優勝後に両親への感謝を口にしています。神奈川を離れて花巻東へ進んだことを考えると、野球面だけでなく生活面でも家族の支えが大きかったことが伝わってくるエピソードです。

また、大翔選手は複数の報道で古城茂幸さんの「次男」と紹介されています。そのため、少なくとも兄が1人いることが分かります。

兄については名前や年齢、野球歴などの詳しい公表情報は確認できません。父親が元プロ野球選手という印象が強い家庭ですが、公開されている範囲では、大翔選手以外の兄弟の経歴まで明らかにはなっていません。

古城大翔の学歴!小学校・中学時代から強打者だった

古城大翔選手は神奈川県で育ち、小学生のころから野球に打ち込んできました。

確認できる経歴は、勝田小学校→早渕中学校→花巻東高校です。小学校では山田バッファローズ、中学校では都筑中央ボーイズでプレーしています。

小学校は勝田小!山田バッファローズで野球を始める

古城選手は勝田小学校に通い、小学1年生のころに山田バッファローズで野球を始めました。

ちょうどこの時期に大谷翔平選手の二刀流に衝撃を受け、花巻東への憧れを強めていきます。

父親がプロ野球選手だったため、生まれたときから野球が身近にある環境でしたが、高校選びでは父と同じ学校や地元の強豪を選ぶのではなく、自分が憧れた選手の母校へ進みました。この進路を見ると、父親の影響を受けながらも、自分自身が目指したい野球を選んできたことが分かります。

中学は横浜市立早渕中学校!都筑中央ボーイズで全国16強

中学校は横浜市立早渕中学校です。

中学では学校の軟式野球部ではなく、硬式野球チームの都筑中央ボーイズでプレー。中学3年夏には全国大会へ出場し、「4番・三塁」としてベスト16に貢献しました。

花巻東に入って突然注目された選手ではなく、中学生の時点ですでに全国大会を経験する強打者でした。

そして中学卒業後は、幼いころから目標にしていた花巻東へ進学します。神奈川から岩手という大きな環境変化でしたが、入学直後からその実力を発揮することになります。

古城大翔の花巻東での経歴!1年から4番で5季連続甲子園

古城大翔選手の高校野球人生を語るうえで外せないのが、1年生から花巻東の中軸を任され続けたことです。

1年春からベンチ入りし、夏には4番へ。2024年夏から2026年夏まで5季連続で甲子園に出場しました。

1年春から主力!夏には4番で甲子園デビュー

2024年春、入学したばかりの古城選手は花巻東でベンチ入りし、早い時期から主軸を任されました。

同年夏の岩手大会では途中から4番に入り、決勝の盛岡大付戦では2安打1打点。花巻東の甲子園出場に貢献します。

甲子園では1年生ながら「4番・三塁」で出場し、滋賀学園戦で第1打席から安打を記録しました。

父が元プロということで入学時から注目されていましたが、強豪・花巻東で1年生から4番を任された実績を見ると、「古城茂幸さんの息子」という肩書きだけでは説明できない打力があったことが分かります。

5季連続甲子園、5季すべてで4番は清原和博以来

古城選手は2024年夏から、2025年春、2025年夏、2026年春、2026年夏と5季連続で甲子園に出場しました。

5季連続出場は1948年の学制改革後13人目で、東北勢では初。さらに5大会すべてで4番を務めたのは、PL学園の清原和博さん以来41年ぶりです。

最終学年となった2025年秋の新チームからは、野球人生で初めて主将にも就任しました。

もともとは周囲をぐいぐい引っ張るタイプではなかったといいますが、主将という立場を経験する中で人間的にも成長したと紹介されています。

古城大翔がベンチ外になった理由は怪我?2026年に右足を骨折

2026年に入ってからは、「花巻東 古城大翔 ベンチ外」「古城大翔 メンバー外」と気になった人も少なくありません。

古城選手には春から夏にかけて試合に出られない期間がありましたが、主な理由は実力不足ではなく右足の骨折でした。

4月下旬に右足を骨折し約2か月離脱

古城選手は2026年4月下旬、右足甲を骨折しました。

約2か月間実戦から離れることになり、6月に行われた試合でも出場を見合わせる時期がありました。そのため、一時的にメンバーやベンチ入りを気にする声が出たとみられます。夏の岩手大会には復帰し、16打数6安打を記録して甲子園出場に貢献しました。

怪我によってプレーできなくなった時期には、自分のことで精いっぱいになっていたところをチームメートから指摘されたこともあったといいます。

それでも仲間から「必ずお前が必要だから」と声をかけられ、リハビリと向き合いました。試合に出られず外からチームを見る時間が増えたことは、主将として周囲を見るきっかけにもなったようです。

夏の甲子園初戦前に同じ右足を再び骨折

さらに驚かされたのが、2026年夏の甲子園終了後に明かされた事実です。

古城選手は初戦・新田戦の前日に、4月に痛めた右足中足骨を再び骨折していたことを明かしました。

それでも新田、岡山学芸館、英明、横浜との試合に出場。初戦の新田戦では3打数2安打を記録し、準々決勝の横浜戦では最速157キロを投げる織田翔希投手から2安打を放ちました。

高校最後の大会を骨折した状態で戦っていたことになります。

怪我を押して出場したことだけを見ると強烈なエピソードですが、古城選手自身は試合後、怪我の痛みより仲間と一緒に野球ができないことの方がつらかったという思いを語っています。高校3年間で何度も甲子園を経験してきた古城選手にとって、最後まで仲間と戦うことが大きな意味を持っていたのでしょう。

古城大翔の性格・人柄は?主将経験で変化

古城大翔選手は大柄な体格と豪快なフルスイングから、強気にチームを引っ張るタイプにも見えます。

ところが、周囲から語られる人物像は少し違います。

佐々木洋監督は「謙虚」「取り組む姿勢がいい」と評価

花巻東の佐々木洋監督は、古城選手について謙虚で、野球に取り組む姿勢がいい選手だと評価しています。

佐々木監督は父・茂幸さんについても、大学時代から「やさしく、みんなに愛される」人物だったと振り返り、大翔選手にも性格面で似ている部分があると語っています。

父親とプレースタイルは違っても、人との接し方や野球への姿勢には受け継がれている部分があるのかもしれません。

「自分が決める」だけではない4番へ

最上級生では初めて主将となり、怪我による離脱も経験しました。

それまでの古城選手は、4番として自分が結果を出すことへの責任を強く感じていました。一方、試合から離れてチームを外から見る時間を経験したことで、自分一人で決めるだけではなく、後ろの打者へつなぐ意識も強くなったことが報じられています。

2026年夏の甲子園初戦では2安打を放ちながら3得点。自分がホームランを打たなくても、出塁して仲間の一打でホームへ帰ればチームの得点になります。高校最後の1年間は、強打者としてだけではなく「主将としてどう勝つか」を考えたシーズンでもあったようです。

古城大翔の現在と進路は?大学野球を経てプロを目指す

古城大翔選手の高校最後の甲子園は、2026年8月18日の準々決勝・横浜戦で終わりました。

花巻東は0-6で敗れましたが、古城選手は横浜のエース・織田翔希投手から2安打。最後の全国大会をベスト8で終えています。

甲子園直後は進路を「これから考えたい」と話していた

横浜戦直後の8月18日、古城選手は卒業後の進路について「これからしっかり考えたい」と話し、その場ではプロ志望か大学進学かを明言していませんでした。

プロのスカウトから注目される高校通算34本塁打の打者だけに、2026年ドラフトへ進むのかが大きな注目点になっていました。

8月20日に大学野球を続ける意向が明らかに

その後、進路について新しい情報が出ています。

8月20日に花巻東高校で行われた甲子園の報告会では、古城大翔選手、萬谷堅心選手、赤間史弥選手の3人が大学で野球を続ける意向を明らかにしたと報じられました。

そのため、2026年8月21日時点では、古城選手は高校卒業後すぐにプロ入りするのではなく、大学野球へ進む方向です。

進学する大学名については、現時点で公表された情報は確認できません。

また、毎日新聞は花巻東の主軸3選手について、大学を経てプロを目指す意向だと報じています。古城選手自身も以前からプロ入りへの思いを語っていただけに、まず大学野球でさらに力を磨き、その先のプロ野球を目指す形になりそうです。

木製バットを高校時代から使用してきた経験や、5季連続で甲子園の4番を務めた経験が、大学でどのように生かされるのかも注目したいところです。

古城大翔のwikiプロフィールまとめ

古城大翔選手について、重要なポイントを振り返ります。

  • 古城大翔選手の読み方は「ふるき・だいと」
  • 2008年6月4日生まれで、神奈川県出身
  • 身長180cm・体重94kg、右投げ右打ちの内野手
  • 高校通算34本塁打を記録した右のスラッガー
  • 父親は日本ハム・巨人で活躍した元プロ野球選手・古城茂幸さん
  • 勝田小学校では山田バッファローズ、早渕中学校では都筑中央ボーイズでプレー
  • 大谷翔平選手への憧れから「花巻東一本」で高校進学を決めていた
  • 父・茂幸さんと花巻東・佐々木洋監督が国士舘大学の同級生だった縁もあった
  • 花巻東では1年生から主力となり、5季連続で甲子園の4番を務めた
  • 2026年4月に右足を骨折し、夏の甲子園初戦前には同じ部位を再骨折
  • 2026年夏は主将として花巻東を甲子園ベスト8へ導いた
  • 2026年8月20日、大学で野球を続ける意向が報じられた

古城大翔選手は、「元巨人選手の息子」という話題性だけで全国から注目された選手ではありません。

幼いころから憧れた大谷翔平選手と同じ花巻東を自ら選び、1年生から4番として5季連続で甲子園に立ちました。最後の1年間には主将を経験し、右足の骨折という大きな壁にも直面しています。

高校野球はベスト8で幕を閉じましたが、次の舞台は大学野球となる見通しです。木製バットで磨いてきた長打力と全国大会で積み重ねた経験を武器に、その先のプロ野球へどこまで近づいていくのか、今後も注目される選手です。

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